今日のデジタルトランスフォーメーション(DX)は、システム導入にばかり焦点が当たり、「どんな未来をつくりたいのか?」という視点が後回しになりがちかもしれない。しかし本来、DXはデジタル革命によって企業や社会、生活のあり方を根本から再構築する、深い視座をもつ概念だったはずだ。

効率重視や業務改善ではない、生活や社会をよりよくするDXとは一体どういうことか。2022年3月に博報堂とアルスエレクトロニカが開催した「Art Thinking Forum Tokyo」は、そうした「デジタルトランスフォーメーションがもたらす未来」をさまざまな有識者と探っていくイベントとなった。

初日に行われたセッションのタイトルは「デザインシンキング×アートシンキング×生活者発想 IDEO×ARS ELECTRONICA×HAKUHODO -よりよい『トランスフォーメーション』のために」だ。

IDEOの会長ティム・ブラウン、アルスエレクトロニカ総合芸術監督のゲルフリート・シュトッカー、そして博報堂の取締役常務執行役員・藤井久が登壇。今回のサブタイトル「誰のためのトランスフォーメーション?」を軸に、わたしたちはどんな未来を望み、どのように行動すべきかを語った。

「どんな未来を望んでいるのか」を積極的に問う

気候変動を筆頭として複雑な課題が増え続ける現代において、いまデザインはどのような立場に置かれているのだろうか。

IDEOのティムは、「多くのステークホルダーがかかわる仕組みがなければ解決できない課題を前に、困難に直面している」と答える。プロダクトデザインやグラフィックデザインは少数の専門家が携わることで課題解決に取り組めたかもしれないが、地球規模の課題には一般の市民までを巻き込み、デザインシンキングを羅針盤にして「共に」構想していく必要があるという。

しかし、この困難な状況に対して、ティムは「非常にエキサイティングだ」、「過去30年以上のキャリアのなかで、いま以上に未来にかかわっていると感じるときはない」と肯定的に答える。未来が不確実だからこそ、楽観的な態度に基づいて未来をつくろうとすることが重要だという。

ティム・ブラウン|TIM BROWN
世界的なデザイン・イノベーション企業であるIDEOの会長であり、kyu Collectiveの副会長。著書『Change By Design』は、世界中のビジネスリーダーにデザイン思考を紹介し、ベストセラーとなっている。

アルスエレクトロニカのゲルフリートは、ティムの姿勢を賞賛しながら、トランスフォーメーションの実践において楽観主義が不可欠である理由を語った。

「いまの世の中はパンデミックや気候変動、戦争まで多くの脅威が差し迫っています。しかし一方で、『悲観主義になるにはもう遅すぎる』と考えて、前向きな態度を選ぶこともできます。では、どうすればわたしたちが思い描いてしまいがちな悪いストーリーを回避できるのか。その鍵を握るのが、ティムが体現している楽観主義です。いまこそ創造性をもって困難な課題に対処するアプローチをはじめる時なんです」

ゲルフリートによれば、わたしたちは楽観主義によってアイデアやワクワク感、そして「何かができる」という感覚が強まり、自分の頭で考えてアクションを起こしていけるようになるという。未来をただ受け身で待つのではなく、「どんな未来を望んでいるか」を積極的に問い、どうすればよいのかを考えて行動することが重要だとふたりは言う。その上で、ゲルフリートは以下のように語った。

「アートシンキングには、アーティストの視点や感受性を取り込むだけでなく、アートを触媒として『テクノロジーがもたらす未来』を変える可能性があります。アートシンキングがビジョンと哲学を問い、デザインシンキングが未来や課題についてどう対話するかを示す。こうしてわたしたちは、今日直面する課題に対して、力を合わせて、地球上の生命を守る新しい方法を考えられるのです」

ゲルフリート・シュトッカー|GERFRIED STOCKER
アルスエレクトロニカ総合芸術監督。フェスティバルのほか、アルスエレクトロニカ・フューチャーラボの設立、アルスエレクトロニカ・センターの企画責任者を担うなど、アルスエレクトロニカのトップとして活躍中。

価値あるDXを生み出すための「何が(What?)」の問い

ティムは、今日のDXが「どのように(How?)」ばかりを問うことが多いと指摘する。例えば、「どのように仕事を変えるか」「どのように経営を変えるか」「どのようにデジタルに置き換えるか」といった問いだ。

