お知らせ:Editor's Lounge

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プリンセスピンクの壁と美しく配された観葉植物に彩られ、渦巻きクリームのカップケーキが並ぶドバイの「タニアズ・ティーハウス」は、慌ただしい都市国家の中心にある癒しのサンクチュアリだ──ここなら刺激的な言葉の数々に心を乱されずに済むだろう。

ロックダウン前、英国人マーケティング担当役員のダニ・ハキムは週に数時間この店で自身が所属する福祉団体の集会を主催し、「抗不安ティー」を飲んだり「梨のパーフェクト鎮静サラダ」を食べたりしながら、くだけた雰囲気でメンバーと話をしていた。他のメンバーも専門職に就く人が多く、孤独感やストレス、睡眠不足への対処法について情報を交換した。2017年に燃え尽き症候群と産後うつを経験したハキムは、やがて数人のセラピストも集会に招くようになった。

メンバーが抱えるメンタルヘルス問題の多くが仕事に関連していると気づいたとき、ハキムは企業が従業員の心の健康を向上させるためのさまざまな戦略を考案するスタートアップ、セーフ・スペース(Safe Space)の立ち上げを決意した。「この地域ではメンタルヘルスに関する偏見がいまだ根強く、多くの人が苦しんでいます。世間の認識を高めるだけで状況は変えられます」と彼女は言う。「適切な言葉を選ぶだけでいい場合もあるのです」

セルフケア関連の検索が激増

最近ではセーフ・スペースに所属するセラピストたちが、音声操作型AIアシスタントGoogle Assistantの応答案として入念に検討したアラビア語の返答をいくつか作成した。「パンデミックが始まってから、メンタルヘルスや心の悩みに関連する質問が大幅に増えました」と、グーグルで中東・北アフリカ地域のコンシューマープロダクト・マーケティングを統括するナジーブ・ジャラールは説明する。

実際、グーグルが発表した数字によると、アラビア語で「メンタルヘルスを向上させる方法」が検索された回数は過去5年間で世界的に1,100%増加して20年8月に最多となり、その月にはアラビア語で「セラピスト」を意味する言葉への関心も10年ぶりの高さを記録した。一方でセルフケアに関連する検索回数も、20年は19年に比べて25%増加した。

「まだ改善を始めたばかりですが、すでに変化をもたらすことができています」とジャラールは言う。「アラビア語話者の人たちが、悲しい、寂しい、疲れた、怖い、怒っていると話しかければ、いまやAIが知識に基づいた最適な対処案を答えます」。

機械が今後さらにアラビア語を学習するにつれて向上するであろうこの機能は、毎日決まった時間に特定の曲を再生するなどの機能に加え、Google Assistantがユーザーの心の健康を全般的にサポートする手段のひとつになるだろう。年末までには瞑想やマインドフルネスの実践ガイドも提供される予定だ。

Google Assistantは、さらなる助言についてはメンタルヘルスの専門家に求めることをユーザーに推奨するが、将来的にはユーザーをセラピストに直接つなげたり、緊急事態には救急隊を出動させたりすることも可能だとジャラールは考えている。「国によって医療をめぐるインフラや考え方が異なるのは当然ですが、どの地域でもこれからの世代はこの分野におけるAIの導入を受け入れるはずだとわたしは信じています」と彼は言う。

「若い人たちは第一に、テクノロジーのおかげでたくさんのことが可能になると考えています。第二に、テクノロジーを通して自分をさらけだすことにとても積極的です。そして第三に、多くの若者は何かを知りたいとき家族や教師よりもデヴァイスに尋ねるほうが信頼できると感じています」。

シンガポール政府も無償で提供

診察室のソファがいつの日かスマートフォンの画面に置き換わるかもしれないという考えは、クウェート・カウンセリング・センターの臨床部長で中東心理学会の会長であるジョアン・ハンズ博士も同様に語っている。「セラピーを成功させる主な要素のひとつはセラピストとクライアントとの間の共感と信頼関係であり、特に文化的な要因や伝統を理解することが大切です」と彼女は言う。「しかし一部の若者にとっては、ロボットのセラピストというものは人間のセラピストよりもはるかに威圧感が少ないのかもしれません。若い人たちは機械との対話や付き合いに抵抗がないのです」

