アメリカ大陸の先住民に日本の影響? 米国で発見された16,000年前の石器との「共通点」が示唆すること

米国で発掘された16,000年前の矢じりや槍の先端に用いられた尖頭器と呼ばれる石器について、興味深い発見がこのほど論文で発表された。日本で発掘された尖頭器と似ていたことから、日本を含むアジアとアメリカ大陸の先住民が何らかの交流があった可能性が示唆されている。
Cooper's Ferry site
Loren Davis

およそ16,000年前のカナダは、現在のグリーンランドで見かけるような大きな氷床に覆われていた。現在の米国のある場所から北へ向かう人々は、「非常に劇的な風景の変化」を目の当たりにしていたと、オレゴン州立大学の考古学者であるローレン・デイヴィスは語る。「アイダホやワシントンから北上すると、氷の壁に突き当たったのです」

まさにドラマシリーズ「ゲーム・オブ・スローンズ」のような世界だが、氷の壁は死者の軍勢を食い止めるためではなく、通常はコロンビア川に流れ込むいくつかの支流をせき止めていた。ところが、氷の壁は定期的に打ち破られ、五大湖の小さめの湖に相当する量の水が放出されたのだ。「これによって北西部の内陸部に壊滅的な洪水が発生したのです」とデイヴィスは説明する。

アイダホ州西部のクーパーズ・フェリーと呼ばれている地域では、人類は幸運なことに水が氾濫する平野の上を流れる川沿いに住んでいた。さらに、その土地を多くの動物と共有する幸運にも恵まれた。いまでは絶滅してしまったマンモスや在来種のウマに加え、ラクダまでいたと考えられている。

「わたしたちがいま知っている世界とはまったく違うものでした」と、デイヴィスは語る。「漁業や植物の利用といったほかの活動に関する考古学的な証拠は、あまり見つかっていません。しかし、それは人々がそうした活動をしていなかったという意味ではなく、わたしたちがまだ見つけられていないだけなのです。とはいえ、狩猟は非常に重要だったと考えています」

16,000年前の尖頭器の発掘が意味すること

その根拠は、デイヴィスをはじめとする考古学者たちが、クーパーズ・フェリーの北米先住民であるネズ・パース族が代々住む土地で発見した驚くべき遺物にある。その遺物とは「プロジェクタイル・ポイント(尖頭器)」と呼ばれる14の武器のことだ。研究者らは科学誌『Science Advances』に2022年12月に掲載された論文で、これらについて解説している。

尖頭器とは、ダート(狩猟用の投げ矢)や槍の先端、矢じりなど、人間が手で研いで作成した武器の先端部分のことだ。発見された尖頭器に混じっていた動物の骨に放射性炭素による年代測定を実施したところ、それぞれの年代の平均は約16,000年前となり、これまでアメリカ大陸で発見された尖頭器で最も古いものであることが判明したのである。

「技術は人類の大きな特徴であり、それを考古学的に測定できることは本当に重要です」と、デイヴィスは語る。「形状や設計、そして尖頭器の幾何学的な構造を分析してどのように製造されたかを理解することで、当時の人々の頭のなかを覗き、技術についてどのように考えていたかを知ることができます。どうすれば大きな石を自分たちが食料を得る上で有用なものに変えられるか、といったことです」

エリアBの人工遺物

Photograph: Loren Davis

この恐ろしい尖頭器は非常に有用だったことだろう。上の画像から見てとれるように、これらの尖頭器は火山性のものと非火山性のものを含め、いくつか異なる石でつくられている。材料となった石は、尖頭器のつくり手がクーパーズ・フェリーから徒歩1日以内の場所で採取できるものだった。

下の写真は尖頭器の元の形状を示している。尖頭器はそれぞれ0.5インチ(約1.27cm)から2インチ(約5cm)程度だが、驚くほど先が鋭い。シカの枝角の先端を押し付け、石のかけらを削り取ってつくったものと考えられている。尖頭器の下の部分は長方形の“茎状”になっているので、これを例えば4〜5フィート(約1.2〜1.5m)の長さの木製の軸に取り付ければ、投げ矢をつくることができる。