しかし、価値あるトランスフォーメーションを生み出すためには「何が(What)」を問うことが重要だとティムは説く。「何が目的で、何を成し遂げるのか」、「何のための仕事なのか」を明確にすることで、わたしたちは創造性をもって社会変化へ取り組めるという。その際に、デジタルが必ずしも必要ではないことがある。例としてティムが挙げたのが、学習体験の再構築や、新たな学習モデルの活用により、発展途上国の中産階級の学力底上げにペルーから挑んだ「Innova Schools」プロジェクトだ。

「このプロジェクトで、『もしわたしたちがアナログ・デジタルの垣根なく、全てのツールを駆使して学校のデザイン、カリキュラム、教師の育成方法を変えられたら、何が実現できるか?』と問いかけました。その後、米国のカーンアカデミーと協働しながら、物理的・社会的な『学校体験のトランスフォーメーション』を実現し、『Innova Schools』はペルーに60校以上広まり、目覚ましい成果を挙げています」

ティムによれば、「Innova Schools」出身の子供は国内平均の3~4倍を上回る数学や語学の成績を挙げ、初期の卒業生は現在スタンフォード大学を筆頭に、欧州や米国など世界各地の教育水準の高い大学に通っているという。子どもたちの大半は月150ドルの授業料を支払えないほど貧しい家庭の出身であり、奨学金を使って学校に通い続けているが、その費用対効果は十分すぎるほどだ。

また、ティムは価値あるトランスフォーメーションのもうひとつの事例として、ビル&メリンダ・ゲイツ財団による『Last Mile Money』を挙げる。アフリカやアジアの農村で暮らしており、サービスが行き届いていない女性やコミュニティをデジタル経済に結び付けることに焦点を当てたスタートアップアクセラレーターだ。IDEOが支援に入って以来、ケニアやサブサハラ・アフリカ地域の国やインドでさまざまなサービスを拡大させてきた。

「DXは大企業が効率やスピードを求めるだけのものではなく、社会の片隅にいる人たちのものでもあります。世界の発展途上地域にいて、わたしたちが当たり前だと感じるものにアクセスできない人たちにも変容をもたらすのです。そのトランスフォーメーションは、デジタルを手段として用いなくても実現できるかもしれません」

(写真左上より)藤井久、ゲルフリート・シュトッカー、ティム・ブラウン、竹内慶(博報堂)、小川絵美子(アルスエレクトロニカ)

アートシンキングと生活者発想の交差点

藤井は、博報堂が「生活者発想」に基づいて取り組むサービス創出プロジェクトにおいても、「何のために?」を重要視していると言う。その事例として挙げたのが、富山県朝日町と博報堂が協業して開発するマイカー乗り合い公共交通サービス「ノッカル」だ。

「ノッカル」は、移動したい住民と、おでかけのついでに誰かを乗せられるドライバーをマッチングする移動支援サービスだ。地域において深刻化する移動の不便さや、公共交通の維持といった課題解決を目指している。

「地方の人口過疎地で『移動のDX』を謳い、デジタルに課題解決を目指すと、大きくて管理が複雑なシステムを導入することになります。しかし、地方の公共交通は高齢化や人口減少による税収入の低下などにより衰退しているわけで、大きなシステムは採算が合いません。そこで、わたしたちは『何のための移動か?』を再考し、課題を『コミュニティのDX』として捉え直しました。地方における移動は、人と人が集まるためのプロセスです。大事なのは移動そのものではなく、出会ったりつながること。だとすれば、昔からある日本の『せっかくだし乗っていけば?』というコミュニケーションを、アプリで再構築すればよいと考えたのです。その結果、家にこもりがちなお年寄りが、『ドライバーと話すのが楽しいから』と積極的に外出するようなポジティブな行動が生まれました」

DXのプロジェクトでは、システム導入にばかり焦点が当たり、「本当は何をしたかったのか?」が後回しになることがある。そこで必要なのは、人々の根本的なニーズを考える「生活者発想」であり、ビジネスを生み出す源泉となるアート的な創造性だと藤井は指摘する。

「ひとつのアイデアとして提案したいのは、企業のなかにアーティストを置くことです。アーティストたちは非常に鋭敏な感覚のセンサーをもち、誰よりも先行して『なにか嫌だ』『これはおかしい』といった予兆を察知できます。アーティストは『いま人々はこんなことを感じはじめています』と生活者発想で気づき、いち早く解決策を提示することで、ビジネスに創造性をもたらせると考えています」

