尾崎 ソニーグループはコンシューマーエレクトロニクス製品のイメージが強いと思いますが、実態として、エレクトロニクス事業のほかに、エンタテインメント事業や金融事業など多様な事業をポートフォリオとしてもっています。

インハウスのデザイン部門であるわれわれクリエイティブセンターも、エレクトロニクス製品のみならず、エンタテインメント領域や金融領域等のデザインも担っています。さらには、PRやブランド戦略、知財、新規ビジネスといった機能をもつ部署と協業し、新しい領域でのデザイン提案、あるいは新規ビジネスの提案もおこなう組織となっています。

石井 ひとくちにデザインといっても、プロダクトデザイン、UI/UXデザイン、コミュニケーションデザイン、サービスデザインなど、最近はかなり領域が拡がっているため、さまざまな専門性をもったデザイナーが所属しています。

尾崎 デザインする領域が拡がり、新しい探索領域のデザインも担当しなければならないということで、クリエイティブセンターでは「今後未来がどうなるのか」を思索・探索していくトレンドリサーチ活動をおこない、毎年「DESIGN VISION」としてとりまとめています。

2021年は、WIREDさんと一緒に「Sci-Fiプロトタイピング」を実践することで、4つのSF小説と4つのデザインプロトタイピングを生み出し、最終的に『ONE DAY, 2050 / Sci-Fi Prototyping』という展示まで実施しました。

そして「DESIGN VISION」ではさらに、「2050年に向けてどのような社会変化が起こるのか」を深掘りし、「HOMO DIVIDUAL(ホモ・ディヴィデュアル)」「CONVIVIAL AI(コンヴィヴィアルAI)」「WELLBEING-WITH(ウェルビーイング・ウィズ)」「MULTISPECIES(マルチスピーシーズ)」という4つキーワードを、未来の潮流になるであろうコンセプトとして導き出しました。

今回は、そのなかの「HOMO DIVIDUAL(ホモ・ディヴィデュアル)」についてお話ができればと思います。Dividual(ディヴィデュアル)は日本語でいうと「分人」という概念で、メタバースが一般化する時代には、個人のなかにあるさまざまなアイデンティティがアバターとして複数の空間に同時に存在し共存し、将来、人類は「分人」へと進化を遂げるといった思い切ったビジョンを設定しています。 こういったアバターやメタバースについての「現在地」と「今後」を深掘りするべく、ぜひDJ RIOさんにいろいろお訊きしたいと思っています。早速、このトピックに関連の深いXR系の開発領域を担当している石井さんにバトンを渡します。

アバターに合わせて「リアル」を変更!?

石井 今日DJ RIOさんにお会いできるということで、わたしも早速REALITYでアバターをつくってみました。自分のアタマのなかに思い描いたアバターが3分くらいでパッとできたのでビックリしたし、楽しかったです。

DJ RIO ありがとうございます。

DJ RIO
2005年、慶應義塾大学環境情報学部在籍時代に、複数のスタートアップの創業に参加。事業売却後に大学を卒業し、4人目の正社員としてグリー株式会社に入社。事業責任者兼エンジニアとして、モバイル版GREE、ソーシャルゲーム、スマートフォン向けGREE等の立ち上げを主導した後、11年から北米事業の立ち上げ。13年に日本に帰国し、グリー株式会社 取締役に就任する。14年にゲームスタジオWright Flyer Studiosを立ち上げ(現WFS)代表取締役に就任。18年にはWright Flyer Live Entertainment(現REALITY)を立ち上げ代表取締役社長に就任。21年、REALITYを中心とした「メタバース事業」への参入を主導。

石井 自分はソニーに入る前にゲームのキャラクターデザインをやっていた時期もありまして、まずDJ RIOさんのビジュアルを見たときにグッと響くものを感じました。例えば、自然と表情に目が引きつけられるような頭身バランスやカラー配置とか、「人間なのか!?」って揺さぶるような耳や尻尾とか、趣味性がそのままかたちになっているへッドホンや肩のロゴマークにまで、ストーリーを感じさせるヒントが散りばめられていますよね。

今回「DESIGN VISION」では、2050年の未来における「自分と分人」の関係性について検証しましたが、メタバースという「質量のない空間」において、しかし心理的には「確かな存在感」のあるアバターによってコミュニケーションに身体性がもたらされ、言葉未満の所作や機微を伝えられるようになると、いよいよ社会が変わっていくのではないかという予感がします。

