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新元良一|RIYO NIIMOTO

1959年生まれ。作家、コラムニスト。84年に米ニューヨークに渡り、22年間暮らす。帰国後、京都造形芸術大で専任教員を務めたあと、2016年末に、再び活動拠点をニューヨークに移した。主な著作に『あの空を探して』〈文藝春秋〉。ブルックリン在住。

「THE STONE」|ルイーズ・アードリック
ある夏、家族と出かけた湖のほとりで、彼女は「その石」を見つける。まるで生き物のように彼女に寄り添い、人生に深くかかわっていく石。自然物をその掌中におさめようとする人間の業は、アントロポセンという時代の根源的破綻を静かに問う。「全米図書賞」を受賞した熟練作家ルイーズ・アードリックによる、『ニューヨーカー』誌初出載作。
【最新号の『WIRED』日本版VOL.35に日本語訳を収録】

ニューヨークの地下鉄に乗ると、本や雑誌などを読む人たちをよく見かけると思うのは、ぼくだけだろうか(自宅があるブルックリンから、マンハッタンへ日々通うつれあいも同意見)。もちろんスマホや電子書籍に興じる人間もいるが、ぼく自身が紙媒体に馴染むのもあって、自然とそうしたものに目がいく。

ルイーズ・アードリック|LOUISE ERDRICH

1954年生まれ。作家。1980年代より執筆活動を開始。錚々たる顔ぶれが並ぶ『ニューヨーカー』誌常連のひとりである。ネイティヴ・アメリカン(先住民)の血を継ぐ自身の出自の文化を取り入れた作風が注目され、『La Rose』(2016)で全米批評家協会賞を受賞した。

村上春樹の短編小説が度々掲載されるからか、日本では文芸誌的な位置づけをされがちな『ニューヨーカー』誌だが、れっきとした総合雑誌である。ルポルタージュやフォト・エッセイ、映画やテレビ、音楽などの文芸評論や、ニューヨークのちょっとしたその週の話題を網羅した名物コラム(トーク・オブ・タウン)と取り扱うジャンルは多岐に広がる。

とはいえ、ここで発表される短編小説が注目され、数々の名作や優れた作家を輩出してきたのもまた事実だ。昔ならジョン・アップダイクやジョン・チーヴァー、JD・サリンジャー、最近ではデニス・ジョンソンやジュノ・ディアスなどアメリカ文学の屋台骨を支えてきた人たちの発表の場であり続け、掲載作品に対し、「ニューヨーカー流フィクション」の異名まである。

2019年9月9日号に登場したルイーズ・アードリックも、そんな錚々たる顔ぶれに名を連ねる作家のひとり。ネイティヴ・アメリカン(先住民)の血を継ぐ彼女は1980年代より執筆活動をスタートし、出自の文化を取り込む作風が注目され、『La Rose』(2016)で全米批評家協会賞を獲得したヴェテランだ。

『ニューヨーカー』誌掲載の作品には、表紙も含めて10ページの長さに及ぶものも珍しくない。そんななかにあってアードリックによる今回の〈ザ・ストーン(The Stone)〉は、4ページのヴォリュームからすれば、小品の部類に入るだろう。

前置きが長くなってしまった。〈ザ・ストーン〉を読み始めたとき、もし自分が地下鉄の中でこの短編小説を通読したらどうなるだろうか、と想像したくなった。マンハッタンまでの乗車時間30分、40分とし、終了後にページを閉じ、目的地に到着して、どんなものが待っているのかと思いを馳せた。

小説は、ある夏の出来事で幕を開ける。家族とともに避暑地にやってきた娘は、宿泊するキャビンの周りを散歩していると、誰かに見つめられている不思議な感覚に見舞われた。

ところが見渡してみても、視線を送る人物などおらず、目に留まるのは、黒くて丸い「その石」くらいだ。好奇心からか彼女は、鎮座する物体に近づき眺めると、どことなく自分に何かを求めるような気配を感じる。

木立の中で「その石」を拾うと、娘は夏の間手元に置き続けた。それだけでなく、1カ月後休暇が終わりに近づき、街へ戻ることになっても手放せず、ついに自宅へ持ち帰ることになった。

最初は枕元に置いていたが、家族から石の存在について尋ねられると、彼女は干渉されるのを嫌い、別の場所を探した。そしてデスクの普段滅多に使わない引き出しに入れると、誰の目もふれず、とやかく言われもしないと安堵した。

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やがて、娘と「その石」の関係はさらなる進展を見せる。

ヴィックという男子生徒が、学校で娘にちょっかいをかけた。美しい髪を授業中ハサミで切り取られ、先生や両親に彼女自らが髪を切ったと誤解されるが、娘はうまく弁解できない。

その夜、切られた髪の束 を「その石」の上に乗せると、娘の心は安寧と解放感で満たされた。これを境に、両者は切っても切れない親密な仲になり、バスタブの中で抱擁するなど、まるで恋人と慕うように、彼女は「その石」を愛おしく思うようになった。

しかし娘は、その関係を裂くかのように干渉を周囲から受け続ける。

バスケ部のスター選手で、ほかの女子にとって憧れの存在だった先のヴィックは、娘との交際を迫るが、付き合う直前になって髪を切られたときのことを思い出し、彼女はこれを拒む。夜になって娘以外は寝静まったころ、「その石」を保管する引き出しから物音がした。

