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アダム・ロジャーズ

『WIRED』US版副編集長。科学や、種々雑多な話題について執筆している。『WIRED』US版に加わる以前は、マサチューセッツ工科大学(MIT)のジャーナリスト向け奨学プログラム「ナイト・サイエンス・ジャーナリズム」の研究生に選ばれたほか、『Newsweek』の記者を務めた。著書『Proof:The Science of Booze』は『New York Times』のベストセラーに。

米航空宇宙局(NASA)の研究チームが2021年3月中旬、国際宇宙ステーションISS)に潜む未知の生命体を発見したと発表した。そして、この発見を騒ぎ立てるようなことも特になかった。

実際のところ、この発見に対してNASAでは誰も大した反応を示さなかった。洗練された広報戦略で知られるNASAにしては、意外なほど静かであったといえる(何といっても、普段は火星探査機になりきってツイートするような組織である)。

あまりに静かすぎるほどだ。

もちろん今回発見された新しい生命体は、血が酸でできていて、人類に敵意を向けるエイリアンといった類のものではない。新種のバクテリアで、地球上では存在が知られていないものの、遺伝的にはメチロバクテリウムという地上ではありふれた属に由来することがわかっている。

通常この属の細菌は植物の根の間に生息しており、宇宙ステーションの壁にいるものではない。それでも、この細菌が宇宙で進化した可能性がないわけでもないのだから、もっと騒がれてもいいはずだと思う人もいるだろう。ところが実際は、誰もそこまで驚いてはいないようである。その理由を探ることによって、人類による宇宙探査の未来が見えてくるかもしれない。

宇宙開発に役立つ可能性

ISSの微生物に関する継続的な研究プロジェクトの一環として、滞在中の宇宙飛行士たちは2015年と2016年にステーション内のいたる所を拭き取り、その際に使用した布をそのまま地球へと送った。その後、数年にわたる地球での研究を通じて、ジェット推進研究所(JPL)のバイオテクノロジーおよび惑星保護担当グループが微生物を抽出し、遺伝子シーケンシングを実施した。

ステーションの生命維持システムのHEPAフィルターから採取されたひとつの種類は、(文字通り)庭にいるようなありふれたメチロバクテリウム・ロデシアヌムだった。ところが、材料研究用の棚の近くと、窓際にある観測用小型ユニット「キューポラ」近くの壁、そして宇宙飛行士の食事用テーブルから採取された3つのサンプルからは新しい細菌が見つかった。プロジェクトに携わっていた研究者たちはこの細菌を「M. ajmalii」と名付けた。

新しい細菌の宇宙での発見は、これが初めてというわけでもない。研究者たちはすでにISSのサンプルからまったく別の未知のバクテリアを発見しており、2017年には論文として公表している。

これらの細菌がステーション内で進化した「エイリアン」である可能性は確かにあるが、非常に考えにくい。貨物や宇宙飛行士の身体に付着して入ってきたもので、細菌の専門家がわざわざ探したことで目についた、という可能性のほうがはるかに高いだろう。

「もちろん宇宙で進化が起きる可能性はありますが、宇宙ステーションはできてからまだ日が浅いのです。わずか20年です。このタイムスパンでバクテリアが進化することはおそらくないでしょう」と、プロジェクトを担当しているJPLの細菌学者、カシューリ・ヴェンカテスワランは語る。

より興味深いと思われるのは、地球上では大して目立たない存在だが、空気が希薄で密閉された宇宙船の環境内では大活躍するバクテリアがどれなのかを探ることだろう。だからこそ、ISS内の微生物叢の研究は、火星飛行ミッションやほかの惑星での基地建設を安全に進める上で重要になるかもしれないのだ。

微生物叢とは、ある環境内で繫栄しているバクテリア、菌類、ウイルスの集合のことを指す。地球上と同様に、宇宙での人間の健康を左右する要素のひとつは健康な微生物叢であり、また宇宙船やシェルターの中の微生物叢と良好な関係を築くことにある。

「クルーが持ち込んだ新種の細菌には、宇宙ステーション内の環境に耐える特徴が備わっている可能性があると考えられます」と、ヴェンカテスワランは語る。「ほかの細菌が死滅した一方で、これらの細菌が生き残ったのかもしれません」

宇宙飛行士の微生物叢との共通点

宇宙は非常に居心地の悪い場所だ。宇宙船か宇宙服の防護なしでは、窒息して死ぬかフリーズドライ状態で死ぬか、ふたつにひとつしかない。さらに、長期的には高い硬放射線量も脅威となる。

