実装フェーズに差し掛かる「リアルメタバース」

2022年現在、メタバースの社会実装は大きくふたつの方向性に分かれている。

片やメタ・プラットフォームズに代表される、フィジカル空間とは別物の、完全没入型のデジタル空間を構築しようとする方向性。一方で「Ingress」や「ポケモンGO」で知られるナイアンティックの最高経営責任者ジョン・ハンケのように、XRの真価を「人々に現実世界を完全に放棄することを促すのではなく、現実世界をよりよくすること」という方向性。

関連記事本物のメタバースはARの世界で実現される:ジョン・ハンケが語る「リアルメタバース」の未来

ここでは後者、つまりは“閉じられた仮想空間”ともいえる「メタバース」ではなく、ARを用いて現実世界を拡張する「リアルメタバース」に注目したい。

『WIRED』がこれまで「ミラーワールド(現実の都市や社会のすべてが1対1でデジタル化された鏡像世界)」と呼んできたコンセプトとも通じ合うこのリアルメタバースは、いま実装フェーズに突入している。この先、2030年にはリアルメタバースはわたしたちのライフスタイルをいかにして変えているのだろうか?

こうした問いへのヒントを探るべく、「手を動かし、いざ実装!」を謳うハンズオン型カンファレンス「WIRED CONFERENCE 2022」のDAY2では、リアルメタバースが前景化した時代における人々のライフスタイルや新しいビジネスの可能性を探るセッションが設けられた。トークセッションと、そこで得たインプットを基にアウトプットへとつなげるワークショップを通して見えてきた、リアルメタバースの現在地と展望とは?

渋谷という空間を、NFTで売買可能に

リアルメタバースは、地域や都市空間が抱える課題にいかにしてアプローチ可能なのだろうか?

「2030年、リアルメタバース実装完了。XRが拡張する都市や地域の未来像」と題されたトークセッションでは、行政やまちづくり、XRテクノロジーのキープレイヤーとともに、最先端のXRソリューション紹介からリアルメタバースの実装に向けた具体的な議論までが行なわれた。

まず登壇したのは、Psychic VR Lab取締役COOの渡邊信彦だ。Psychic VR LabはXRクリエイティブプラットフォーム「STYLY」を提供し、東京・大阪・名古屋・札幌・福岡・京都の6都市で「リアルメタバースプラットフォーム」の実装に取り組んできた。

STYLYのユーザーは、各都市の3Dデータを活用することで、都市空間に向けてAR/MRコンテンツを作成・公開できる。それによって都市に新たな「デスティネーション(目的地)」が生まれ、アーティストやクリエイターの都市を舞台にした表現の場も拡がる。人流・交通といった都市データを取り込むこともでき、AR/MRを使った情報のビジュアライズや、都市の回遊性改善施策への活用など、都市を舞台にしたユースケースはさらに拡がっているという。

カンファレンス当日に合わせるかたちで、Psychic VR Labは空間をNFTで売買可能にするプロジェクト「METADIMENSIONS」をローンチ。第1弾はNFTブランド「BŌSŌ TOKYO」とグローバルで著名なWeb3企業「MADWORLD HONG KONG LIMITED」などの企業・アーティストとともに、渋谷スクランブル交差点を舞台にスマートフォンでAR体験ができ、NFTを購入可能なイベントを開催していくという。

こうして着々と実装に取り組む渡邊は、リアルメタバースの定義を「バーチャルメタバース」と対比しながらこう語る。

「遠く離れた人たちや文化の違う人たちが匿名で参加し、バーチャル世界に没入しながら、新しい世界やソーシャルをつくろうとするのが『バーチャルメタバース』。対して、わたしたちが取り組むリアルメタバースは、リアル空間や物理的な商品と相関関係をもったメタバース空間のことです。コロナ禍に蓄えたさまざまなテクノロジーを用いて、都市にもう一度戻り、これまで価値をもちにくかった空間にもデジタルコンテンツを展開し、価値化することを目指しているんです」

渡邊信彦(Psychic VR Lab取締役COO)

「可視化」が政治に手触り感を取り戻す

XRによって拡張された都市空間において新たなエンタメ体験を創出する渡邊の取り組みに対して、行政の立場から興味を示した登壇者が、千葉県知事の熊谷俊人だ。

熊谷はテクノロジーやアートの実験区としての千葉を構想し、リサーチチーム「METACITY」とともに実在しない行政区「幕張市」をつくり出したプロジェクトなど、実験的な取り組みも実施。現職最年少である31歳で就任した千葉市長の在任時は、首都圏政令市で初めて2年連続待機児童ゼロの達成、政令市ワースト1位だった財政状況を脱出させるなど、多方面で確かな実績を残し、全国の市政を牽引するキーパーソンとして注目を集めてきた。

