SF的想像力を用いて、今ある技術の未来における可能性を拡張する──。そんな目標を掲げ、WIRED Sci-Fiプロトタイピング研究所はNTT人間情報研究所、SF作家の吉上亮、津久井五月とともに、「Another Me」と「感性コミュニケーション」というふたつのテクノロジーがもたらす未来像を描き出すプロジェクトを実施した。

今回の記事では、NTT人間情報研究所、SF作家の吉上亮、津久井五月とともに、そのプロセスと成果を振り返っていく。

〈わたし〉のデジタルツインと、個々の特性の違いを超えた新たなコミュニケーション

NTT人間情報研究所が研究開発を進めてきた「Another Me」は、実在の人をデジタル再現したもう1人の自分が、現実の制約を超えて本人として自律的に活動し、その結果を本人の経験として共有することで、人が活躍・成長する機会の拡張をめざす取り組み。つまりは、〈わたし〉のデジタルツインと表現できるもので、業務代行や身体的なハンディキャップの克服、人間関係のシミュレーションなど多様な用途が想定されている。

また、「感性コミュニケーション」は、言語や文化の違いだけでなく、経験や感性などの個々人の特性の違いを超えて、心の中のとらえ方や感じ方を直接的に理解し合える新たなコミュニケーションの実現をめざした取り組みだ。

この2つのテクノロジーーは、2019年6月にNTTが発表した「デジタルツインコンピューティング構想」に位置付けられており、自律的な社会システムや人間の能力拡張、自動意思決定などのためのデジタルツイン構築の基盤をつくっていくことを、これまでNTTは目指してきた。

想像力ならどこへでも行ける

「どちらの技術も社会に与えるインパクトが大きいからこそ、ユートピアからディストピアまで幅広い未来を想像していく必要があると考え、今回SFプロトタイピングを実施しました」。そう語るのは、NTT人間情報研究所の所長を務める木下真吾だ。

今回、NTT人間情報研究所とWIRED Sci-Fiプロトタイピング研究所のプログラムでは、仮説、科幻(中国語でSFの意味)、収束、実装の4つのステップのうち、仮説から科幻のパートを実施。SFプロトタイピングの特徴について、同研究所の所長を務める小谷知也は次のように語る。

「SFプロトタイピングは『ナラティブを通じて”未来の社会で暮らす人々”を精緻に描く』ことが可能です。物語を通じて、ある未来の社会の様相に触れることは、結果的に、全体を一気につかみ取るような、全体をまるごと直観によって把握するような認識の仕方をすることになるわけです。かつてアルベルト・アインシュタインは、『ロジックではAからBまでしか行けない。想像力ならどこへでも行ける』と語ったそうですが、ビジネスや研究や行政の現場に想像力を持ち込むことで、普段の目線とは異なる『あり得る未来』の可能性を探ってみることが、SFプロトタイピングが提供する価値なのではないかと考えています」。

集団創作的なプロセスで、未来を描く

具体的な取り組みのなかでは、NTT人間情報研究所からの研究領域に関するインプットや、研究者へのインタビューを経て、WIRED Sci-Fiプロトタイピング研究所、SF作家、NTT研究員によるアイデア出しや議論の場を定期的に設け、Another Meおよび感性コミュニケーションの未来におけるさまざまなユースケースを導き出していった。

その際、より多角的な視点から未来を検討するべく、『WIRED』日本版の編集者のみならず、クリエイティブ集団PARTYに所属するクリエイターやコピーライター、リーガルストラテジスト(弁護士)などのさまざまな専門性のメンバーが参加した。

『WIRED』日本版の編集長を務める松島倫明は「特定の新しいテクノロジーを取り上げるときに、それを他のエマージングテクノロジーや、もっと広くリベラルアーツやカルチャー、ライフスタイルといった広範で分野横断的な視点と掛け合わせて取り上げてきた『WIRED』日本版の取り組みが、プロジェクトの出発点においてスペキュラティブな問いを設定するきっかけとなったのではないか」と振り返る。

また、PARTYを率いる伊藤直樹は「エンジニアリングやサイエンスを専門とするNTTの研究員と、スペキュラティブな問いを立てるサイエンスフィクションやクリエイティブの力を融合できたのではないか」とプロジェクトを振り返る。

「密なコミュニケーション」の重要性

従来、WIRED Sci-Fiプロトタイピング研究所が提供しているものを大きくカスタマイズするかたちで、今回はAnother Meと感性コミュニケーションそれぞれに対してオーダーメイドでプログラムを提供した。

プログラムの初期設計やビジョンメイキングを起点に、それぞれの技術の現状の見立てや、SFプロトタイピングを活用することでそれぞれの技術にどんな価値をもたらせるのかを検討。その後、リサーチプロセスの計画や各々の作家のスタイルに合わせた伴走、各ステークホルダーとの調整などをWIRED Sci-Fiプロトタイピング研究所が担っていった。