その向こう側の世界では、まさにいま、おもしろいトピックが日々起きていると思っていまして、まずは、最前線の状況をお訊きしたいと思います。

石井智裕 | TOMOHIRO ISHII
ソニーグループ株式会社 クリエイティブセンター スタジオ2 アートディレクター。ゲーム業界を経て、2003年ソニーへ入社。TVやBlu-rayなどのエレクトロニクス系UIを担当後、R&D/新規領域のUXデザインへ。体験型ARプログラム”GHOSTBUSTERS ROOKIE TRAINING”、プロフェッショナル向けドローン”Airpeak S1″UI/UXデザインなどを担当。

DJ RIO コンセプチュアルな未来予測とか、そこに至るシナリオではなく、実際にぼくらが日々事業をやっているなかで目撃している「現時点での姿」みたいなものを紹介しながら、話を深めていければと思っています。

まずは、先程おっしゃっていたように、デジタル上のコミュニケーションに身体性が付与されていることが、アバターの最たる価値のひとつだと思います。これまではテキストやボイス、あるいは写真投稿といった手段によってSNS上でのコミュニケーションがおこなわれていましたが、モーションキャプチャー技術を使って身体を再現することが、部分的であれ可能になってきたことによって起きている現象がいろいろあります。

REALITYのユーザーは、アプリを開くと「自分の動きに合わせて動く自分のアバター」を目にします。これは手鏡のメタファーです。鏡をのぞき込むと自分の顔が写っていて、自分が目をつぶればつぶるし、口を開ければ開ける。大抵の人はこの動作に慣れ親しんでいると思うのですが、REALITYはアバターを使ってスマホ上でそれを再現しています。

そうすると何が起きるかというと、スマホに写っているアバターは「自分である」という自己投影意識が非常に強くなるんです。

しかもREALITYはライブ配信アプリのため、配信中は常時自分のアバターを見続けることになります。つまり、画面の中の自分に向かって話すと、その先に視聴者がいる……というコミュニケーションを長時間やるので、どんどん没入度が上がってくるわけです。

「そのアバターは自分だ」という意識が強くなると、徐々に新しい服を買うというモチベーションや価値が上がってきます。「冬だから冬服がほしい」とか「毎日同じ格好をしているのが恥ずかしいから新しい服に着替えたい」といった意識が芽生えるんです。

そして今度は、自分のリアルな顔をアバターに似せたくなってくるんです。まだまだ、自分に似せてアバターをつくる人が多いかもしれませんが、その一方で、アバターの髪型に自分を合わせるとか、アバターの髪色に染める人が増えてきています。どうやら、リアルな自分を鏡で見ているときとの差異を埋めたくなる、という気持ちがあるらしいです。

デジタル空間上での滞在時間が増え続けるほど、そのデジタル空間上での「自分」であるアバターへの自己同一視が上がってくる。そうすると、服を着替えるとかお化粧するとか髪型を変えるといったことに対する価値がどんどん上がり、より現実と近いものになっていく……ということがいま起きているのだと思います。

石井 一般的にはリアルとバーチャルみたいな二元論で捉えられがちですが、バーチャルの中で自分の分身と過ごしていくことで、リアルのほうにも影響が染み出し、新しい価値観とか、考え方の拡がりみたいなものに影響を及ぼしている……ということがいま起きているわけですね。

尾崎 自分がアバター化してVRの世界の体験をすると、「現実世界の自分も拡張される」ということに感銘を受けました。現在、現実を拡張するARと仮想現実のVRは時に対立的に捉えられることがありますが、DJ RIOさんは、ARについてどのようなお考えをおもちなのでしょうか?

尾崎史享|FUMITAKA OZAKI
1986年生まれ。ソニーグループ株式会社 クリエイティブセンター クリエイティブ企画チーム デザインリサーチャー。2010年ソニーへ入社。VAIO事業本部に配属、PCの商品企画に携わる。15年よりモバイル部門に異動、Xperia™スマートフォン商品企画を担当、シンガポールの駐在を経験。帰国後、クリエイティブセンターに配属、さまざまなデザインプロジェクトのデザインリサーチを担当。

DJ RIO VRとARは視界の占有率の差でしかないと捉えています。視界の大半を上書きすれば完全没入型VR的な体験になりますし、視界の一部だけを上書きすると、いまのARのような体験になります。VRとARは分けるものではなく、ニーズに応じて最適なUXが開発されていくなかで、徐々にその境界は曖昧になっていくと考えています。

「かわいい」の副次的効果

尾崎 REALITYを運営するなかで目撃している事象として、ほかにはどのようなことが起きているのでしょうか?

