自然界のやさしい風を再現した扇風機のヒットをはじめ、「感動の香りと食感」を訴求するトースターなどで生活家電の常識を変えてきたバルミューダ。そんな同社がデジタル機器を扱う新ブランド「BALMUDA Technologies」の第1弾として投入した5Gスマートフォン「BALMUDA Phone」は、独特のデザインや使いやすさを重視して再構築したアプリなどを特徴としている。

4.9インチのディスプレイをもつ、手のひらに収まりやすいコンパクトなサイズ感と軽さ。手になじむカーブで構成された背面フォルムと、石を思わせるテクスチャー。カメラは1つで光学ズームはなく、スケジューラーやメモ、時計、計算機は独自開発で個性的なユーザーインターフェース(UI)をもつ──。

これらの特徴は、いまのスマートフォンの“常識”に反していると言っていい。人気のスマートフォンは、どれも大きく高精細なディスプレイを搭載し、直線基調の本体は薄さを競って“板”のようになっている。そして光学ズームや画素数といった性能や機能を競うカメラを搭載し、アプリや写真、動画を大量に保存できるストレージの容量は増え続けているのだ。こうした数値で測れるスペックの追求こそが、いまのスマートフォンのバリューになっていると言っても過言ではないだろう。

だからこそ、こうした常識とは異なる価値を追及したBALMUDA Phoneのことを「低スペック」と評する声も上がっている。確かにスペックだけを比較すれば、そう見えるかもしれない。だが、デザイン・イノベーション・ファームTakramの渡邉康太郎は、「誰にもお願いされていない、あえて“外れ値”を狙ったスマートフォン」なのだと、BALMUDA Phoneを評する。

Takramの渡邉康太郎はBALMUDA Phoneについて、「誰にもお願いされていない、あえて“外れ値”を狙ったスマートフォン」なのだと評価する。

“外れ値”を提供することの価値

渡邉が言う外れ値とは、統計における“他から大きく外れた”値のことだ。仮に大半のデータが「0」と「1」の間に存在するなか、ごく少数「2」がまぎれ込んでいた場合、その「2」が外れ値となる。除外対象になってしまうこともあるが、そうした“外れ値”こそが可能性を秘めていると、渡邉は語る。

「一見して想定外のもの、外れ値に見えるものが、誰かの心を打つことって多々あると思うんです。例えば、ギフトがそうですよね。人に物を贈るとき、マーケティング調査のように何が欲しいか尋ねるのは野暮です。その人がまだ欲しいとは意識していない、つまり既存の評価軸では“外れ値”にあるけれども、いざ受け取ると、こんなものが欲しかったんだ、と思えるものを、渡す側は考えるわけです」

つまり、顕在化していなかった欲望に応える可能性を、“外れ値”は秘めているというわけだ。

「贈りたい相手が、本をよく読むとしましょう。その人の読書シーンを思い浮かべて、手になじみそうなマグカップとお茶を贈ろうと思いつく。一緒に食事したときに、ハーブが好きだと聞いていたから、山椒が入ったほうじ茶なんかどうだろう──と。こうしたギフトによって、贈られた人の顕在化していなかった欲望が開かれることがある。こうしたギフト的なものづくりを、バルミューダはしているのかもしれません」

その点でバルミューダは、まだ見ぬ価値という“外れ値”を提供することで、驚きをもたらし続けてきたと言っていいかもしれない。渡邉は、次のように読み解く。

「扇風機の羽根を二重構造にして自然の風を再現した『The GreenFan』だって、誰かにお願いされて生まれたわけじゃない。それでもあえてつくるんだ、という態度には強く共感します。BALMUDA Phoneにも、その態度は通底しているはず。あえてスペックを犠牲にしながら引き算して、一方でつくり込むところはつくり込む。そのバランス感覚は素晴らしいです」

独自開発の計算機アプリは、通貨や単位の換算機能も備える。こうした新しい価値の提供は、顕在化していなかった欲望が開かれるような「ギフト的なものづくり」にどこかでつながるかもしれないと、渡邉は言う。

自己を変容させる「習熟の道具」

製品がスペック至上主義に陥っていくと、驚きや喜びの確率はどうしても下がってしまう。新たな製品が発表されたとしても、どこかで見たような、触ったようなものになりがちだ。しかし、それは効率を目指すことによる必然なのだと、渡邉は説明する。