大学へ進むと、関心を示したマライアという女友だちが、「その石」の盗みを働く事件が起こった。奪った当日、自室のベッドの頭上にある棚に隠そうとしたマライアは、仲睦まじく娘とともに就寝する「その石」が、どんな反応をしてくれるかと待ち焦がれた。しかし期待に反し、棚から自分の顔面に落下した「その石」のおかげで、彼女は大けがを被った。

事件により大騒ぎとなる最中、たいせつなものを奪還した主人公は、再び「その石」との親愛な生活を取り戻す。

やがて優秀なピアニストとなった主人公は、コンサートに出演し、都会のオーケストラの専属となり、自身の才能を開花させた。それでも「その石」とは片時も離れたくない思いが強く、ステージに上がる際も黒いバッグに入れて出演した。

そんなある日、彼女は黒いバッグを持たなくなった。おそらくオーケストラの首脳の目に止まり、持ち込みを禁止されたと思われるが、ささやかと思われた裂け目が「その石」との関係に大きな転換をもたらす。

ステージでひとりになった主人公だったが、演奏自体は以前さほど変わらず、どちらかと言えば技術が向上した。その晩、普段どおりに浴室で「その石」を掴もうとしたところ、うっかりして手から滑り落ち、彼女の膝にあたった。

痛みというより、自分から疎遠になってしまったことへの罪悪感からか、主人公は涙を流した。と同時に、バスタブの中にある「その石」を拾い上げ、握りしめると、あたかも関係を断つように、彼女は浴室のフロアに叩きつけた。

ぶつかった衝撃により、あろうことか、「その石」はふたつに割れてしまう。変わり果てた姿の石を手に取った主人公は、ほとんど開けることのない引き出しに置き去りにし、自分に好意を抱いてくれていた男性に連絡をとった。

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こうしてその男性と結婚した彼女は、正確な技術に新たな情感を加え、ピアニストとしての評価を高める。ヨーロッパ各地での公演も決まり、「その石」を残し、夫とともに旅に出た。

一風変わったストーリー展開に、ファンタジー的な要素、あるいはオカルト的なムードを見出す向きもあるかもしれない。だが、人間と非人間的な存在との密接なつながりをベースにした物語は、過去にも例がある。

例えば、児童文学のジャンルで広く親しまれている『おおきな木』(シェル・シルヴァスタイン著)だ。タイトルにある大木とともに育つ少年が、成長するにつれ、かつての遊び仲間の元から離れていく話は、読む側にメッセージをもたらす。

自分にとってたいせつな存在は粗末にしてはいけない、そうしたメッセージである。対象となるのは親、あるいは家族、もしかすると故郷のような存在で、作品全体から母性を感じる読者も少なくないだろう。

一方の〈ザ・ストーン〉は、多感な少女時代から主人公の人生の末路まで、長いタイム・スパンで語っていくというスタイルは共通するが、クライマックスに向かう直前で、あるクッションを置くことで異彩を放つ。

石とは、それ自体が生き物だ。と言っても、生物学的な意味合いでない。我々が持つ理解力、あるいは想像力をもはるかに超越した歴史を伴う存在として。(拙訳)

石とは、地球が人類のいない時代でも進展するという、ひとつの考え方だ。それを生きものと見なす文化がある反面、死滅したものとする文化もある。(同)

物語の流れを断ち切るリスクがあるにもかかわらず、結末に近づくなかで作者がこのクッションを挿入した意図は重く、そして深い。

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二番目の文章の最終行に目をやると、自然の保護を訴えるために、石を象徴的に扱うといった捉え方もあるだろう。しかし自然保護や環境破壊など日常耳にする問題を飛び越え、地球に属し、この世界に生を授かったことへの尊さと、それを軽視する戒めが本作の根底に感じる。

その思い導いてくれるのが、最初の文章に出てくる「歴史」だ。

人類の誕生以前に、地球や自然はすでに存在し、小説の主人公が深いつながりをもつ「その石」も原形を現していた可能性がある。にもかかわず、文明を手にしたわれわれ人間は、「その石」を投げつける彼女さながら、自分たちの周囲のあらゆるものを支配したがる。

支配欲の矛先として、歴史も例外ではない。人類、自然、さらには地球とすべてを包括するのが歴史のはずである。だが、修正だ、過去への回帰だと言って、むやみにそこへ手を突っ込もうとする人間の愚行が、アメリカのみならず、昨今の社会の現状として本作に集約される気がする。

先に主人公が「その石」を愛おしく感じると書いたが、われわれと同じ人間である彼女こそ、「その石」の背景にある歴史から慈しみを受けているのかもしれない。結末で人生の最期を迎えるにあたり、主人公は歴史の一部に組み込まれていく様子が、そんな読後感をもたらす。

さて冒頭で紹介した、地下鉄の車内での読書に話を戻そう。雑誌掲載の小説を30分で通読すると、自分が目指す駅の到着アナウンスが聴こえる。そのとき読書の胸に去来するのは、乗車時とは異なる、人間の存在に儚さを見出す遠大な風景ではないか、そうしたイメージを喚起させる一編である。

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