ジョージ・ソーンダーズ|GEORGE SAUNDERS

作家。1958年米国テキサス州生まれ。日常の裏側に潜む真実を独創的な想像力をもって描き出すことに定評のある、現代米国を代表する作家。2017年に『リンカーンとさまよえる霊魂たち』〈河出書房新社〉で、世界的文学賞のひとつ「ブッカー賞」を受賞。邦訳に『十二月の十日』〈河出書房新社〉、『短くて恐ろしいフィルの時代』〈KADOKAWA〉などがある。

202X年2月22日
親愛なるロビーへ、

おまえからのeメールを受け取った。悪いが、手書きで返信させてくれ。こうした話題に、eメールで返信をして然るべきかわからんからね。もちろん最後は、(おまえの母さんからの話だと、身長が6フィートもあるんだって? )おまえ次第の話ではある。だがまあ、なんとも不思議な時代になった。

ここは天気に恵まれていてね。ついさっき群れなしたガチョウが、デッキの低いところまで来ていたよ。心優しいおまえがクリスマスに贈ってくれた、薄いブルーのマグカップを持ってわたしとばあさんは、まねて尻を振って歩いていたら、あちらはロズリーのほうへひゅーんと飛んで行った。向こうのゴルフコースのほうが、おいしいものにありつけるからね。

この先から、誰かの名前はイニシャルを使わせてもらう。GやM、それにJには、これ以上の面倒をかけたくないからね(みんな気のいい人たちだ。去年の復活祭でおまえが立ち寄り、彼らもここで集まってくれたときは本当に楽しかった)、おまえ以外の人間が脇から入ってきて、この文面を読まれることもありうるから。

Gについては、おまえの言う通りだ。あの船は出てしまった。行かせるしかなかった。おまえの説明だと、Mは必要書類の不備はなかったとのこと。一方で、Gは不備があったということかね? それなのに、少しも行動しなかった、と。もちろん、彼女がそうすべきであったと言っているわけじゃない。だが、向こうが何を考えているか、こちらも配慮してもいい、こんなご時世なんだから。そう努めるのが賢明じゃないだろうか。だったら、なぜMは当局の人間にGのことを教えたりと、やるべきこと、、、、、、はやらなかったのかと疑問視してみてはどうだろう(繰り返しになるが、向こうの側の立場で考えるということ)。こうしていられるのは、“特権だが、権利とは違う”からね。果たして、われわれは“法治国家”の名の下にいるのか、それともいないのか(もはや聞き飽きた話だが)。

新元良一|RIYO NIIMOTO

1959年生まれ。作家、コラムニスト。84年に米ニューヨークに渡り、22年間暮らす。帰国後、京都造形芸術大で専任教員を務めた後、2016年末に再び活動拠点をニューヨークに移した。WIRED SZ MEMBERSHIPにて、「『ニューヨーカー』を読む」を連載中。主な著作に『あの空を探して』〈文藝春秋〉。

何せ自分たちの信条を通したいがため、こんなに始終法律を変えてくる連中だから。

おまえと同様、何もかもにわたしもうんざりさせられているのはわかってほしい。

わたしの(古臭い)経験から言えば、世のなかは脱線する方向へ転換することがままある。とてつもなく訳のわからぬものに成り果てたせいで、いまよりましな状態を振り返ることもできない。だからこの状態にあってこう言いたくなる、向こうが考えるように考えろとね。それに努めれば、不快なこと、将来苦しめられることも避けられるんじゃないのか。

もっとも、おまえが心底尋ねたいのは言うまでもなくJのことだ。確かにわたしは、おまえが書いている弁護士とはまだ付き合いがある。しかし、彼が手を差し伸べてくれるとは思わんほうがいい。いまとなってしまってはね。闊歩しながら裁判所へ入って行く王子さながらのあのころが、彼が輝いていた時代だった。もはやそんな面影はない。現職の判事の見直しや解職を働きかける法務省に、おそらくやり過ぎなくらい彼は反対し、マスコミからの袋叩きにも耐えたが、自宅に落書きはされるし、彼自身も短期間拘留された。最近は家の庭先あたりをぶらぶら歩き回り、自分のこと以外は眼中にないと聞いている。

Jはいま、どこにいるのかね? おまえは知っているのか? 州関連の施設、あるいは連邦かね。それ次第で変わってくるだろう。連中(支持者たち)は(裁判所の圧力を後ろ盾に)、いくらJが市民であろうが、求められたGとMに関する情報提供を辞退したかどで、いくつかの権利や特別扱いは失効したと言い出すだろうよ。ほら、われわれの友人でRとKがいただろう、おまえの5歳(6歳? )の誕生日に真鍮のリンカーンの貯金箱をくれた人たちだ。まだ付き合いはあるが、彼らは支持者の側でね。そんな論理に従う人たちだ。ブレマートンでは、ある男がジムで別の男と親しくなり、その辺を一緒に走るといった仲になったらしい。それで最初の男が、相棒の投票歴についてコメントは控えると言ったら、仕事用のクルマの車検ができなくなった(花屋の商売をやっているから、彼は困ったはずだ)。すると、RとKの言い分はこうだ。もし“自国の政府”からの“簡単な要請”に応えられないのなら、その人間は愛国者でない、とね。