クーパーズ・フェリーの遺跡の坑道の内外から発見された尖頭器

Photograph: Loren Davis

大きな動物を仕留められる威力

長さ1インチ(2.5cm)の尖頭器で、北米の大きな動物にどれほどのダメージを与えることができたのだろうか。どうやら、かなりのダメージを与えられるようだ。

というのも、おそらく人々は槍投げ器を使用していたからである。槍投げ器はフックのような専用の道具で、手で投げるよりはるかに大きな力で矢を放つことができる。鋭い先端と木製の軸の重さが組み合わさって、1本1本に大きな貫通力を与えるのだ。

「すべての動力をとても小さな衝突点に集中させているわけです」と、デイヴィスは説明する。「従って、とても深く刺すことができます。そして、それこそが目的です。動物を非常に鋭い武器で刺すことで、心血管系の機能不全に陥らせます。臓器に穴を開けるだけでいいのです」

つまり、これらの尖頭器は先史時代の徹甲弾であり、動物の臓器に大きな損傷を負わせることができる。心臓に直撃すれば、死に至らしめることができるわけだ。

ほかの臓器に穴を開けて内出血させた場合は、もっと時間がかかるかもしれない。だが、現代のハンターがライフル銃で狩りをするときと同じように、あとは獲物が倒れるまで追いかければいい

「大きな動物を仕留めるために、それほど大きな尖頭器は必要ないでしょう」と、オレゴン大学の環境考古学者であるカテリン・マクドナウは語る。マクドナウはアメリカ大陸にやってきた初期の人類の研究をしているが、今回の研究には関わっていない。

「人々がこれらの尖頭器で何を狩猟していたかまでは推測しません。しかし、この地域は川の近くなので、おそらく人々は狩猟や釣りでさまざまな食物を得ていたことでしょう」

これらの尖頭器は、考古学者らがアメリカ大陸で発見したよりしっかりした他の尖頭器ほど耐久性はない。だが、製造にかかる時間が短く、材料も少なくて済む。

「何度も研ぎ直すことはできないかもしれませんが、新しいものを手早くつくれるのです」と、デイヴィスは説明する。「つまり、兵器の技術開発において2つの考え方があったということなのです」

アメリカ大陸の先住民はいつ、どこから来たのか?

興味深いことに、クーパーズ・フェリーで発見されたこれらの尖頭器は、日本で発見された同年代のものと似ている。このことは、アメリカ大陸の原住民について科学界がいま議論している問題に光を当てることになるかもしれない。人々がいつ、どのようにアメリカ大陸にやってきたかという問題だ。

過去数十年にわたって相次いだ考古学的な発見により、アメリカ大陸に人類が移住してきたとされる時期はどんどん早まっている。

以前までは、氷が溶けた12,000年前ごろにクロヴィス人(ニューメキシコ州クロヴィスで発見された遺物からその名がついた)がシベリアから徒歩で北アメリカへと渡ったと考えられていた。ところが、考古学者たちはテキサスフロリダチリペルーなど、アメリカ大陸のいたるところで13,000年前、14,000年前、さらには15,000年前の「クロヴィス以前」の時代の遺物を発見したのである。

これらの尖頭器が16,000年前のものであれば、アメリカ北部がまだ氷に閉ざされていた時代につくられたことになる。そうであるなら、人間が内陸部を歩いて南下したとは考えにくいと、デイヴィスは言う。

「当時は氷が多すぎて、北から南へ移動できるような開口部がなかったのです」と、デイヴィスは説明する。「しかし、16,000年前に氷床の南側にあるクーパーズ・フェリーに人がいたということは、人類は何らかの方法でそこにたどり着いたということなのです」