DJ RIO REALITYのアバターって、基本、かわいくつくることが簡単にできます。なので、ほかの人から「かわいい」と言われやすい。人間って、褒めてくれたりポジティブな言葉を投げかけてくれる人に対して悪い感情を抱きづらいという点があるので、「かわいい」とか「声がいいね」とか言ってくれる人に対して好感をもつんです。つまり、見た目をみんなかわいくしてしまうことで、コミュニケーションや人間性がすごくポジティブになり、それがコミュニティ全体の空気にまで影響を及ぼしているという現象が起きています。

もちろん、悪意がある人もゼロではありませんが、これまで仕事で何度もSNSをつくってきた経験からしても、こんなに平和なコミュニティはあまりないなと感じますし、ユーザーからも「ここ、みんな温かいよね」といったことをよく言われます。

これは、アバターに対する自己同一性が強い人たちが多いことによって生じているコミュニケーションの作用だと思っています。

精緻な解明はできていませんが、これまでのアバターサービスは、着せ替え人形をつくっている感じでした。自分という主体ではなく、客体としてのアバターでした。それでも自己同一視している人はいましたが、スマホのなかで自分の顔の通りに動いているキャラクターとは、自己同一視のレベルがまるで違います。

オンラインゲームでもアバターをつくったりキャラクターをつくったりできますし、ある程度は自己投影していると思いますが、VRchat内で全身が自分の通りに動き、一人称視点で、下を向くと足や手が見える状態と比べると、当然、後者のほうが没入度が高いわけです。

そこは、これまでのアバターサービスとREALITYの大きな違いだと思います。

石井 確かに、従来のゲームキャラクター等は「客観的につくられている」という印象がありましたが、アバターを自らつくり、それがモーションキャプチャーによって同期して動くような体験になってくると、主観的というか「じぶんごと化」されるので、まったく体験が異なるのでしょうね。

DJ RIO そうですね。昔のゲームのキャラクターはコントローラーで動かしていましたし、カメラビューはサードパーソンビューでしたし、ボタンを押して武器を振り回したりしましたよね。その点REALITYは、モーションキャプチャーを使って自分のカラダの通りに動きますし、あとはやっぱり音声でコミュニケーションをするので、より一層「自分自身」度が高いのだと思います。

基底現実からの解放

尾崎 いままではビジュアルのお話だったと思うのですが、一方で、アイデンティティが分かれていくというところでいうと、まさにDJ RIOさんが本名ではなくDJ RIOさんとして活動されているように、「偽名であること」が、メタバースのカルチャーにおいてはわりと大事なことなのではと思います。見た目だけではなく名前も変わることで、人種や性別や社会的背景等から開放された状態で、自分を表現できたり能力を発揮できたりするのかと思うのですが、そのあたり、DJ RIOさんはどうお考えでしょうか?

DJ RIO Facebookでは身元を明かしていたり、Twitterでは趣味ごとにアカウントをつくっていたり、LINEでは友達や家族用の自分を見せていたり……と、既にSNSごとにアカウントを使い分けていますよね。それってメタバースの原型でもあるし、アイデンティティを複数使っていることの原型でもあるわけですが、そこに空間とか身体というものが付与されることで、より一層、一つひとつのアイデンティティの具体性というか情報量が上がるという点が、メタバース時代に起きる変化だと思っています。

みんながそうするべきと思っているわけではなく、複数の自分をつくれる、あるいは複数の自分を生きることができるといった選択肢が増えたことが非常に大事だと考えています。

ぼくがビジネスで付き合うような「同世代で教育水準が高く、それなりに裕福で、かつキリスト教文化圏で生まれ育った人たち」というのは、人は神の前にすべてを見られているという深層心理が多かれ少なかれあるからなのか、複数アイデンティティをもつというメンタリティにはなかなかならないようです。

