マリアナ・マッツカートが世界で最も影響力のある経済学者のひとりに数えられるようになったのは、彼女がある考えに思い至ったからだった。2011年初めのことだ。当時は08年の世界金融危機から3年たち、英国では保守党と自由民主党の連立政権が緊縮財政を進めていた。地方ではそのせいで公共サーヴィスの縮小を余儀なくされ、ホームレスや犯罪が増えていた。「わたしが住んでいた地区でも、放課後クラブ(学童保育施設)やユースセンター、公共図書館、治安維持、精神衛生などの予算が軒並みカットされ、社会で最も弱い立場にある人たちの生活に影響が出ていました」と、マッツカートは振り返る。「悲しくてなりませんでした」

なかでもマッツカートが我慢ならなかったのは、こうした予算削減は競争力の強化やイノヴェイションの促進のために必要だという話が流布していることだった。11年3月、首相のデイヴィッド・キャメロンは演説のなかで、現役の公務員を「企業の敵」とこき下ろした。その一方で、キャメロンは同年11月、ロンドン東部のトルーマン・ブルワリーを訪れ、「テックシティ」と呼ばれる新しいテクノロジー集積地区の構想を発表した。

「彼らは起業家ばかりをもち上げて、ほかの人は切り捨てていました」と、マッツカートは当時の政権幹部の姿勢を批判する。「欧州版のグーグルやフェイスブックと呼べるような企業が存在しないのは、わたしたちがシリコンヴァレーのように自由市場原理を採らなかったからだ、そんなふうに信じられていたんです。でも、それはただのイデオロギーにすぎません。シリコンヴァレーにだって、自由市場なんてものは存在していなかったんですから」

何十年も、イノヴェイションの経済学とハイテク産業を研究してきたイタリア系アメリカ人の経済学者であるマッツカートは、世界でも指折りの革新的な企業のいくつかについて、初期の歴史を掘り下げて調べてみることにした。すると、例えばグーグルのウェブ検索アルゴリズムの開発は、米政府の科学技術振興機関、国立科学財団(NSF)の助成を受けていたことがわかった。電気自動車(EV)メーカーのテスラは当初、資金調達に苦慮していたが、米エネルギー省から3億8000万ポンド(現在の為替レートで約545億円)の融資を確保できたことで救われていた。実際のところ、イーロン・マスクが創業した3社──テスラ、太陽光発電のソーラーシティ、宇宙開発のスペースX──は、さまざまなかたちで計39億ポンド(約5,300億円)近くに上る公的支援を受けていた。米国の名だたるスタートアップは、多くが創業後まもない時期に、米政府のヴェンチャーキャピタル(VC)ファンド、中小企業技術革新研究プログラム(SBIR)から資金支援を受けていた。

「そこで行なわれていたのは単なる初期研究ではありませんでした。ある意味、すでに応用研究に入っていたとも言えるし、初期段階の資金確保や戦略的な資金調達も同時に進められていたんですと、マッツカートは言う。「調べれば調べるほど、よくわかってきました。あらゆるところに国家による投資がある、と」

神話化されたアップル成功の起源

マッツカートは調査結果を150ページの冊子にまとめ、それを英国の政策シンクタンク、デモス(Demos)に提出した。冊子は何千人もの政策立案者に配布され、日刊紙でも取り上げられた。「動揺を引き起こしたのは明らかでした」とマッツカートは振り返る。「考えれば考えるほど、イノヴェイションを巡る神話の核心に迫りたいと強く思うようになりました」。そこで今度は、シリコンヴァレーの技術の結晶である製品の詳細な分析にとりかかることにした。「iPhone」だ。

マッツカートは、iPhoneを生み出した一つひとつの技術について、丹念に由来を調べ上げていった。通信プロトコルのHTTPは、言うまでもなく、英国の科学者、ティム・バーナーズ=リーによって開発され、スイスのジュネーヴにある欧州原子核研究機構(CERN)のコンピューターに初めて実装されたものだ。インターネットは、「ARPANET(アーパネット)」と呼ばれるコンピューターネットワークとして始まったが、これは1960年代、衛星通信の問題を解決するために米国防総省の資金提供を受けて開発されたものだ。国防総省はGPSの開発にもかかわっていて、これは元々は70年代に軍事機材の位置を特定する目的から構築された。

ハードディスクドライヴ(HDD)、マイクロプロセッサー、メモリーチップ、液晶ディスプレイもすべて、開発に当たっては国防総省が資金を拠出している。音声アシスタントの「Siri」は、スタンフォード研究所による軍人用ヴァーチャルアシスタント開発プロジェクトの産物で、このプロジェクトもやはり国防総省の国防高等研究計画局(DARPA)から委託されたものだった。タッチスクリーンは、デラウェア大学の大学院で行なわれた研究の成果で、その研究は国立科学財団と中央情報局(CIA)から資金提供を受けていた。