そんな熊谷は、リアル空間をきっかけにバーチャル空間にアクセスするというリアルメタバースの発想を、自身が手がける行政の課題解決の方向性と似ていると指摘する。

「いま住民のみなさんが積極的に行政の情報にアクセスしない限り、どこの議会でどんな議論が行なわれているのかはわかりませんよね。でも、XR技術を活用すれば、例えば公園で遊んでいるときに、そこの遊具に関する議論が空間にひも付いて表示され、自分も議論に参加する体験を提供できるかもしれません。人々が暮らしているリアル空間を起点に、住民と行政の距離を縮めていけるかもしれないと思うんです」

熊谷俊人(千葉県知事)

残る1人の登壇者は、ARを活用した新たなコミュニケーションスタイルを提案するビジュアルコミュニケーションアプリ「Snapchat」を手がけるSnap Japan代表の長谷川倫也。長谷川はグローバルで13〜24歳の若年層によく利用されているアプリ開発のなかで得た実感をもとに、熊谷の課題解決の方向性に共感を示した。

「いま非合理的な意思決定が民主主義によって導き出されてしまう悪循環が起きていて、結果として政治に手触り感がもてず、どうしても他人事に思ってしまう若い世代の方々が少なくないと思います。リアルメタバース技術によって、その失われた手触り感を取り戻せれば、いまの時代にマッチした民主主義が実現できるかもしれません」

長谷川倫也(Snap Japan)

この議論を受けて、渡邊は「可視化」というリアルメタバースの意義を強調する。千葉市が先鞭をつけ、直近では東京都も始めた「壊れた道路情報をスマホで撮影して送ると都市整備局に伝わる仕組み」のように、「見えないものを可視化」するのがリアルメタバースの役割のひとつだという。

「XRテクノロジーを用いて、人々の生活になじむかたちで、必要な情報を可視化していく。それによる課題解決のアプローチとしては、これからさまざまなトライアルが出てくるでしょう。例えば、ハザードマップはいざとなったときに忘れてしまいますが、前もってグラスをかけてAR空間で危険地域を可視化し、体験しておけば圧倒的に記憶に定着し、そこには行きづらくなるはずです」

この渡邊の指摘に対し、ちょうど心肺蘇生の人工呼吸の練習を行なえるSnapchatレンズをリリースしたばかりだという長谷川も共感を示す。

「ハザードマップのように思いっきり『便利』軸に振るにせよ、もしくは思いっきり『エンタメ』軸に振るにせよ、中途半端ではなくひとつの目的に特化し、リアルメタバースでしか実現しえないユースケースを生み出すことが大切ではないでしょうか。例えばスタンプラリーのように『フィジカル空間でもできるのでは?』と考えられるものを中途半端にARに置き換えるだけでは、うまくいかないと思います」

地方から歴史まで、拡張するリアルメタバースの可能性

エンタメから政治まで、幅広い領域でライフスタイルを大きく変える可能性を秘めるリアルメタバース。そこまで大きな影響力をもつ公共物として機能するシステムやサービスの開発を、特定の開発者だけに委ねることはリスクが大きいだろう。民主的なリアルメタバースは、いかにしてつくり上げられるべきなのか?

熊谷は行政側の視点から、部分的にでもオープンで誰もが上書き可能なシステムの必要性を説く。

「そもそも公共って意外に、税金だけで動いている世界ではないんです。例えば街路灯は、電気代の半分以上が自治会費から賄われており、身近なコミュニティー基盤が下支えしていたりする。そうした昔ながらのコミュニティー基盤に、DAOをはじめとしたテクノロジーを組み合わせて、オープンで誰もが上書きできるコミュニティー基盤をつくれるか。いまからでも十分に議論し、変えていける部分だと思います」

この熊谷の指摘に対し、渡邊も「貢献した人が報われるWeb3に近しい考え方は、リアルメタバースの基本だ」と同意する。リアルメタバースの実装によって街に人が集まるようになり、メリットを享受した人はその街の賑わい創出に貢献した人に報酬を払う──そんな昔ながらの相互扶助にも似たエコシステムが理想だと語る。

ただ、リアルメタバースはまだまだ発展途上。2030年まで時間はあるし、これからも数多くの試行錯誤が重ねられていくことだろう。エンタメや政治にとどまらない活用可能性について各々がアイデアを語り、未来への期待が十分に醸成されたところでトークセッションは締めくくられた。

「さまざまな地域に埋まっているコンテンツの魅力を訪日外国人観光客などにより広く伝えていくために、リアルメタバースが役に立つのではないでしょうか。それぞれの地域がもっている素晴らしいコンテンツが、その街を歩くとパワフルに視界を覆ってきて、ポンポン出てくるようになったらワクワクしますよね。実際、STYLYも渋谷だけでなく6都市のデータがすでに入っています」(渡邊)