実際、すでに驚くほど多くのミレニアル世代が、無表情なペンギンに不安の原因を突き止めるのを手伝ってもらい、前向きになるためのヒントを与えてもらうことを受け入れているようだ。

少しぽっちゃりとしたそのペンギンは、ロンドン、ボストン、バンガロールにオフィスを構えるワイサ(Wysa)社が開発した、「感情知能」をもつAI搭載のチャットボットである。21年3月に「Google Assistant投資プログラム」から出資を受けたこのアプリは、セラピストが用意した実証済みの質問やテクニックを用いて、体型の悩みや恋人との別れなど、35歳未満が大半を占めるユーザーの抱えるさまざまな問題に対処する。さらにワイサは、そのようにして30カ国で1億回以上交わされてきた会話から得た知見を独自にデータベース化している。

「人と話したくないとき、人はWysaに相談します」と、ワイサの共同創業者兼CEOであるジョー・アガワルは言う。「もともとは携帯電話のセンサーでうつ病を検知することを目的としたアプリでした。実際に治療を受けているユーザーはごくわずかだとわかりましたが、たくさんの人がこのチャットボットを利用し、役立つと感じていたのです」

実際、Wysaを利用している300万人のうち医療診断が必要な人は1割程度だと同社は認める。ほとんどのユーザーは悩みを吐き出したいだけなのだ。それでもこのチャットボットは認知行動療法、マインドフルネス、瞑想など、自助的アプローチの範囲内で効果があるとされる手法を活用する。20年には、シンガポール政府がコロナウイルスの大流行による国民の心の傷を癒すためにこのサーヴィスを無料で提供した。

ただし、もしユーザーが自傷行為をほのめかせば、Wysaは自分が単なるチャットボットであることを改めてきっぱりと伝え、適切な危機管理ホットラインの連絡先を知らせる。

会社にとっての次の開発目標は、今後グローバルに製品を展開していくうえで音声認識機能を大幅に強化し、「新たに10億人がメンタルケアを利用できるように」することだとアガワルは言う。

シリア難民たちとの実験

不安やうつの治療に一般的に用いられる認知行動療法をベースにケアを提供するAIチャットアプリはWysaの他にもある。14年にマイケル・ラウスとユージン・バンによって設立され、シリコンヴァレーに拠点を置くスタートアップのX2AIは、治療でなくサポートを提供するという意味で「セラピューティック・アシスタント」と呼ぶ心理療法ボットシリーズを生み出した。

シリーズのなかで最も汎用性が高い英語版AIボットのTess(テス)は、認知行動療法や動機づけ面接などさまざまな手法を駆使できる。日中にパニック発作を起こしたときでも、少し愚痴を言いたいときでも、寝る前に話をしてスッキリしたいときでも、Facebook Messengerで話しかければTessはすぐに返信をくれる。

16年には、X2AIの心理療法ボットKarim(カリム)がヨルダンのザータリキャンプにいる約60人のシリア難民にメッセージのやりとりを介してカウンセリングをするという大胆な実験も行なわれた。この実験では、最終的にカウンセラーが人間でなくAIだとわかったことがむしろ心の開放につながった。一部の若い被験者によると、難民のコミュニティ内で不安や悲しみを語る際には社会的な偏見がしつこくつきまとう場合もあるというが、AIとの会話ではそれが存在しないからだ。

実際、シリア難民の子どもたちが通うレバノンの学校で当時教頭を務めていたラカン・ゲバルは、10代の生徒たちに対して自分とKarimがまったく同じ助言をすることも多かったが、気づけば生徒はAIの話のほうをよく聞いていたという。「子どもたちはわたしがシリア人であることを知っているので、わたしも同じ不安を抱えていて自分自身と相手を慰めているだけだと考えるのです」とゲバルは16年12月に『ニューヨーカー』誌に語っている。