「スティーブ・ジョブズは、自身が考案し、世に送り出した数々の先駆的な製品によって、天才の名を欲しいままにしてきた。当然と言えば当然だろう。しかしそうした語り方は、アップルの成功の起源を神話化してしまっている」。マッツカートは2013年の著作『The Entrepreneurial State(企業家としての国家)』のなかでそう書いている。「コンピューター革命やインターネット革命の裏にある莫大な投資がなければ、そうした資質があっても、せいぜい新しいおもちゃ程度のものしか発明できなかったかもしれないのだ」

企業側はそのくせ、規制緩和や税の軽減に向けたロビー活動をするときには、イノヴェイションに国家は不要であるかのような言い方をする。企業については、さらにこんな事実もある。マッツカートと経済学者のビル・ラゾニックが調べたところ、「S&P 500」指数の構成銘柄に選ばれている上場企業は03〜13年に、全体として利益の半分強を自社株買いに充てていた。その分については、研究開発への再投資ではなく、株価の押し上げに振り向けるほうを選んだということだ。

例えば、製薬大手のファイザーは、この期間に合計で1,120億ポンド(現在の為替レートで16兆1,000億円)の自社株買いを行なっている。アップルはジョブズの時代には自社株買いをしていなかったが、12年から始め、18年までに計1兆ドル(同約108兆円)近くの株式を買い戻した。「こうした利益は研究や従業員の訓練のために使えるはずです」と、マッツカートは言う。「それなのに、実際は自社株買いやゴルフみたいな活動に充てられていることが少なくないんですよ」

イノヴェイションの通説を論破する

そうした状況は、差し迫った、より根本的な問題を引き起こしている。それは、もし航空機や原子力、コンピューター、ナノテクノロジー、バイオテクノロジー、インターネットなどの開発につながったような、冒険的なテクノロジー事業に伴うリスクを伝統的に引き受けてきたのが、民間ではなく国家だったとすれば、喫緊の課題──破滅的な気候変動、抗生物質が効かない病気の流行、認知症患者の増加などに対処するためのテクノロジーの次なる波を、わたしたちはどのようにして見つけていけばよいのか、という問題だ。「歴史が示しているのは、イノヴェイションというものは、各方面の力を結集した壮大な取り組みの成果だということです。カリフォルニアの白人男性からなる限られた集団から生まれたわけではありません」と、マッツカートは説明する。「わたしたちがもし世界の最も大きな問題を解決していきたいのであれば、この点をもっとよく理解しておくべきでしょう」

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マッツカートには、いまでも忘れられない幼少時の記憶があるという。プリンストン大学で核融合を研究する物理学者の父エルネストは、テレビのニュース番組を観ていると、突然、画面に向かって怒鳴り始めることがあった。そんなとき、幼いマッツカートが「パパ、あれはただのお知らせでしょ」と言うと、父は決まってこう答えたという。「いや、そうじゃないよ。あの人たちはね、人々に信じ込ませようとしているんだ」。マッツカートはこう振り返る。「父から最初にたたき込まれたのは、物事を批判的な目で見るということでした。まあ、それは主に、テレビに向かって毒づく父の姿を見ることを通して、だったわけですけれどね」

『企業家としての国家』の出版後、エネルギッシュな40代後半の女性である彼女は、テレビの時事番組の常連となり、経済問題についての通説を鮮やかな弁舌で何度も論破してみせた。17年にBBCの番組「ニュースナイト」で財政赤字を巡って討論したときには、財政赤字のことを気にしすぎだと司会のエヴァン・デイヴィスをたしなめ、「赤字は確かに問題です。ですが、本当に大切なのは何に支出するかってことなんですよ」と語気を強めて訴えた。チャンネル4の「Channel 4 News」で司会のジョン・スノーからグーグルの租税回避についてどう思うか問われた際には、こう切り返した。「いいですか? そんなことが問題じゃないんです。本当の問題は、グーグルやらアップルやらグラクソ(・スミスクライン)やらファイザーやらが、租税政策について世界中の財務当局と裏で手打ちしてるってことを、人々が知らないことです」

自著の中核にあるメッセージが一般読者の間で反響を呼んだのは、マッツカートにとっては必ずしも驚くべきことではなかった。英VC企業のローカルグローブ(LocalGlobe)の共同創業者、ソール・クラインはこう指摘する。「シリコンヴァレーの起業家たちは、自分たちが巨人の肩に乗っかっていることは、まず認めようとしなかったわけです。あの本は、そのことをもっと認めるよう、イノヴェイターたちに迫るものだったと思います」

テック業界の重鎮、ティム・オライリーもこんなふうに語っている。「(テック産業という)この知的構造体をつくり上げるには、過去40年にわたって、非常に団結した取り組みがありました。そうやってできた知的構造体は、政府に売り込まれる一方、社会には自由市場と関連させて宣伝されたりしました。そうした活動を裏で支えていたビジネスパーソンたちは自分たちにとって都合のいい話をしようとしてきたわけです。その話におかしいところがあるというのは、いまやはっきりしています。それに変わる新たな説が必要になってきているんです。マリアナは、そうした話に対抗する言説を練り上げようとしている経済学者のひとりだと言えます」