このため、宇宙船や宇宙服の内部は閉ざされた環境でなければならない。出入りできるのは貨物と宇宙飛行士だけだ。ところが、人が行くところならどこでも微生物が一緒についてくる。胃腸の中、皮膚の表面、鼻の穴や口の中にも潜んでいるのだ。家でもISSでも、それは同じである。

家とは異なりISSでは空気と水を循環させていて、窓も開けられない。だが、違いはそれだけではない。ISSの空気のほうが乾いているし、二酸化炭素濃度も高い。放射線量も高い。もちろん重力もない(「床にいる一部の微生物にわたしたちは慣れていますが、床自体が存在しなければこうした微生物が床にとどまることもないのです」と、NASAの惑星保護担当責任者だったジョン・ラメルは語る。宇宙の生き物が地球に侵入しないように、また地球の生き物がほかの惑星に侵入しないようにするのが惑星保護の仕事だ)。

ISS内の空気は、そこまで澄んでいるわけでもない。そしてあちこちに凹凸があり、そこに浮遊する細かな水滴が入り込んで表面張力で付着することから、微生物が動き回る場所はたっぷりあるのだ。

このため、実際のところISSの環境中の微生物叢は、そこに住んでいる宇宙飛行士の微生物叢によく似ている。19年の研究によると、クルーが入れ替わると微生物叢まで変わるという。当時の研究者たちは、ISS内に数カ月以上滞在した9人の宇宙飛行士(丸1年も滞在したことで有名になった人も含まれる)の皮膚、鼻、胃腸の微生物叢を調べ、ミッション前と完了後のサンプル、さらにステーション内から採取したサンプルを比較した。

「壁から採取したサンプルは宇宙飛行士の皮膚の状況に似ていました。換気フィルターのサンプルは宇宙飛行士の鼻の微生物叢に近いものでした」と、ブーズ・アレン・ハミルトンのコンサルタントのアレクサンダー・ブーリーズは語る。彼は当時、J・クレイグ・ヴェンター研究所の研究員で、この研究論文の筆頭著者だった。「空気中の微生物叢は、普段から人の手に触れている物の微生物叢とは異なっていたのです」

そこで「進化」は起きるのか?

とはいえ、バクテリアや菌のなかには宇宙ステーション(そしてゆくゆくは火星探査機や火星基地)の環境でより繁殖しやすいものと、そうでないものがある。どの微生物がそうであるのかの特定までは、まだできていない。だが、微小重力状態をはじめとしたISS内の異常な状況によって、バクテリアの遺伝子発現(つまり微生物が生き延びるための生化学反応の状態)が変化しうることをわずかに示唆する結果も得られている。

例えば実験用の大腸菌をISSで培養すると、地球上のよく似た条件下で培養した場合よりも、抗生物質に対する耐性が高くなった。もちろん、これは「進化」とまでは言えない。変化が永続的なものとなり、何世代にもわたって継承されない限りは「進化」とはみなせないのだ。しかし、進化の契機となる可能性はある。

「ストレスを与えると進化が始まるのです」と、この大腸菌実験の論文の著者のひとりであるコロラド大学の化学・生物工学者アヌシュリー・チャタジーは指摘する。「この非常にたくましいバクテリアは、ISSの内側でも生き延びることができます。資源も食料も限られていますから、成長するには新しい方法を見つけなければいけません」(こうした厳しい環境で生き延びることには大きな利点がある。自分たちを食べる天敵も、おそらくはそれほどいないのだ)

とはいえ微生物叢のあるISSは、人間にとっては明らかによくない環境である。なにしろISSに住むだけで、一部の免疫反応が抑制される。宇宙飛行士のなかにはエプスタイン・バーウイルスと水痘帯状疱疹ウイルス感染症の再燃を経験した者もいる。これは免疫の状態の変化によるものだ。宇宙飛行士は病気をあまり報告したがらないことで知られているが、それでも16年の調査によると、ISSのクルーでは肌の炎症や上気道炎が最も「特筆すべき」体調不良として頻繁に報告されている。

珍しいバクテリアが新しい特性を獲得する一方で、宇宙飛行士の感染症への抵抗力が弱まるのだとすれば、この組み合わせは危険なものになりうる。これまでもNASAは、サンプルを採取し、そうして採取されたあらゆる微生物の培養に取り組むことで、これらの問題についての研究を進めてきた。

最近では、遺伝子シーケンシング技術によってさらに精密な研究が可能になっている。これまでに比べ、科学者がより少数の微生物であっても捕捉できるようになったからだ。NASAはいずれ、宇宙ステーションだけでなく、宇宙飛行ミッションそのものにも遺伝子シーケンシング装置を搭載したいと考えている。16年には宇宙飛行士のケイト・ルビンスが宇宙で最初のDNAシーケンシングを実施したが、彼女はいまも宇宙ステーションに戻っている。

