SEMANTICS

意味論を軸として脳の働きや人間の行動に迫る──特集「THE WORLD IN 2024」

わたしたちを動かすものとは何か? 脳の活動に見られる巨視的なパターンに注目し、人間の刺激に対する反応と、これまで見過ごされてきたその意味をひもとくことで、ヒントを導き出せるかもしれない。
意味論を軸として脳の働きや人間の行動に迫る──特集「THE WORLD IN 2024」
Illustration: Saiman Chow

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世界中のビジョナリーや起業家、ビッグシンカーがキーワードを掲げ、2024年の最重要パラダイムを網羅した恒例の総力特集「THE WORLD IN 2024」。アイルランドのダブリン大学トリニティ・カレッジ准教授のケヴィン・ミッチェルは、脳の働きを意味論(セマンティクス)から解き明かそうとしている。


この10年、脳画像法技術の進歩によって、神経系の働きがかつてないほど詳細に解明されてきた。例えば、最新の神経画像技術を用いれば、恐怖を引き起こすような刺激に遭遇した瞬間、扁桃体(脳の側頭葉の内側にある小さな領域)でどんな活動が起こるかを、文字通り目視できるようになる。動物実験においては、この脳の領域に直接刺激を与えることで、恐怖に遭遇したときの反応を引き起こすことも可能だ。

こうした技術的革新の数々を踏まえると、あらゆる行動は神経回路を流れる帯電したイオンの動きによって説明できる、という結論に行き着くことになる。例えば、あなたがイヌの吠え声を聞いて一瞬ひるんだとしよう。多くの神経科学者たちは、その行動を引き起こしたのはあなたの扁桃体だと考えるはずだ。

でも2024年には、わたしたちはこの還元的かつ機械論的な見方から脱却し、脳は意味論(セマンティクス)によって動いている、すなわち行動は意味に裏打ちされている、ということを理解するようになると、わたしは予測している。意味は、信念や目標、感情といった心理的概念と結びついている。この解釈に従えば、あなたがイヌの吠え声に一瞬ひるんだのは、扁桃体が活動したからではなく、あなたが恐怖を感じたからということになるのだ。

科学の観点から言えば、「意味」というのは少々漠然とした概念であり、ほとんどの分野において、あまり重視されてはいない。意味が存在する場所を特定することもできなければ、量を測ることもできず、客観性もないからだ。

その一方で、「意味」は生物がこの世界を生き抜くために絶対に必要なものでもあるらしいのだ。例えば最近の研究で、新しい画像技術を用いて動物の脳のさまざまな領域における数万ものニューロンの活動をモニターしたものがある。この研究によって明らかになったのは、ある特定の行動反応を引き起こしていると思われるものが個々のニューロンの発火ではなく、ニューロンの活動の巨視的なパターンであるということだ。この巨視的なパターンは、信念や感情、目標、意思など、その生物にとって意味をもつ概念を表している。

例えば、何かを視覚でとらえた際に発生する神経活動の巨視的なパターンは、この世界に特定の何かが存在すること、すなわちそれが具体的な物体だということを意味する可能性がある。こうしたパターンは、その物体の特性について知っていることに基づいて出現し、そこには、ほかの物体との関係性も含まれる。つまり、ほかのそれぞれの物体に関するパターンとの因果関係もまた、含まれるのだ。最終的には、こうしたまとまった意味のある情報が行動を引き起こす。ということは、こうしたパターンもまた、何かを意味しているということだ。

リンゴに手を伸ばすのはなぜか

例えば、視界のなかにあるリンゴに反射した、ある特定のパターンの光の粒子があなたの網膜に当たると、あなたの脳内でリンゴが現にそこに存在するという推論を示す活動パターンが発生する。するとあなたは、リンゴは果物の一種で、こういう触感でこんな香りや味がして、かじったり調理したり投げたりできるといったリンゴの特性に関してあなたがもっている知識を、その推論と結びつける。こうしてあなたは、置かれた状況に応じて行動を導くのだ。言い換えれば、あなたが手を伸ばしてリンゴを取ろうとする(あるいはしない)のは、あなたがリンゴを見て空腹を感じたからであって、ニューロンが頭の中で発火したからではないということになる。

2024年には、こうした新しい概念の体系化が進み、当然ながら人工知能(AI)の分野においても主観的な意味論の実装に対する関心が高まっていくだろう。意味が行動を導く仕組みをしっかりと理解すれば、真に主観的な視点をもつ人工エージェントの創造に近づくことができるかもしれない。次の問題は、もちろん、それを実行すべきかどうかという点になるだろう。

ケヴィン・ミッチェル|KEVIN MITCHELL
アイルランドのダブリン大学トリニティ・カレッジの准教授。『Innate』『Free Agents』の著者。遺伝学と神経科学が専門。脳の神経回路の配線を規定する遺伝的プログラムの解明と、ヒトの能力の関連性に関心がある。

SPECIAL THANKS TO RYOTA KANAI/TRANSLATION BY TERUMI KATO ,  LIBER /EDIT BY ERINA ANSCOMB

※雑誌『WIRED』日本版 VOL.51 特集「THE WORLD IN 2024」より転載。


雑誌『WIRED』日本版VOL.51
「THE WORLD IN 2024」

アイデアとイノベーションの源泉であり、常に未来を実装するメディアである『WIRED』のエッセンスが詰まった年末恒例の「THE WORLD IN」シリーズ。加速し続けるAIの能力がわたしたちのカルチャーやビジネス、セキュリティから政治まで広範に及ぼすインパクトのゆくえを探るほか、環境危機に対峙するテクノロジーの現在地、サイエンスや医療でいよいよ訪れる注目のブレイクスルーなど、全10分野にわたり、2024年の最重要パラダイムを読み解く総力特集!詳細はこちら


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