AIに未来は語れるか?──そんな問いからスタートしたのが「WIRED Futures」だ。次のミッドセンチュリー、つまりは2050年の日常を見据えて熱いセッションが繰り広げられ大盛況に終わったこの1Dayカンファレンスでは、人工知能(AI)がわたしたちの衣食住、喜怒哀楽、学びや仕事までもが緩やかに、でも確実に形を変えていくことを見据え、そのとき創造性やウェルビーイングに根ざした「人間らしさ」の定義がいかに上書きされていくのかが問われた。

なかでも、NRI(野村総合研究所)のスポンサーセッション「AI + Humanity:“創造化社会”への道筋をめぐる哲学レッスン」では、哲学者の國分功一郎とNRI未来創発センター デジタル社会研究室 室長の森健が登壇。、未来創発センターでは現在、森をリーダーとしてAIと資本主義、アイデア、生産性、社会と協調のデザインといったテーマでの探求プロジェクトが進められ、目先の生成AIブームや企業の急速なAIトランスフォーメーションの先に、文明論的な視座に立った骨太で未来志向の議論が繰り広げられている。

このプロジェクトにおいて重要な柱となるのが、AI時代の人間をめぐる哲学的考察だ。生成AIとのコラボレーションによって「アイデア生産性」が劇的に向上し、NRIが予測する第四の波「創造化社会」が到来するとき、人間的知性と創造力はいかなる変化を起こしていくのか。意識、時間、身体、有限性──人間的なるものとAIを照らし合わせながら考える、國分功一郎の哲学レッスンが「WIRED Futures」のステージで開講の運びとなった。

『WIRED』日本版による年に一度の大型カンファレンス「WIRED Futures」は2023年12月8日に虎ノ門ヒルズに新しくオープンしたステーションタワー最上部にあるTOKYO NODE HALLで満員の観客のもと開催された。

いま起きている本当の脅威

未来学者のアルビン・トフラーは著書『第三の波』(1980年)のなかで、農業革命(第1の波)、工業革命(第2の波)に続く、情報革命(第3の波)による情報化社会を予見した。では、第4の波は何なのか。森が紹介したのは、そうした問いに対してNRIが考察した1990年のレポートである。そこでは、脳の外部化によって生まれる「創造化社会」の到来が予測されていた。コンピュータに代わってアイデアを生む「コンセプター(いまで言えばまさに生成AIなどのツールにあたる)」を原動力に、労働資本に代わる知的資本の蓄積と創造力の産業化が進む。33年前に、2050年に向けた現在の議論をある意味で予見した内容が記されているのだ。

「そのなかで、創造主体の違いによって起こる3つのシナリオが仮説として立てられています。まず生成AIを良きアシスタントとして多くの人間が創造主体となり創造性を発揮するシナリオ(良きダイモン)、少数の人間だけが創造的行為を行ない、大多数は他者のアイデアを消費するシナリオ(アイデア消費)、生成AIが創造主体となってアイデアを自動生成し、人間が隷従するシナリオ(アイデア・オートメーション)です」

それを受けて國分は、自身が感じる危機感を投げかけていく。

「身体、感覚、最終的にはアイデアが外部化されていき、それが生産力のイノベーションに繋がって社会が変化する。その見立ては非常に正確で驚くばかりです。一方で、すべてが生産力と接続され、生産性こそが社会を変えるという考えは、ある意味で、伝統的なマルクス主義に近いものを感じます。消費者側の視点に立ったとき、アイデアの外部化が格差社会にそのまま導入されてしまう危険性は忘れてはなりません」

國分功一郎|KOICHIRO KOKUBUN
東京大学大学院総合文化研究科教授。専攻は哲学。1974年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。2023年に『スピノザ──読む人の肖像』で河合隼雄学芸賞を、2017年に『中動態の世界──意志と責任の考古学』で小林秀雄賞を受賞。『暇と退屈の倫理学』『ドゥルーズの哲学原理』『近代政治哲学』『来るべき民主主義──小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題』『はじめてのスピノザ──自由へのエチカ』『〈責任〉の生成 ― 中動態と当事者研究』(熊谷晋一郎との共著)など著書多数。

例えば、困りごとに対しての対応窓口として促されたチャットボットが、何度も見た回答をループして意味のない時間だけが過ぎていく、というのは誰もが経験したことがあるだろう。一方で、人間自身による複雑な問題への対応はラグジュアリーなものになっていく。空港などは顕著だと國分が語るように、ファーストクラスでは荷物のチェックインは職員が行ない、エコノミークラスはオートメーション化されている、といったことも実際に起き始めている。

「いま起きている脅威は、AIが人間に近づいていることではなく、消費者であるわたしたち人間がAIに合わせなければならなくなっていることにあるのではないでしょうか」

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「アイデア生産性」と経済

アイデアを外部化した社会で、固定化/オートメーション化された選択肢を消費するしかない存在から、創造や変化に自ら働きかける「ユーザー」になるために、人間はいかにAIと向き合うべきなのか。森は、AIがパーソナルなパートナーとして多様な発展をしていくとともに、人間自身もそれを道具として、より深い問いを発していく能力が求められていくと語る。

「経済学で近年語られている〈アイデア生産性〉という言葉には違和感を抱きつつも、企業の人間の視点からすると、アイデアの領域がR&D部門におけるいちばんのボトルネックになっている事実もあります。例えば、半導体におけるムーアの法則は確かにこれまで実現していますが、その研究に投入されている研究者の数は70年代の約18倍に上るといわれている。つまり、人数で何とか補っているのが現状で、研究の生産性はかなり下がっているのです。AIによってアイデアや組み合わせのバリエーションを大幅にカバーし、それをもとに人間が深めた問いや創造性によって発展させていくことは重要な考え方になるように思います」