「言わずもがなですが、道具は何らかの目的のために存在しています。クギを打つ、穴を掘る。こうした道具の進歩が目指す先は、究極的には目的を果たすために効率を上げることだという見方もできる。実際に電動ドライバーは自力でネジを回すより明らかに便利で、時間も手間も減らしてくれます。洗濯機だってそうです。いまさら手洗いで洗濯したいとは思う人は少ないでしょうから」

スマートフォンを「道具」として捉えると、やはり1台にあらゆる機能が詰め込まれ、タスクを簡単かつ素早く処理できるようになりつつある。だが、常に手に触れる道具でもあるという観点から考えると、便利さだけを追い求めないという視点もあっていいのではないか。

「実際に便利さだけを求めない道具も数多くあります。例えば弓道や馬術、茶道といった芸道で使われるものや、乗り物や楽器といった『習熟』を要するものです。時間をかけて使っていくうちになじみ、身についていくもので、基本的にショートカットはありません。そして、自分とその道具の相性でしか生まれない結果や『心地』を求めていくわけです。そうした道具は、進歩のゴールが『高いスペック』にならないところが面白い。効率より非効率を極めるなかに楽しみが宿る。そうしたものを、もっと歓迎したいんですよね」

そうした非効率を究める体験によって自身が変容していく過程を受け入れ、進歩していくことこそが「習熟」であり、学習なのだと渡邉は指摘する。

「スポーツやゲームだって、イージーモードでやり続ける人はほとんどいませんよね。多くの人が徐々に難易度を高くしていくと思います。つまり、人間の特性として、わずらわしいほうへ進んでいきたいという欲求もある。そこに、能力開発が寄り添っていく。『学習』とは何かの知識を得て蓄積させるプロセスだと思われがちですが、本質的には自分が得てきた偏見を手放していく『喪失』のプロセスでもあります。時間をかけながら自身が変容していく過程を味わうことなんです」

そして渡邉は、一見すると“スマートさ”に欠けるように思える道具には、人間を変容させる余地があるのだと言う。その一例として渡邉が挙げたのが、南アジア地域の女性が着用する民族衣装のサリーだ。

「サリーは1枚の布で、シャツのように人間の身体の構造に沿ってつくられた衣服とは相反するものです。どちらがスマートかと問われれば、普通はシャツと答えるでしょう。でも、サリーなら日差しが強いと思えば裾の部分を伸ばして頭を隠したり、砂ぼこりが立ったら口元を覆ったりもできる。こうした行為のときに何が起きているのかというと、環境への適応を学んでいるんです。サリーは道具としてはスマートではないかもしれない。でも、人のスマートさを引き出している」

つまり、こうした現代の“常識”に照らせばスマートとは感じられないような道具であっても、実は環境への適応を学ぶという行為が潜んでいる──というわけだ。そこに重要な価値が潜んでいるのだと、渡邉は指摘する。

「一見すると“スマートさ”に欠けるように思える道具は、むしろ人間を変容させる余地がある。手間をかけたり人間の負担を増やしたりといったことのなかに、体験価値が潜んでいる場合があるんです」

一見すると“スマートさ”に欠けるように思える道具には人間を変容させる余地があるのだと、渡邉は語る。

表現力を高められる道具として

BALMUDA Phoneに話を戻そう。21年11月に発売されて以降、BALMUDA Phoneはソフトウェアのアップデートによって着実に進歩を遂げている。この5月にも、文字の視認性を高めるべく新フォント「AXIS Balmuda」を導入したばかりだ。独自アプリもUIや使い勝手が改良され続けているなど進化の最中にあり、“未完”のスマートフォンと言っていい。

そんなBALMUDA Phoneは、渡邉が言うところのスマートネスを高めるコンテクストに当てはまるのだろうか。しばらくBALMUDA Phoneを使った率直な感想を尋ねた。

「まずは王道から外れようとしている心意気、実際につくってしまった事実に敬意を表したいですね。それにサイズが大きなスマートフォンだとパンツの前ポケットに入れると気になったりしますが、違和感がなく使えたのもいい」と、渡邉は評価する。一方で、こんな異論も飛び出した。