なので、シリコンバレーの投資家たちと話をしていても「なんで自分に似たアバターをつくれないの?」とか「なんで違う人になる必要があるの?」といった具合で話が通じないんです(笑)。ただ最近、その見方もひとつのバイアスでしかなかったことがわかってきました。

よく、アメリカのREALITYユーザーにグループインタビューをしているのですが、ネバダ州やアリゾナ州あたりに住む20代前半のブルーワーカーの女性で、自己肯定感も高くなければ、顔と名前をさらしながら堂々と情報発信をしたいなんて思っていない、という方と複数話したんですね。

むしろ「最近はSNSもギスギスしているし、自分の使いたいように使うには偽名のほうがいいんだよね」とか「自分の見た目に自信があるわけでもないから、アバターでかわいくなれると嬉しいんだよね」といった発言を聞くようになりました。

もっと言うと、アメリカではさまざまなセクシャリティやアイデンティティをもつ若い世代がかなりREALITYを使ってくれています。自分の肉体性を受け入れられないとか、学校のような身近な閉鎖社会のなかで生きづらさを感じ、本当の自分を出せていないという人たちにとってREALITYは、見た目とか物理的な人種とか性別から解放された、居心地のいい空間になっているようです。

複数のアイデンティティを使い分けるというマインドが、日本以外でも徐々に拡がり始めている手応えは、確実に感じています。

本当に「インターオペラビリティ」は必要なのか?

尾崎 Web3やメタバース界隈で指摘されることが多い「インターオペラビリティ」についてはどんな見解をお持ちでしょうか?

DJ RIO 確かに「メタバースのインターオペラビリティが重要だ」「資産はメタバースをまたいで移動できるべきだ」といった説は、メディアとか知識層の間でよく聞かれますよね。あたかもそれが当然だし、それを実現すべきだという論調なのですが、ぼくは100%それを信じ切れていないところがあるんです。

「『ポケモン』大好き!」という人が、「コール オブ デューティ」とか「エルデンリング」といったハードコアな世界観/ダークファンタジーの世界観に、「ポケモン」のなかで使っている自分のキャラクターをもっていきたいかといわれたら、「別にそうじゃなくない?」と思っているんです。「そういうレイヤーのインターオペラビリティって、一体誰が求めているの?」って正直思います。

さらに、ここから先は完全に企業の論理なのですが、インターオペラビリティを担保するメリットが、事業者側にはあまりにもなさすぎるんです。みんなテーマとしては唱えるし、大事だと言うけれど、本当に効果があるかは疑わしいし、それを検証できるような状況にはなかなかなっていないのが実状ではないでしょうか。

とはいえ、ファイルフォーマットレベルの規格の統一は確実にやったほうがいいと思っています。現状、TwitterであれInstagramであれFacebookであれTikTokであれ、プロフィールのアイコンって持ち運びできないじゃないですか。ただ、JPEGとかPNGといったフォーマットは一緒だから、同じ画像にしたい人は同じ画像をアップロードするし、使い分けたい人は使い分けていますが、少なくともTikTokのプロフィールに使えるファイルフォーマットとInstagramのプロフィール画像にできるファイルフォーマットが違うなんてことはないわけです。

つまり、ファイルフォーマットとか通信プロトコルといった「技術レイヤー」では、ある程度の規格の共通化がなされるべきだとは思います。ただし「サービスレイヤー」として、アイデンティティを共通で持ち運べるようにサポートするべきかというと、そんなにニーズがあるのかなとは思います。

尾崎 非常に説得力がありますね。では、Web3に代表される「分散化」の流れについては、どのように見ていますでしょうか。SF映画に描かれるメタバースは中央集権的に管理されるディストピアなものが多いのですが、自律分散化したメタバースがオープンで民主的に運営される形態はありえるのでしょうか?