惑星での食料栽培に役立つ可能性

これらの取り組みの狙いは、病原体や病原体に変化した微生物を探すためにこうしたテクノロジーを活用することにある。

「火星の環境や、あるいは火星に存在しているかもしれない生命体との接触によって生じる変化を検知する上で、微生物叢のモニタリングが有効な手段になるかもしれません」と、SETI研究所のシニアサイエンティストでNASAの惑星保護コンサルタントでもあるアンディ・スプリーは語る。「とはいえ、こうしたアプローチが実用化されるには、宇宙船内や人間の体内の微生物叢のモニタリングの方法について、より深い理解が必要になります」

JPLのヴェンカテスワランのチームは、ISSや地球上の宇宙船建造用の防塵室において、未知のバクテリアを発見している。この部屋は「クリーンルーム」とも呼ばれているのだから、バクテリアが入り込んでしまった事実はあまり喜ばしくないことに思えるかもしれない。だが、ほかの新種とは異なり、ISSで発見されたこの新しいメチロバクテリウムには有用性があるかもしれないのだ。

この属のバクテリアは窒素固定を促進するなどの働きで知られる。土壌中の複合窒素源を、植物が栄養として利用できるかたちに変えることから、ほかの惑星で食料を栽培する上で役立つかもしれない。さらにM. ajmaliiは高い放射線量にも耐え、完全に水分がなくなった環境でも生命活動を抑制して生き延びることができる。要するに、この小さな生き物はどんな人間よりも宇宙旅行に向いているのだ。

「わたしたちはこの性質を利用したいと考え、月の土壌や火星の表土を模した環境で培養できるか試しています」と、ヴェンカテスワランは語る。「もしかしたら養分を提供してくれるかもしれません。だとしたら助かりますよね。月や火星に土壌をもっていくわけにはいきませんから。現地の土壌に頼るしかないのです」

人間を火星の環境から守れるか

こうした新種を含むバクテリアが火星のやせた土地を肥沃にできるとしても、まだ課題は残っている。一人ひとりの宇宙飛行士が体内に微生物叢を形成しており、どこに行くにしても日常的にそれを持ち運ぶことになる。ISSや火星を目指すスペースXの宇宙船内の環境は、こうした微生物にとって一種の進化上のボトルネックになるからだ。宇宙旅行を生き延びるものはわずかだが、生き延びたものは完璧に環境に適応できていることになるだろう。

火星への着陸も似たようなボトルネックを引き起こし、「生き残る道」を見つけられる生命と、そうでない生命を振り分けるフィルターになるはずだ。多くの微生物は死滅するが、そのうち一部は地球外での可能性と冒険に満ちた新天地での暮らしに見事に適応するかもしれない。

したがって人類は、火星での暮らしに適応したバクテリアが火星の環境に入り込み、火星を支配してしまうことをどうにかして防がなければならない。それと同時に、持続可能な入植地を整備する上で、どのバクテリアが役立つかを考えなければならないのだ。

微生物が脱出してしまうことは、ほぼ避けられないだろう。「ガスが放出されると微生物も漏れるでしょうね。それをどう管理すべきかが問題です。人間が生きていけるような生活圏を確保することは必要ですが、宇宙服から微生物が漏れる事態は避けられません」と、ヴェンカテスワランは語る。「生き残るものは100万にひとつかもしれませんが、生き延びたその1種が増殖することになるでしょうから」

こうした火星での流出のリスクと、宇宙飛行ミッション中にいずれかの微生物が危険な病原体に変異するというわずかな可能性とを合わせて考えれば、ISS内で新しいバクテリアが発見されたことについて関係者があまり大声で話したがらないことも理解できるかもしれない。ISSの微生物について、JPLが情報を出し渋っていることはよく知られている。ヴェンカテスワランの最新の成果を受けて、もしかしたらJPLも少しは重い口を開くかもしれない。

バクテリアが火星の表面で生き延びるには、硬放射線、酸素不足、有毒な過塩素酸塩に対処し、表土に窒素を提供することが必要になる。しかも水のない環境においてだ(ただし火星上の一部地域では定期的に水分を補給できる可能性もある)。ISS内の環境に適応した微生物であれば、適切に制御された方法でこれらすべてを実現できるかもしれない。その際には、人間を火星の環境から守ると同時に、火星の環境を人間から守ることも重要になる。