「予定を一覧しやすいスケジューラーや、面積や長さなどの単位換算が簡単にできる計算機も試して便利だと思いました。でも、『便利』でいいんだっけ? BALMUDA Phoneが突き詰めるべきところって、そこなんだっけ? 正直に言うと、そんな疑問を抱いたんです」

こうした疑問も踏まえて渡邉は、“外れ値”であることの強みを打ち出していくことでバルミューダならではの価値が生まれるのだと力説する。例えば、人が「アウトプットする」ことに寄り添うスマートフォンであってもいいのではないか──。そんなリクエストが、渡邉から次々に飛び出した。

「先ほどの習熟の話とも関連しますが、人が何かをアウトプットするきっかけをつくれるものだと面白いんじゃないかと思っています。例えば、手書きできるメモが最初に表示されたり、長考するためのブレスト用のアプリケーションやギターチューナーが入っていたり、レシピ一覧がトップに出ていたりしてもいい。手書きや思考、音楽演奏や料理といった、習熟を要する行為にいざなってくれる道具のイメージです。それは人のスマートさを信じる道具でもある」

こうした体験価値を高める仕掛けを増やしてこそ、これまでの“常識”にとらわれたスマートフォンとの違いを打ち出していけるはずだと、渡邉は言う。

「とにかく表現する人を応援してくれる道具。そんなふうになっていたら、これまでのソーシャルメディアに埋もれるようなスマートフォンの使い方とは、まったく異なるものになる気がします。外の世界を充実させたいという想いがバルミューダという企業やBALMUDA Phoneの根底にあると思うので、人の活動を誘引するものになってほしいですね」

「まずは外れようとしている心意気、つくってしまった事実に敬意を表したい」という渡邉の言葉には、BALMUDA Phoneに対する大きな期待が込められている。

感情に訴えかけることの重要性

BALMUDA Phoneは本体のデザインやユーザー体験が独自の価値観と信念に基づいて設計され、京セラとの協業によりメイド・イン・ジャパンを実現したスマートフォンだ。それだけに、渡邉が指摘するような体験価値の向上も含め、今後もドラスティックな変化が期待できる。

一方でこうした変化は、スペックのように数値化されたわかりやすい指標では必ずしも測れない。だからこそ、その価値を多くの人に伝えることは難しくなりがちだと、渡邉は米国の社会心理学者であるジョナサン・ハイトの言葉を例に挙げて説明する。

「ハイトは人間の直観と理性について、直観を象、理性を象の乗り手にたとえました。つまり、象(直観)のほうが圧倒的にパワーが強くてすぐに動き出してしまうので、乗り手(理性)は象をコントロールできなくなる、と。直観を抑えるには相当に強い理性が必要ですが、理性やロジックの理解には時間がかかってしまう」

この問題を解決するには、逆手をとって「象=直観」を利用すればいいのだと渡邉は言う。

「その方法のひとつが『表現する喜び』に宿っていると思います。例えば、料理やスポーツ、楽器の演奏などの『習熟』は感情や情熱に直結していますよね。まずは『これが欲しい』とか『これを使って、なにかつくってみたい』と直観的に思えるもの、つまり象を喜ばせることが必要で、そこから次第に利便性をわかってもらえばいいのではないでしょうか。」

直観的に「欲しい」と思える、感情に訴えかける道具としてのスマートフォン──。そんな存在へと進化する可能性を、BALMUDA Phoneは秘めている。その可能性への期待を込めて、渡邉は次のように締めくくった。

「“外れ値”のものは、全員が手放しで称賛するわけではありません。むしろ、多くの人は違和感すら抱くかもしれない。でも時に、誰かの『顕在化していなかった欲望』を開くことがある。小ささ、丸さといった独特な形は持ってみたい、欲しいといった“欲”のとっかかりにはなるとは思います。でも、さらに『表現力を高められる』『刺激をもらえる』ような道具になれば、より感情に訴えかけられるものになるのではないでしょうか」

[ BALMUDA Phone ]

「現実の時間」を、もっと豊かにするスマートフォンの価値:BALMUDA Phoneと考える人間中心のテクノロジーのこれから(1)川田十夢