その際に重要だったのが、NTT人間情報研究所、SF作家双方との密なコミュニケーションだった、とWIRED Sci-Fiプロトタイピング研究所にてファシリテーターやプログラム開発を担う淺田史音は語る。

「Another Meと感性コミュニケーションのそれぞれの研究フェーズや性質が大きく異なることと、吉上亮さん、津久井五月さんそれぞれの特性を踏まえ、プログラム開発を実施しました。例えばAnother Meであれば、研究員の皆さんが技術開発のみならず、法的・哲学的観点など、過去に膨大な検証をしており、それを引き出し、翻訳してSF作家の吉上さんに渡すことを重視しました。その際、Another Meは誰もが理解しやすいコンセプトでありつつも、単に未来的なシーンを描くのではなく、手触り感のある物語を描くことを目指していました。今回、密にコミュニケーションがとれたことで、クライアントの課題の解像度を高められましたし、SF作家の方のクリエイティビティを一段高めるサポートができたのではないかと考えています」

そうした密なコミュニケーションや何度も実施したワークショップのなかで、認知症患者のためのAnother Meや、地域の関係人口を創出するための活用方法など、これまでは想定できていなかったさまざまなユースケースが導かれていった。事実、脳機能を補助する部分的Another Meの実装により、認知症患者が介助者を伴わずとも生活できる町ぐるみのAnother Me活用については、吉上亮が小説を執筆する際の起点になった、と振り返っている。

Another Meの法的な位置付けは?

社会一般に広く使用される可能性を持つテクノロジーは法規制と切り離すことができないからこそ、本プロジェクトにはリーガルストラテジストも参加した。PARTYのリーガルストラテジストである山辺哲識は「法的観点からの検討」を次のように語ります。

「〈わたし〉のデジタルツインであるAnother Meに認め得る法主体性について繰り返し議論になりました。自然人が当然享有する人権のすべてをAnother Meに認めることは、社会的に不可能です。例えば、Another Meの生存権が保障された場合、所有者でも勝手に消去できませんし、Another Meが人間に対して正当防衛を行う可能性もあります。一方、財産の運用、処分等に関する意思決定とその実行を担保する仕組みがあれば、一定の範囲で財産権を認める余地はあると思いますし、あるいは財団法人等の既存の制度の活用によっても近い結果を実現できるかもしれません。このような議論を吉上亮さんと重ねることで、それがSFプロトタイピング小説のプロットに反映されていきました」

そうしたさまざまな専門性のメンバーが議論を重ねていくプロセスは「異なる立場・異なる視点から出てくる多種多様なアイデアを集約し、1つの主題――物語へ落とし込んでいく制作過程は集団創作である脚本制作の現場に似ているように感じた」と、吉上亮は振り返る。

一方、SFプロトタイピングは最終的な完成形が小説であるため、書き手となる作家に最終的なストーリーテリングの決定権が委ねられる側面がある。そのため「小説と脚本の中間に位置し、両者の良い部分を活かし、作家単独では獲得し得ない広い範囲に及ぶ視野を獲得しながらも、作家独自の語り口で主題となるテクノロジーーへの回答を示すことができ、ひとりでは成し得ない創作活動」だと吉上は言葉を続ける。

「痛み」「地方」「家族」といったキーワードを作品に集約

そうしたプロセスを経て、吉上亮による作品『Another pain.』と津久井五月さんによる作品『未完成感性社会』が完成へとつながっていった。

『Another pain.』は、2054年の神奈川県横須賀市、三浦半島、観音崎が舞台となり、その海に面した町で暮らしている少女・汀(みぎは)と「祖母」の岬(みさき)が登場。その汀はAnother Meと呼ばれる存在で、汀の「本体」は岬だが、自身のデジタルツインである汀のことを、なぜか岬は「孫」と呼んでいる。そして汀は、Another Meなら本来オフにされるべき「痛みを感じる機能」を持ち合わせているという設定だ。「なぜ自分は岬の孫なのか」「なぜ自分は痛みを感じるのか」汀が抱えるそんな疑問を解き明かす中で、Another Meの活用のされ方が描かれていく。

物語の起点となったのは、前述の山辺との議論で登場したAnother Meの法的検討以外にも、「地方」と「家族・パートナーシップ」の視点だった。

「都会におけるテクノロジーの実装は個人の単位で考えられますが、地方においてはコミュニティや集団の単位で考えなければなりません。また地方へ新技術が波及するプロセスを考えることは、社会全体にそのテクノロジーが普及した日本全体の未来を想像しなければならず、実装のハードルがより高まるがゆえに思索の面白さが増すということに気付きました」と吉上は解説する。

また、ワークショップでたびたび登場した「Another Meを通じた家族との関係」という点についても吉上は着目し、「死別したパートナーや家族のAnother Meをどのように取り扱うのか」「本体である人間が死した後、遺されたAnother Meは社会においていかなる存在となるのか」といった死生観にまつわる問いを考えていった。