「千葉市でいえば、成田周辺に可能性を感じています。世界のゲートウェイで海外の方々が最初に降り立つ場所でもある成田で、いかにしてリアルメタバースを掛け合わせながら、千葉ひいては日本の文化を伝えていくか。それから、幕張新都心。世界の一番面白いものを東京の手前でやるんだという考え方でつくられたこの“メタシティ”の魅力も、もっと伝えていきたいですね」(熊谷)

「今日は未来の話をメインにしてきたと思うのですが、過去をマッシュアップすることも大事だなと思っています。例えば、渋谷の100年前や50年前がオーバーレイされれば、世代を超えたコミュニケーションツールにもなるでしょう。そもそもぼくはARやVRって、もはや『来るか、来ないか』という話ではなく、『どういうふうに来るか』という話の段階だと思っているんです。それをみなさんと一緒に考えていけたらうれしいですね」(長谷川)

カギを握るのは「プラットフォーマー」ではない

リアルメタバースの現在地と未来について、トップランナーたちがそれぞれの視点を共有したトークセッションが終わると、今度は来場者たちが手を動かし、考えるフェーズだ。

「2030年の渋谷をXRで拡張せよ!」と題されたワークショップでは、カンファレンスの開催地でもある渋谷という街をテーマに、リアルメタバースを活用した都市空間の拡張に挑む。2030年の渋谷はXRテクノロジーによってどのようにアップデートされるのか。観光や購買行動、ライブエンターテインメントなどさまざまな角度で切り取りながら、新しいビジネスの萌芽を探っていくワークショップだ。

参加者は興味関心に応じて、「エンタメ」「建築都市/インフラ」「生活/暮らし」の3つのカテゴリに分かれ、それぞれのカテゴリの中で4人ずつのグループを組成。チェックインではそれぞれの「渋谷での思い出・印象に残っている出来事」もシェアしつつ、まずはPsychic VR Labのプロデューサー・浅見和彦による事前インプットが行なわれ、「体験の立体化」「高度なパーソナライゼーション」といったXRの特徴を理解していった。

約50名の参加者が「ユーザーカード」や「XRカード」を活用しながら、2030年の渋谷においてXRがもたらす新しいユースケースを発想していった。

「手を動かす」ワークショップは、まずは手元に配られた「ユーザーカード」「XRカード」を読み込むところからスタート。ビジネスのターゲットユーザー候補、XR技術でできることがそれぞれ複数枚配られており、参加者はこの2種類のカードを組み合わせ、「XRだからこそ可能になるアイデア」を検討していく。

個々の考えたアイデアを持ち寄り、グループごとにひとつのアイデアに収斂させると、いよいよ実装のためのステップを考えていく時間だ。XR体験担当とシナリオ担当に分担を分け、Googleストリートビューで該当エリアの様子も確認しながら、2030年のリアルメタバース空間におけるビジネスアイデアを具体化していった。

スケートボーダーがつながりながらより安全に楽しむためのXRサービス、怪我で松葉杖をついた人向けの歩行支援XR、インフルエンサーが身体感覚ごと共有するプラットフォーム、目的地への道案内をしてもらいつつ付加情報や寄り道を楽しめるXRサービス、屋上農園をXR情報でより楽しめるようにしてくれるサービス、ゲーム感覚で非常時の訓練を行なえるXRコンテンツ、拡張家族の形成をサポートしてくれるプラットフォーム……エンタメから社会課題の解決に寄与するものまで幅広いアイデアが生まれた。

プログラムの一部では、折り紙を使ったワークも。

3時間という短時間で、先のトークセッションの内容からさらに幅を広げ、解像度の高いアイデアとして練り上げた参加者たち。その高い熱量を受け、ファシリテーターを務めた『WIRED』日本版副編集長の小谷知也、Psychic VR Labの浅見は、リアルメタバースの時代における「ユーザー」の役割の重要性を感じ取ったようだ。

「プラットフォームにおいては、利用するユーザーの生み出すものが企業が提供しているものを上回ってこそ意味があります。つまり開発者だけでなく、熱意をもって上書きしていくユーザーが不可欠なのです。今日はその第一歩となったのではないでしょうか」(小谷)

「リアルメタバースがどう使われるかを決めるのは、プラットフォーマーではありません。わたしたちはリアルメタバースが実装されない未来を想定していませんが、その未来は、今日のみなさんのようなアイデアがいかにボトムアップで生まれていくかにかかっていると感じました」(浅見)

プラットフォーマー、ユーザー、そして行政……わたしたちのライフスタイルを取り巻くさまざまな立場から、エンタメから政治まで幅広いリアルメタバースの可能性を見せてくれた、一連のトークセッションとワークショップ。

その実装は、もはや「未来」ではない。実験と改善のサイクルをいかに多く繰り返し、アイデアやテクノロジーの可能性を切り拓いていくのか──リアルメタバースは、そんな現実的なフェーズに差し掛かっているのだろう。

[ Psychic VR Lab ]