マッツカートにとって意外だったのはむしろ、当時の連立政権内に自分の支持者がいたことだった。「ありていに言えば、わたしはそれまでほとんど学術的な論文しか書いていなかったから、共産主義者だと思われる心配がなかったということなのでしょう」と本人は語っている。その支持は具体的にどのようなかたちで表れたかといえば、例えばビジネス・イノヴェイション相のヴィンス・ケーブルは、産学連携を促進するため「カタパルト」と呼ばれる拠点を創設した。

また、大学・科学担当相のデイヴィッド・ウィレッツは、戦略的な投資対象とする「8つの重要な技術」を発表している。「国家の役割をどう積極的に位置づけるかに関しては、保守党の議論にも振れ幅があります」とウィレッツは説明する。「マリアナは政府の役割について、最小限の政府という立場からのものでもなければ、伝統的な社会主義に基づくものでもない説明をしていました。だからわたしは政府内で、ちょっと待ってください、これは左翼の社会主義の実験の類いじゃありません、むしろ共和党の米国がやっていることです、と言えたわけです」

ほどなくして、マッツカートはホワイトホール(官庁街)にたびたび呼ばれるようになった。そこでは、中小企業に資金支援する「中小企業研究イニシアティヴ(SBRI)」や、特許などの知的財産権から生じた所得に対する法人税を軽減する「パテントボックス」制度(彼女はこれを「史上最も愚かな政策」と呼んでいる)に関して、ケーブルやウィレッツに助言を行なった。

政治家に影響力を及ぼすためには、批判しているだけでは駄目だということは、マッツカートも自覚していた。彼女の見るところ、「革新派がよく議論に負けるのは、富の再分配を重視するあまり、富の創出の考察がおろそかになっているから」だ。「革新派は、支出についてばかり語るのではなく、より賢い投資の仕方についても語れるようにならなくてはいけません」

国家がリードした「ミッション指向型」プロジェクト

そのころマッツカートは、自身が「ミッション指向」型と呼ぶ組織に一段と関心を寄せるようになっていた。そうした組織の典型例は、先に触れたDARPAである。ソ連による世界初の人工衛星「スプートニク」打ち上げを受けて、1958年に米大統領ドワイト・D・アイゼンハワーが設立したこの研究機関は、のちにマイクロソフトの「Windows」、テレビ会議システム、「Google マップ」、Linux、クラウドなどとして商用化される技術のプロトタイプ開発に巨額の予算をつぎ込んでいた[編註:DARPAの2019会計年度の予算は約34億ドル=約3,700億円]。

また、イスラエルで1993〜98年に政府出資のVCファンドとして運営されたヨズマ(Yozma)は、40社余りを支援した。英国では、2010年に内閣府に設置された「政府デジタルサーヴィス(GDS)」が単一ドメイン「.gov.uk」(のちにデザイン賞を受賞)の整備などを進め、政府のIT調達コストを1年間で17億ポンド(現在の為替レートで約2,400億円)節約した。マッツカートは「わたしが『国家』という言葉を使うとき、それはさまざまな国家機関からなる分散型のネットワークのことを指しています」と説明したうえで、こう強調する。「そうした国家機関が問題解決のためのミッションを指向し、リスクをとる仕組みになっていれば、それらはイノヴェイションの原動力になりえるのです」

マッツカートにとって、ミッション指向型プログラムの最たるものは米国のアポロ計画だ。アメリカ人を月へ降り立たせ、無事に地球まで帰還させるこの宇宙計画をなし遂げるため、米政府は60〜72年に計260億ドル(現在の為替レートで約2兆8,000億円)を費やしている。実現には、航空だけでなく栄養学や繊維、電子製品、医学など、さまざまな分野にまたがる300以上のプロジェクトが貢献した。

そしてそこから生まれたもの、フリーズドライの食品、高温の環境下で体を冷やすクールスーツ、スチールワイヤを編み込んでつくるスプリングタイヤ、電気信号を利用して航空機の操縦を制御するフライ・バイ・ワイヤ方式など、1,800にも上る。アポロ計画はさらに、当時はまだ技術として確立していなかった集積回路(IC)を、産業として離陸させるうえでも大きな役割を果たしたほか、スペースシャトルや国際宇宙ステーション(ISS)といった別の宇宙計画を推進させることにも貢献した。

こうしたミッション指向型組織のやり方から、マッツカートは国家の役割について、従来とは異なる語り方をするための新しい語彙(ごい)を学んだという。「経済学はさまざまな説明の仕方で溢れています」とマッツカートは話す。「例えば、『可能にする』『促進する』『支出する』『規制する』といった言葉で説明しようとすると、国家は退屈で無気力な存在に描き出されてしまいます。そうした語り方は、自らの予言を実現させるような効果をもってしまいます。わたしたちには、よりよい政策に導いてくれるような新しい語り方が必要なんです」。実際、上に挙げたようなミッション指向型の組織は、ただ単に市場を修正するのではなく、むしろ積極的に市場を創出したり、方向づけたりしていた。また、研究開発に関して、外注したり不確実性を避けたりするのではなく、むしろリスクの高い方向性を自ら大胆に探っていこうともしていた。