「ときにその人以上にその人らしい経験を蓄積したAnother Meを人間は便利な道具として扱うのか、あるいはそれ以上の伴侶というべき存在として扱うのか、人間と道具の関係、という物語の主題が徐々に定まっていきました」と吉上は語る。

今回のSFプロトタイピング小説を踏まえて、Another Meの研究に従事してきた深山篤はいくつかのポイントを挙げた。1つは、吉上亮さんの物語でAnoher Meの進化のステップが「道具」「奴隷」「人格」「委譲」の順番で進化していくこと。もう1つ大きかったのは、Another Meが感じる「痛み」の概念の導入だ。

「痛みに関してはひとつの考え方の軸になっており、人間と技術・道具の一線について、嗜虐性、心や人格などといった多面的な側面が語られていて、未来のリアリティを感じることができました。また、想定されていない使われ方についても『こういう技術があったら、こういうふうに使ってしまうだろう』という部分まで描写されており、さまざまな観点からユースケースを検討できたと考えています」

「感性」の計測から使われ方までを描く

津久井五月による『未完成感性社会』では、「印象分解能(どれだけの細かさで物事の印象の違いを感じ取れるか)」と「印象選考度(区別できる印象1つひとつに対する好みの度合い)」によって、感性を計測・分析する「没⼊型感性検査」が使用され、個々人に固有の感性コードが導かれている設定が導入されている。

この物語には、ゲームクリエイターが自身の感性を活かし、感性が近い人々に対してマーケティングすることでゲームが大ヒットしている株式会社エステシアという没入型VR(Virtual Reality)ゲームの開発会社が登場し、その企業に勤める⼩泉亜⾥沙(アリシア)が主人公となる。

彼女は花形である第一開発室から第六開発室に異動になり、「没⼊型感性深化」と呼ばれる、人の感性のうちの特定の部分の印象分解能を人工的に高める「感性トレーニング」の実験に参加していく様子が描かれることで、感性活用の可能性を読み解ける物語となっている。

「感性コミュニケーション」は、研究領域として「多様な感性を画一化せずに探る」ことが求められることから、研究者によって異なる「感性」の定義と「コミュニケーション」へのアプローチが存在した。そのため、「感性」の定義をある程度絞り込むことで、津久井は作品にまとめていった。

発想の起点となった研究のひとつに、将棋やカーレーシングにおけるプロの判断を分析するものがあった、と津久井は振り返る。

「人それぞれの『ものの見方』や『美意識』そのものをデータ化するのは難しいですが、特定のルールや状況下での振る舞いを記録・比較するという方法であれば、たしかにその人の感性(さまざまな印象に対する好みや選別眼の鋭さ)を明らかにできるかもしれないと納得しました」

そうした研究を踏まえて、VRゲームに似た疑似体験空間での人の振る舞いを計測・分析する「没入型感性検査」という設定が作品には盛り込まれている。この検査を起点に、検査結果を表現する方法や、ビジネスや教育の分野での利用法を考えることで、作品世界を膨らませていった、と津久井は振り返る。

また、感性コミュニケーションの研究に従事してきた能登肇は作品が生まれることで「各研究者の間での共通認識が生まれた」と語る。

「今回、感性の計測から具体的な使い方までを一貫して描いてもらったことで、感性というテーマを主軸にした研究のゴールイメージの1つが明瞭になり、検討するべき事項を整理できたと考えています。その際に、人はどのようにしてこの技術を受け入れられるのか、という社会に浸透していく部分を具体的に描いていただいたおかげで、そのイメージもついてきたと考えています」

描かれた未来を研究計画に落とし込む

今回のSFプロトタイピングでは、その対象となったのが未来を描く「科幻」のフェーズまでであった。そのため、今後はNTTとして描かれた未来像をバックキャスティングして研究計画に落とし込むステップに進んでいくという。

「まずNTT内部のメンバーに対して、アウトプットの小説があることでAnother Meや感性コミュニケーションがサービスとして受け入れられるイメージを伝えることができるのではないかと思っています。また、外部に対する情報発信という点でも効果的だと感じています。小説になったことで興味を持ってもらい、私たちの研究のコンセプト・世界観の理解を深めやすくなり、そこから議論を起こしやすくなる結果として、技術の検討や社会浸透が進んでいくといいなと考えています」

吉上亮による『Another pain.』、津久井五月による『未完成感性社会』についてもウェブで公開されているのでぜひご一読いただきたい。SFプロトタイピングは、物語にすることで共通の世界認識をつくり、議論の土台を準備する側面があるからこそ、Another Meや感性コミュニケーションが広く受け入れられた世界はどのように変化するのか、そこでどのような課題が発生するのか、を多くの人が考えていくきっかけになれば幸いだ。それが、研究を次なるステップへと導くし、Another Meや感性コミュニケーションという広くあまねく人々に影響を与えるテクノロジーの未来を民主化することにつながっていくはずだ。

NTT人間情報研究所のサイトを見る

NTTデジタルツインコンピューティング研究センタのサイトを見る