X2AIのチャットボットは他にもある。ティーンエイジャーの孤独感に対処するSara(サラ)、軽度の不安や恐怖心の緩和をサポートするオランダ語ボットのEmma(エマ)、小児糖尿病のケアに特化した英語ボットのNema(ネマ)などだ。また、より年齢の高い大人たちのコロナ禍とその後における憂うつ感や孤独感、社会的孤立感を和らげるため、同社の臨床心理士たちはテキストメッセージおよびGoogle HomeやAmazon Alexaなどの音声操作プログラムで利用できるチャットボット、Coach Cabi(コーチ・カビ)を開発した。

ユーザーと心の絆を形成する

人間のセラピストがボディランゲージや声のトーンから患者の心理状態を推測するのに対し、X2AIのボットは、単語の選択や言い回し、タイピングの速さ、文章の長さ、文法表現(能動態か受動態か)など、心の状態と相関するパラメーターのパターンを検出する。理論上では、ロボットセラピストも人間のセラピストと同じように相手の潜在的感情に気づくはずなのだ。

サンフランシスコに本社を置くウォーボット・ヘルス(Woebot Health)によると、自社のヴァーチャルセラピストであるWoebotは危険を示す発言を98.9%の精度で検知する他、ユーザーと心の絆を形成するという点でデジタルセラピーに大きな進歩をもたらしたという。17年に発表されたこのチャットボットは、自然言語処理技術と、人間の精神科医が診察でメモにとるさまざまな内容に対して学んだ反応を利用し、患者とセラピストの会話を決定木[編註:データを樹形図で分割して分析するモデル]構造で模倣する。また、自身とユーザーとのやりとりも記憶する。

同社創業者で、グーグル・ブレインを共同設立したAI業界の権威であるアンドリュー・ンとスタンフォード大学で共同研究を行なったこともある臨床研究心理学者のアリソン・ダーシー博士は、Woebotの成功の鍵は親しみやすさにあると言う。「AIにはメンタルケアの提供や患者の症状改善に大きな影響を与える力がありますが、本物のセラピーをそのまま再現しようとすべきではありません。それはふたりの人間の間で行なわれるものです。わたしたちがつくったのは、少しの間自分の心と向き合うことを促すためのツールです。セラピストに相談できないとき、そんな瞬間は信じられないほど助けになるのです」。

Woebotとの会話の78%が午後5時から午前8時の間、つまり診療時間外に行なわれていることがとても重要だとダーシーは言う。また、産後うつを抱える女性はたいていひとりになれる午後10時から午前7時の間にWoebotを利用する傾向があることもわかった。産後うつの悩みはいまだ他の女性にさえ相談しづらいものだ、と言ってダーシーは表情を曇らせた。

セラピストのスキルアップにも

ウォーボット・ヘルスによると、パンデミックの影響で同社のサーヴィスに対する需要は高まった。ユーザー数は過去12カ月間で倍増し、現在は数万人規模に達している。皮肉なことに、人間ではないことをわざと強調するWoebotという名前をつけてしゃれをきかせたことが、むしろユーザーの信頼度を高めて心を開かせているとダーシーは言う。一方、集められるデータは、精神疾患をより客観的に定義し、リスクの高い人々を特定し、医療の質を高めるのに役立っているという。

「AIと自然言語学習はユーザーに追加的なツールを与えるというかたちで実際のセラピーを補強していますが、同時に人間のセラピストのスキルアップにもつながっています」とダーシーは言う。

ウォーボット・ヘルスの創業者アリソン・ダーシー。アイルランドにて。 PHOTOGRAPH BY DEIRDRE BRENNAN

当然ながら、大きな疑問も浮かんでくる──ロボットの台頭によって人間のセラピストが完全に不要となってしまうことはないか? 言い換えれば、極めて賢い人間たちは技術を通じて自らの仕事を奪ってしまったのではないか?