2017年、クーパーズフェリー遺跡のエリアB発掘の様子

Photograph: Loren Davis

アジアから船で渡ってきた可能性も

デイヴィスやほかの考古学者が提唱する説のように、人々は北東アジアから船でやってきて、途中で野営しながら太平洋の海岸に沿って南下したのかもしれない。

「太平洋沿岸は最も可能性の高い場所です。17,000年前から16,000年前ごろは地面が露出しており、人が住める場所があった可能性があります」と、ネバダ大学リノ校でグレートベースンにおけるパレオ・インディアン研究ユニットのエグゼクティブ・ディレクターを務めるジェフリー・M・スミスは説明する。スミスは今回の研究にはかかわっていない。「海岸に沿って露出した居住可能な土地から土地へと、ある種の船を使って短い旅を繰り返していたのかもしれません」

しかし、この仮説にはいくつか考古学的な問題が伴う。第一に、この時代にアジアからアメリカ大陸へ海路で移動する技術があったことを示すような船の遺物は見つかっていない(とはいえ、これは船が存在しなかったことを意味しているわけではない。人類は60,000年前にアジアからオーストラリアへと移動しており、そのためには長距離を移動できる船が必要だったと考えられているとデイヴィスは指摘する)。そして世界が現代のわたしたちが享受している温暖な気候に移行すると、氷が溶けて海面が上昇することで太平洋の海岸線が移動し、遺物が水没した可能性がある。

人類がなぜ移動をしたのかという疑問も残る。だが、この問いへの答えは見つからないかもしれない。

「北東アジアから北米の北西部に移動した動機が何であったかを知ることは困難です」と、スミスは言う。「これらの地域は陸続きでしたから、人々が『よし、わたしたちはこの船に乗る。二度と会うことはないだろう』と言って旅立ったわけではないでしょうから」

そうではなく、アジア人のコミュニティとの接触を保ちながら、太平洋の沿岸を無理のないゆっくりとした速度で徐々に南下したのかもしれないのだ。

クーパーズ・フェリーの遺跡の坑道から出土した遺物を記録する発掘作業員

Photograph: Loren Davis

古代の社会的ネットワークが存在した可能性

デイヴィスとその同僚らには、日本とアメリカ大陸のグループが遺伝的に関連していたかどうかはわからない。この仮説を裏付けるような遺伝物質は見つかっていないのだ。しかし、それぞれの集団がつくった尖頭器が似ていることは、古代の社会的ネットワークのようなもの、つまり技術の共有があった可能性が考えられる。

「遺伝子が同じかどうかは必ずしも重要ではありません」と、デイヴィスは語る。「世界のほかの地域から来た人がいるとします。あなたはiPhoneをもっていて、その人も同じ技術をもっていたとしても、必ずしも2人が遺伝的に関係しているということにはなりません」

人類がアジアからアメリカ大陸にやってきたとしたら、同じような尖頭器を使っていることの説明がつく。「北日本とのつながりをもち込むと、旧世界と新世界の人類が同じ時代にどうつながっていたかに関していい仮説ができます」と、アメリカ自然史博物館の北米考古学における館内在住のシニア学芸員であるデビッド・ハースト・トーマスは語る。トーマスは今回の研究には関わっていない。

この仮説はまだ初期の段階にあり、批評やさらなる裏付けが必要だ。「それでも、これは画期的なことだと思います」と、トーマスは語る。

この時代におけるアジアとアメリカ大陸とのつながりは、ひとつだけではなかったかもしれないと、デイヴィスは考えている。人々が尖頭器の知識を携えてやってきた後、また別の集団が続々とやってきて、海を超えた技術のネットワークを維持し、アメリカ大陸の人口における非常に複雑な歴史にさらに興味深い影響を与えたのかもしれない。

日本とアイダホで発見された遺物について、「遠く離れた2つのデータだけでは、このようなネットワークが時間と場所を超えてどのように機能していたかについて多くを知ることはできません」と、デイヴィスは話す。「しかし、これは研究の出発点になります」

WIRED US/Translation by Nozomi Okuma)

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