東京の50年先、100年先という行政としては異例の長期スパンを見据えて、自然の豊かさと住む人の利便性が融合した持続可能な都市を構想する「東京ベイeSGプロジェクト」。その先鞭として、首都の膝下に広がるベイエリアで最先端テクノロジーの実装を進めることが最大のテーマだ。

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本プロジェクトでは、その実装に向けて世界をリードする各分野の識者と意見交換を重ねてきた。今回登場したのは、マリアナ・マッツカート。ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンで教壇に立つかたわら、英国政府や米国議会、欧州議会のアドバイザーを務め、ロンドン街区再生プロジェクトにもかかわるなど、ミクロ/マクロ双方の視座から多層的な経済や社会問題に取り組む、いま最もホットな経済学者のひとりである。

そのマッツカートは、東京ベイeSGプロジェクトの第一印象について「イノベーションを中心に据えて経済成長を図る、とてもラディカルな都市計画」と評する。

MARIANA MAZZUCATO

マリアナ・マッツカート | MARIANA MAZZUCATO
経済学者。ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン教授。著書に『ミッション・エコノミー』〈NewsPicksパブリッシング〉、『企業家としての国家 イノベーション力で官は民に劣るという神話』〈薬事日報社〉がある。世界の政策立案者にイノベーション主導の経済成長を提案し、英国政府経済諮問委員会の委員を務める。

従来であれば、「経済成長やイノベーション」「持続可能性」といったテーマの異なる取り組みは、それぞれを管轄する関係省庁・機関が個別に実装を進めていくのが通例だろう。しかし、1世紀先のライフスタイルや街づくりを見通して、それらすべてを内包する取り組みを東京都が先陣を切って進めていくというのが今回のプロジェクトだ。

テクノロジーが日進月歩で進化を続ける事実だけを見ても、容易なタスクでないことは明白だろう。だが、あえて「野心的な目標」を掲げることによって、プロジェクトのステークホルダーでもある民間企業や都民のイマジネーションに火を灯し、未来へ向けた地平が拓けるとにらんでいる。これはまさに、マッツカート自身が著書『ミッション・エコノミー:国×企業で「新しい資本主義」をつくる時代がやってきた』でも言及している“ムーンショット”と軌を一にしている。

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現代のムーンショット?

ムーンショットとは、1960年代に米国のジョン・F・ケネディ大統領が、アポロ計画を語る際に採用したアプローチだ。月面へ到達するという壮大なミッションを掲げたことで、宇宙・航空業界はもちろん、電子やソフトウェア、素材、食糧など、共感する数多くの民間セクターが米国政府のリーダーシップのもとに集結し、ミッション実現のため前代未聞のイノベーションを推し進めた。

マッツカートは、ひとりの天才によるものではなく、ムーンショットに代表される行政機関の積極的な目標設定がイノベーションや投資誘致を育んできたと主張する。そして東京ベイeSGプロジェクトもまた、21世紀のムーンショット計画といっても過言ではないだろう。それほどまでに野心的な青写真を描いていることは間違いない。これに対し小池都知事は、自身の見解を次のように語る。

「ケネディ大統領によるムーンショット計画では、まさに官民が一体となって月に向かって突き進みました。壮大な目標を示して、そこに進んでいく。その原動力は“共感”であったと思います。都政においても、いくら予算を投じたところで、都民の共感がないとうまく進みません」

YURIKO KOIKE

小池百合子 | YURIKO KOIKE
東京都知事。1952年、兵庫県生まれ。都民ファーストの会特別顧問。カイロ大学文学部社会学科卒業。アラビア語の通訳者やニュースキャスターとして活躍したのち、政界へ。92年より参議院議員、93年からは衆議院議員を務める。環境大臣や防衛大臣、自民党総務会長などを歴任。

かつて小池知事が環境大臣を務めていたころ、気候変動について声高に語っても周囲はポカンとしていたという。しかし『クールビズ』というキャンペーンを始めたところ、一気に共感を呼び、人々のマインドセットが変化しただけでなくエアコンメーカーもより効率のよい製品の開発へと動き出した。

まさに“共感”が社会変革やイノベーションを生み出した好例だが、今回の東京ベイeSGプロジェクトも、ケネディ大統領によるアポロ計画のように、100年後の東京の「あるべき未来予想図」を都民とともに描き出し、そこに共感を生むことで初めて有意義な社会実装が可能になるといえよう。

実際、国連のある調査では、現在の世界人口である75億人のうち半数以上が都市に住んでいるとの報告もある。さらに、2030年までには10人のうち6人が都市の住民になると予想されている。つまり、東京のような世界的大都市が率先して、社会生活や都市構造を変革していく明確なビジョンを示すことは、時代の要請に応える重要なアプローチにほかならない、と小池知事は説く。