これについて、ベス・イスラエル・ディーコネス医療センターのデジタル精神医学部長であり、ハーヴァード大学医学大学院で助教授を務めるジョン・トラスは、「理論上はありうることですが、まだかなりの時間がかかるでしょう」と言う。

AIが情報の処理速度、記憶力、定量的推論力、音声認識、知識に基づく理解力など、人間がもつ知能を今後も向上させ続けることは間違いないが、思いやりのある公正な判断を下すことはできないとトラスは説明する。また、自己反省をすることも、文化の違いが個人の考え方や倫理観、道徳観に与える影響を考慮することもできないという。

「AIが精神科医に取って代わるためには、感情面の知性、道徳性、共感力を備える必要があります」とトラスは語る。「人工知能というより、もはや“人工英知”になるでしょう。ただし、人類の英知がロボットに完全にプログラムされることはありえません」。一方、より多くの人々がアプリを介してメンタルヘルスケアを受けるようになれば、人間の精神科医やセラピストへの需要が増加するだろうと彼は考える。

臨床研究の分野に変革をもたらす

しかし、AIが精神医学を変革させる可能性を秘めるのはむしろ臨床研究の分野だ。科学者たちは、脳の機能に関してさらに理解を深めていくうえでAIの恩恵を受けている。「遺伝的特徴、神経画像診断、認知機能評価、さらにはスマートフォンの信号など、脳に関するデータはさまざまなソースから膨大な量を得られます」とトラスは言う。「AIを使ってこれらの複雑なパターンを解明することで、人が精神疾患を発症する理由や、特定の治療法がどのような患者に最も効果を与えるかなどを理解できるかもしれません」。

AIによって新たに得られたデータを利用するうえで最も刺激的なのは、個々人に最適な治療法、さらには予防的な治療法さえ生み出す可能性が開けることだとトラスは言う。「日々の心の健康の指標として使われているバイオマーカーはありません。患者の睡眠パターン、気分、発言、その他の行動ベースのバイオマーカーを理解できれば、診断の再規定や精神疾患の早期発見につながるでしょう」

現在この分野の研究をしている多くの科学者のひとりであるチャールズ・R・マーマーは、ニューヨーク大学ランゴーン医療センターでPTSD研究プログラムを率い、心的外傷後ストレス障害をもつ人を見分けるバイオマーカーを特定する技術を開発した。開発のために研究チームは臨床面接の録音から得た4万種以上の音声特徴をアルゴリズムに組み込んだ。

同様に最近では、カナダのアルバータ大学コンピューター科学部で教授を務めるエレニ・ストルーリアが複数の機械学習アルゴリズムを組み合わせて音響的な手がかりからうつ病を検知する手法を開発した。携帯電話のアプリにこの技術を用い、うつなどの心理状態を示す指標を認識して長期的に追跡することが想定されている。歩数計や睡眠計のように機能するそのアプリで、ユーザーは自分の声からうつ病の兆候を知ることができるというものだ。

現在流通しているアプリが精神科医に取って代わるとは考えていないトラスだが(「スマートフォンに仕事を奪われることを心配している人はわたしの周りにひとりもいません」と言う)、チャットアプリは患者と臨床医が病気や自分自身に対する理解を深めるのに役立つサポートツールになりうると感じている。「現在でもなかなか優れた技術が使われているチャットボットはあります。ただ、やはりどこか不自然なのです。チャットボットに話しているんだなとわかります。でも今後数年間で技術は徐々に向上し、やがてまったく違和感のない会話ができるようになるでしょう」

メンタル医療の民主化とそのリスク

このAI革命を推進するのが主に民間企業だという事実は、今後もさらに多くのプレイヤーが参入することを意味し、競争によってより優れた、より安価な製品や治療法が生み出されることになるだろうとトラスは言う。まさしくメンタル医療の民主化だ。