DJ RIO 「中央集権なディストピアか完全なる自律分散のユートピアか」という二元論ではなく、その中間になると思います。中央集権的企業が一定の責任を負う代わりに安心安全なサービスを提供しつつも、Web3に代表されるエンドユーザー側にデジタルデータの所有権とコントロールが戻っていくという流れが牽制となり、過度な寡占によるユーザー不利益は抑止される……というあたりが健全なバランスなのではないかと思います。

重要なのは「機能性」より「カルチャー」

尾崎 今回の「DESIGN VISION」では、Sci-FiプロトタイピングでSF作家の藤井太洋さんにご執筆いただいた小説をベースとして、2050年には、メタバースごとに存在している自身のアバターが、ある種bot的に自律的に活動するような世界になっているのではないかと予想しています。

例えばDJ RIOさんがリアルタイムで操作をしなくても、DJ RIOさんのアバターが自律的にREALITY内で何かしらのパフォーマンスをしたり、トークショーをしたり……みたいなことが起き、自分自身もそのアバターとコミュニケーションができるといった、ある種「自分と分人との共生社会」が来るのではないかと。そういうことは起こりえるのか、そもそもポジティブなことなのか、お考えを訊かせてください。

DJ RIO いいテーマですね! 技術的にはどんどんできるようになっていきますし、実際チャレンジする企業やスタートアップも出てくると思うのですが、どういうシチュエーションだったら使えるのかは、2〜3年ではなく20〜30年単位の未来の話なので想像しづらい部分はあります。

自律的に動くというところまで行くと遠すぎるけど、もう少し現実的に想像できる範囲まで引き戻してみると、例えばキャラクターグッズとか芸能人のポスターとか、「実際に生きている人物」を静的、あるいは平面的に移し込んだものを所有し、一緒に過ごすということは、既にやっていますよね。そう考えると、身体性が3D情報として投影され、しかもそれが動いたり喋ったりをある程度のレベルで再現できるようになると、「静止したペラペラの写真を壁に貼っておくより、立体で、何かしら動いて、かつ受け答えもしてくれるお気に入りのキャラクターや芸能人を家に置いておこう」みたいな発展の仕方をしても、おかしくはない気がします。

ただ、どれくらい自律性をその対象物に実装するのかは、肖像権やIPホルダー的な方向での課題も大きい気がします。自分の分身の所有を他人に認めるということになるので。そんな時代が……来るのかな? 来るのかもしれない(笑)。

尾崎 いまはまだ「生きている人が自律的に存在している」事例はなかなかありませんが、亡くなった著名人がデジタル的に復活させられるケース──テレビ番組の企画で亡くなった歌手がホログラムで再現され新曲を披露したり、アインシュタインの精巧なbotが出たり──はありますね。そうした技術が発展し、著名人だけでなく個人レベルでも拡がっていくと想像しています。

あるいは、顧客が亡くなったあと、その人のSNSアカウントを管理して、故人の遺志を尊重して残したり、削除したり、あるいはそのデータを使ってバーチャルな自分として残し続けるといった、「死後のデジタルアカウントサービス」を提供するスタートアップが出てきているようです。

石井 そうした段階を経て、みんなが当たり前のようにアバターつくるようになってくると、「人間って何なんだろう」とか「自分ってどうなりたいんだっけ」とか「他人とどう過ごしたいんだっけ」といったところを、じぶんごととして考える機会がもっと増えてくる気がします。

DJ RIOさんの活動を拝見していると、カルチャーが立ち上がっている感じをすごく受けるんです。一般的なメタバース界隈のトピックとは何か違う感触というか。新しい技術やシステムがあったとしても、それを引っ張っていくのはやっぱりカルチャーなんじゃないかなという印象があるのですが、REALITYが提示しているような新しい現実感や情緒だったりが味わえる世界観を、もっともっと広めていくためには、この先何が必要だと考えていますか?

DJ RIO さまざまな側面がありますが、やはり若い社会になることだと思います。メタバースの取材を受けるたびに「あなたの息子さん、娘さんを見てください」と言っているんです。「『フォートナイト』や『マインクラフト』や『ロブロックス』等々で、1日何時間もデジタル空間で自分のアイデンティティをもって、ほかの人たちと触れ合ったり何かつくり出したりしていますよ」と。「使ってないのはあなただけであって、若い人たちは使ってますよ」という話を、よく煽り気味にするんです。

テクノロジーは着実に進歩していますし、これからも加速するし、ぼくらのサービスを含めていろいろ出てくると思うのですが、やはり、新しい技術やサービスの価値を享受するために障壁になるのは古い価値観だったり食わず嫌いだったりします。そういうものがなくなれば、世の中勝手に変わっていくと思います。