キーワードは「測定基準の設置」と「柔軟な見直し」

マッツカートもまた、プロジェクトのステークホルダーたる民間セクターや市民の参画が不可欠であると説く。その上で、ステークホルダー全体が志向する具体的なミッションを設定し、プロジェクト全体を通じて施策の精査を長期的に重ねていくべきだと主張する。

「都知事が言うように、市民・都民を巻き込み、官民で力を合わせていかに“共創”できるか。ここがプロジェクトの中核になってくると思います。ただし、官民というときに気をつけなければいけないのは、その関係性を計る測定基準が不可欠だということです。つまり、どういったパートナーシップを組める可能性があるかを議論する必要があります」。例として「結婚」を挙げながら、マッツカートはこう続けた。

「プロジェクトの具体的な内容が、東京都にとってどんな意味をもつか。また、企業とどのように協働していくかを見ていくことは有用です。計画を実施して、1年後、2年後、3年後に当初の目標は達成できたのかを振り返り、その問いに対してイエスかノーで答え、ノーの場合はなぜできなかったのか、そこから何を学んだのか⋯⋯と次につなげていく。知識を東京都のなかに蓄えていくんです」

もちろん投資も必須だとマッツカートはいう。ブレインを集め、イノベーションが生まれやすい環境をつくっていくためだ。「ここでも測定基準を応用すべきです。一度決めたからといって、プロジェクトを闇雲に進めていくことは避けなければなりません。柔軟に、機敏に、コースを変更していくこと。これがとても重要です。住宅やロジスティクス、食糧問題など向き合うべきミッションはたくさんありますから、それらすべてを大胆なムーンショットのプロジェクトへと昇華させ、官民で共創していくことが必要だと思います」とマッツカートは熱を込めた。

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行政に起業家精神を!

官民の共創のなかでも、例えば人工知能(AI)やブロックチェーン、ロボット、メタバースなど、現代において指数関数的に進歩するテクノロジー分野は、民間主導のケースが多くなることが予想される。その場合、東京都のような行政府が共創のパートナーとして務めるべきは、潜在的にはハイリスクともなり得る「前向きな投資」だろう。行政の金の使い方には、その賛否に関する議論が多くつきまとう。だが、この問題もまたミッション、および、そこから生まれる成果に対するステークホルダーたちの共感が鍵になると見越し、小池知事は次のように語る。

「東京都がインべスター(投資家)だとすれば、そのインベストメントの利益を得るのは都民です。そしてその都民は、タックスペイヤー(納税者)でもあります。では、ステークホルダーである都民が得るべきインべストメントの対価は何かといえば、それは希望や夢といった大きな未来、つまりはビジョンであり、またそれを実現できる社会の形成やその必要性をみんなで共有し、理解することだと考えます。これこそが都民の最大の報酬になるのです」

公益とは、従来のように単に行政だけでつくり出すものではないという都知事は、DX(デジタルトランスフォーメーション)やデジタライゼーションはもとより、豊かな自然環境との共存、ウェルビーイングの実現などに向けて、行政がリーダーシップを発揮していく必要性や、ビジョン・戦略をもって多くのステークホルダーを巻き込みながら前進することの重要性を強調した。

また、気候危機やパンデミックといった困難に直面する時代においても、そうした新たなマインドや価値観によって道を切り拓いていくのが東京都の役割だという。この小池都知事の意見に対してマッツカートも、行政をはじめとする公的機関が起業家としての精神をもち、リスクや不確実性をむしろ歓迎するようなマインドを備えることが必要だと賛同を表する。

「行政府が起業家としてのマインドをもつという考え方は、まだまだ世の中の中核にはなり得ていません。でも、公的機関がリスクをとるだけでなく、その見返りをステークホルダーときちんと共有できるという自信をもつべきだ、というのがわたしの考えです」

大きな政府VS.小さな政府という二元論や、すべてを市場に任せる新自由主義など、これまでの議論を超越した「行政府と経済の新しい関係性」が模索されるいま、小池都知事とマッツカートが声を合わせて主張する「起業家としてのマインドをもった行政府」というアプローチは、そのひとつの解を提示することになるかもしれない。

[ 東京ベイeSGプロジェクト ]

東京ベイeSGプロジェクトを加速させる取り組み
東京都が2022年2月に公表した「『未来の東京』戦略 version up 2022」内で、世界最先端の都市の実現に向かう新たな展開を明示した。
・「自然」と「便利」が融合する持続可能な都市の実現に向け、先行プロジェクトを実施。4月1日に実施方針を公開。
・サステイナブルな未来の東京を共に創造するプラットフォーム「東京ベイeSGパートナー」の募集を4月1日から開始。

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