森 健|MORI TAKESHI
野村総合研究所 未来創発センター デジタル社会研究室 室長。1995年野村総合研究所入社。研究員、コンサルタントとして勤務、野村マネジメントスクールにて経営幹部育成に従事した後、2019年よりNRIのシンクタンク機能を担う未来創発センターに所属。デジタル技術が経済社会にもたらすインパクトを多面的に研究し情報発信している。主な共著書に『デジタル資本主義』(2019年大川出版賞受賞)、『デジタル国富論』『デジタル増価革命』などがある。

國分は、創造や問いのインスピレーションを促すためのツールとしての可能性には同意する。人間に近いものをつくっていくことで人間の本質を理解していく構成論的アプローチ(一方で既にある人間の状態を分析することで人間の本質に迫ることを分析的アプローチという)において、AIによるアイデアの活用の意義を見出していく。

「AIがわたしの思考の癖を学び、800年後にわたしがどんな哲学をするかのシミュレーションができるとしたら、自身の哲学に面白い視点を与えてくれるかもしれませんね。人間の“意識”には人間すらわかっていないことが多くあります。例えば、〈欲望〉は〈欠如〉の意識から生じます。では、人間はどうして欠如を感じるのか。そう考えたときに非常に難しい問題に行き着くわけです。〈意識〉とは何かを、誰も説明することができないのです」

AIのアイデアや研究から、これらの人間にまつわる哲学的な探究と理解を進めていくことも可能になっていくかもしれない。しかし同時に、そこには危うさも存在する。大量に生産されたアイデアの種をもとに人間がさらなる創造性を発揮することで、生産力が高まり創造性が産業となっていく。これは裏を返せば、アイデアを生み出すゲームが激化し、それらが生産性や産業とより強固に結びついていけばいくほどに、新しいアイデアを生み出せない人間は経済論理のうえでは価値が下がっていくことを意味する。

「見方を変えると、それは、AIによってアイデアが膨大に、異常なスピードで生成されるなかで、人間がさらなる新しいアイデアを絶え間なく生み出し続けなければ生きてはいけない世界になるということです。ひとつのことを続け、ゆっくりと思索していくことが難しくなる社会は、最先端を走る一部の人間には面白いかもしれませんが、多くの人々にとっては非常に苦しいものになる可能性があると思うのです。ただでさえせわしない社会が、より加速度的にせわしくなるんじゃないか。そうした点への警戒心は失わないようにしています」

身体とは、有限なもの

セッション終盤には、AIと身体性をめぐる議論へと発展した。國分は、AIとわたしたちの間に生じる“ずれ”の正体について、身体の哲学的意味合いをもとにして見解を示していく。

「哲学において身体とは〈有限なもの〉のことを指します。肉体という制約があり、いつかは死んでしまうという有限性。それが身体性であることをわたしたちは感覚的に知っている。さまざまなものを人間は外部化してきた/していくわけですが、ひとつのまとまった存在である人間にとって身体性とその有限性は切り離すことができない。わたしたちがサーバーをAIにとっての身体だと言わないのはそのためではないでしょうか」

有限性をもつことで自分の存在を実感する人間が抱える、あるいはこれから抱えていくであろうジレンマについて、「時間」の観点も投入されていく。森は、AIの圧倒的な進化のスピード、それによって生まれる潤沢すぎる情報に接するなかで、ある感覚を抱いているという。

「AIの進化があまりにも速く、衝撃の大きさもそれが起きる感覚も短いので、真面目にフォローしすぎると頭の処理が追いつかなくなっています。AIに時間の感覚などないのに、それゆえに、どこか人間よりも異常に速い時間の流れのなかで生きている存在なのではないかという錯覚を覚え、そんなAIの時間感覚にこちらが引っ張られてしまっている感覚があるんです。それもあって、植物を見るなど、スローな時間を意図的につくる必要性を感じています」

こうした森の実感に、國分は大きな興味を示す。彼は(時間をもたないという)人間にとっての新たな時間感覚をもったAIの存在によって、人間と植物のあいだにひとつの共通項を見出していく。

「AIには時間がないというのは、AIが身体をもたない(有限性をもたない)という帰結にそのまま繋がる視点でおもしろいですね。庭の草むしりをしていて知ったのは、雑草は風にのって飛んでいき、何年もかけて生えている場所が移動していることです。何年もかけて生態系ごと動くという植物ならではの、人間とは異なるスローなリズムであるけれども、人間と同じく時間=有限性をもっている。ゆえに人間は植物に接することで安心を覚えるし、逆に時間の概念を感じられない(身体性/有限性)AIのリズムに人間は処理が追いつかなくなってしまうのかもしれません」

ややもすると楽観的な視点に陥りやすいAIというテーマに対して、本セッションではあえて負の側面からの視点も投げかけたかったという國分。彼が重要性を強調した「正と負の側面の間にある矛盾のなかで思考し、問いを探っていく」という哲学の態度は、まさに今回森が指摘した、より深い問いを発していく能力に繋がるものである。複雑化し、情報、アイデア、時間すらも加速していく創造化社会において、わたしたちに求められていくもの。AIの時代においても、哲学という思考の地図がそうした問いへのヒントになることを、オーディエンスが改めて実感するレッスンとなった。

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