藤井 久|HISASHI FUJII
博報堂 取締役常務執行役員/エグゼクティブクリエイティブディレクター。1985年博報堂入社。飲料、クルマ、通信、ゲーム、精密機械、銀行、輸送、食品、化粧品、保険、トイレタリー、新聞社、電気機器など、ありとあらゆる業種の広告キャンペーンを担当。カンヌ、ACCをはじめ、数多くの広告賞を受賞。

これからのトランスフォーメーション

ティムは、「次にどんなデザインをしたいですか?」という質問に対して、いま取り組みたい領域としてWeb3を挙げる。その理由として、人類の「信頼関係の構築」をトランスフォーメーションし、人々の協働のあり方を再設計できるからだという。

「Web3はこれまで数百年にわたって存在したコレクティブや協働組合を新たな形態に変化させる可能性を秘めており、とてもワクワクします。興味深い例が、映画監督のフランシス・フォード・コッポラが始めた映画制作のコレクティブ『Decentralized Pictures』です。ここで人々は執筆や演出・制作などさまざまな役割で貢献し、集団でその成果を共同所有できます。デザイン業界も同様の欠陥を抱えていますが、集団でデザインしても大きな利益を得るのはいつも少数の人々や組織です。しかし、Web3ではわたしたち全員が利益を享受できるのです」

ゲルフリートは、この発言に賛同を示しながらも、新しいテクノロジーの議論には「デュアルな視点」が必要であると留意事項を示す。ひとつは、高度な技術やデジタルリテラシーをもつ「技術者の視点」だ。テクノロジーの世界では、コードやソフトウェアがどう動いているかわかる人たちが、素晴らしいアイデアを生み出し実現しやすいからだ。他方で忘れてはいけないのは、「人間中心の視点」だとゲルフリートは語る。

「Web3がもたらす世界の変化は素晴らしいものですし、わたしもエンジニア出身なので本当にワクワクしています。一方で冷静かつ批判的に考えなくてはなりません。『人々が信頼関係を構築するために、なぜ新しいテクノロジーが必要なのか? それは本当に人々のためになるのか?』という問いがまだ残されているからです」

技術者としての視点と、人間中心の視点──このデュアルな視点を獲得するには、新しい時代に沿った教育が必要になるのではないか。ここにテクノロジー、創造性、批判理論、そして歴史に対する深い理解に基づく「新しいリベラルアーツ」のフロンティアが存在する、とティムは指摘する。そして、アルスエレクトロニカがかかわるオーストリアでの新大学創設プロジェクトや、「Festival University」というイベントは、その試みの延長線上にあるという。

最後にゲルフリートは、地球規模の課題に人々が「共に」向き合う時、アートが果たせる役割について次のように語った。

「人類はアート制作やアートフェスティバル、アートイベントを何千年も前から行なっています。なぜなら、アートは人々を参加させる触媒として非常に強力だからです。一緒に共有できる体験をつくりだし、力と体験をつなぎ合わせる。エネルギーやアイデアのきっかけを供給することで、人々を『参加』させ続けられる。これは、人々が『一緒に』次の世界のあるべき姿を模索していくなかで、間違いなくアートが提供できる力です」

ビジネスにも人々が「共に」考えるデザインの要素や、新しい創造性や人々の参加を促すアーティストの存在を取り入れていくことで、新たな視点やイノベーションが生まれてくるのかもしれない。そうすれば、DXの先にあるよりよい未来像がきっと見えてくるはずだ。

本イベントではそのほかにも、2つのセッションが開催された。ひとつは「Transformation for Innovation」。アーティストの福原志保と、デザインエンジニアでTakramのディレクターである緒方壽人、京都西陣で着物文化の継承に取り組む細尾の代表取締役社長である細尾真孝が登壇し、「伝統と革新-100年続くパーパスの実現」をテーマに語った。

また、もうひとつのセッション「Transformation for Society」では、NTTコミュニケーション科学基礎研究所 上席特別研究員の渡邊淳司、メディアアーティストの市原えつこ、アルスエレクトロニカ・フューチャーラボ リサーチャー&アーティストの清水陽子が登壇し、「『つなぐ/つながる』から考えるDigital Well-being」をテーマに鼎談を実施した。

3つのセッションを通じて描かれた「DXの本来のあり方」や「わたしたちがどんな未来を望むのか」を知ることで、トランスフォーメーションという言葉のもつ深い視座にぜひ触れてみてほしい。