事実、このコロナ禍のなかで強制されると、やむを得ない案件以外は会わなくても仕事ができるって気づいちゃいましたよね。環境への適応とか新しいデジタル技術の活用というのは、必要に迫られればみんなやるということがわかったので、それをいかに推し進めるかということだと思います。

「再現」ではなく「再構築」

石井 「場の話」についてもうかがいたいと思います。メタバースのようなハコができたとしても、何もしないと人は集わないはずです。その点、DJ RIOさんの名前にDJって付いているいるのも象徴的ですが、DJって、場をファシリテーションする立場というか、空気感をつくり、演出する役割ですよね。言葉ではないコミュニケーションの場をつくりあげていくという意味では、ぴったりなネーミングかもと思いましたが。

DJ RIO そんな高尚なことは考えていませんでした(笑)。

石井 あと、「GHOSTCLUB」の0b4k3さんと対談されている記事を拝見したのですが、「GHOSTCLUB」なんてまさにアンダーグラウンドなクラブカルチャーそのもので、現実の世界でかつて体験したことのある、あの黎明期の空気感っぽいなという印象をもちました。そうしたトピックひとつにしても、やはりカルチャーが立ち上がっている瞬間を目撃できる、何ならいまは一番いいときなんじゃないかという気すらしています。

DJ RIO 本当にそうですね。このデジタル空間上に、人間世界のいろいろなものを再構築している段階というか。強調しておきたいのは、「再現」ではなく「再構築」しているという点です。いまは、そういうシーンがたくさん見られて面白いタイミングだと思います。

Web3と命名されたコンセプトのもと、ブロックチェーンや暗号通貨を使って、既存の金融システムを新しい技術を使ってゼロから再構築しようという、ある意味人類史に残る実験が進んでいるわけですが、これも、デジタル空間上での再構築のひとつですし、アバターやコミュニケーションみたいなものがメタバース上で再構築されていくというのもひとつのムーブメントだと思うので、その辺の渦中にいるのはとても面白いしいましか味わえないので、「やったほうがいいですよ」と声を大にして言いたいです。

石井 現実世界のシミュレーションはあるとして、その先に、どこまで拡張できるか、そのためにはみんながどういう想像を働かせるか、というところがこれから面白いなと思うポイントかなと思いました。

尾崎 ソニーは音楽ライブのようなエンタテインメント事業もやっているわけですが、コロナ禍もあって、いろいろなところで「興業をメタバースに移す」プロジェクトが立ち上がっています。でもDJ RIOさんのご指摘のように、ややもすればリアルをそのままメタバースにもってきて「再現」するやり方になってしまいがちな気がします。そこから脱却して、現実を拡張して「再構築」する、単にスキュモーフィズムに陥らない仕掛けをつくっていきたいという議論をもっとしていきたいと感じました。

情緒や文化といった言葉も出てきましたが、われわれとしても単に機能的なものではなく、文化や新しい価値観を生み出すようなメタバースのデザインを模索していきたいので、今回の鼎談でいろいろなヒントをいただけました。

ちなみに、人類が総アバター化し、シンギュラリティが起きるのはいつごろだと考えていますか? そして、シンギュラリティが起きたときに起こる一番の変化は何だと思いますか?

DJ RIO 2030〜2040年代のどこかだと思います。そのとき、世の中はいまとはまったく異なるかたちでしょうが、実際に起きていることは、いまVRchatや「フォートナイト」の一部でおこなわれていることとあまり変わらないはずで、本当の変化は、それを全世界・老若男女がやるようになるということではないかと思います。

石井 ぼくらは今後、「人間自身をデザインしていける」のだなと感じました。人間の内面や外面を制約から解放されてイメージしていける時代に入ったのは大きな変わり目だと思いますし、空間にしても、いままでは心地いい感覚を導く場や形を表現していたのに対し、ひょっとしたら実態を伴わない心地いい概念とか、もうひとつ上の次元にあるものをデザインしていく時代なんだなということを、お話を伺っていて改めて思いました。本日はありがとうございました。

DJ RIO こちらこそありがとうございました。ソニーならではの立場やインパクトを生かして、一見SFのように聞こえるけれど、既に近づいている来たるべき未来を身近に感じられる、あるいはそこに連れて行ってくれるようなサービスやコンセプトを、どんどん提示していただけるのを楽しみにしています。

[ Sony Design ]