一方、AIを主に利用するサーヴィスがこれまで以上に増えるにつれ、予期せぬかたちで意図しない相手にユーザーのデータが流れるリスクが高まることも彼は認識している。「うつの対処や禁煙サポートのために現在使われているスマートフォンアプリのなかには、営利組織にデータを共有しているものがあるとわかっています。これは絶対に止めなければなりません。信頼がなければ効果的に心の治療を行なうことはできません」

「ロボットを使った敵対的支配」の可能性を含め、大規模なデータ侵害が世間にとって大きな懸念であることをトラスは把握している。20年10月、フィンランド全土で25の心理療法センターを運営する民間企業のヴァスターモ(Vastaamo)が所有する数万人の心理療法患者の機密治療記録がハッキングされ、一部がネット上に流出した。それら患者の多くが、セラピストとの話の内容を公開されたくなければ240ドル(約2万7,000円)をビットコインで支払うよう要求するメールを受け取ったと報告している。

21年5月には、サイバー犯罪者がアイルランドの保健サーヴィス委員会にランサムウェア攻撃を仕掛けて盗んだ患者データの一部を流出させ、2,000万ドル(約22億7,000万円)をビットコインで支払わなければすべてのデータを公開すると委員会を脅迫した。また、17年にはランサムウェア攻撃「WannaCry(ワナクライ)」が150カ国以上に拡がり、NHSこと英国の国民保健サーヴィスを襲った史上最大のサイバー攻撃となった。

「このような事件は人々の懸念を強め、メンタルヘルスの問題がさらにデリケートで差別されかねない国ではいっそう大きな不安を呼びます」とトラスは言う。「この道を進み続けるメリットを検討しながら、技術面および非技術面でのプライヴァシー問題にできる限り対処していかなければなりません」

ウォーボット・ヘルスのアリソン・ダーシーもそのリスクを認めながら、存在する問題はさらに広範だと言う。「もちろんハッキングは心配です。所有するのが民間企業であれ政府機関であれ、完全に安全と言えるデータはありません。それでもわたしたちが患者に対して負う守秘義務をとても深刻に捉えていることは確かです。それよりもはるかに重要なのは、精神疾患への偏見自体をなくすことです。そもそも、精神疾患は隠すものだと考えられるべきでないのです」

その情報は誰に共有され、誰の利益になるのか

とはいえ、個人的な情報を、たとえ匿名であっても人々に共有してもらうのは難しいものだ。これまでのところ、コロナ禍で国民にチャットボットのWysaを無料提供したのが厳格な管理体制をもつ都市国家のシンガポールだけであることもそれを物語っている。Wysaは国の公式メンタルヘルスケアサイトであるMindline(マインドライン)を通じて公開された。

「コロナウイルス接触確認アプリでさえ、使いたがる人はどの国にもいませんでした。世界的なパンデミックが起きているのに!」とトラスは言う。「ロボットセラピストが直面する課題をまさに実証しています。人々はヘルスケアを求める一方、企業や政府を信用していないのです」。

クウェート・カウンセリング・センターのジョアン・ハンズも同意見だ。「クウェートでは20年に最も感染が拡がっている時期に、政府のプログラムとしてわたしを含む約80人のセラピストが、医療従事者、隔離中の人、コロナに感染している人を対象にオンラインで無料セラピーを行ないました」とハンズは言う。「サイトには何千ものアクセスがありましたが、実際にサーヴィスを利用したのは150人程度でした。主な問題は、自分の情報が少しでも雇用主に開示されたり、雇用主からアクセス可能になったりすることへの不安でした。匿名の無料セラピーでさえ世間には受け入れがたいのです」。

Radical Technologies(急進テクノロジー)』[未邦訳]の著者であるアダム・グリーンフィールドによると、結局のところ多くの人にとって、ロボットのセラピストに悩みを打ち明けるかどうかは、その情報が誰に共有され、誰の利益になるのかにかかっているのかもしれないという。「例えばわたしにとっては、民間のヘルスケア企業よりも公的な国民健康保険機関に対してのほうが安心して情報を渡せるかもしれません」と彼は述べる。

あるいは、データが保管されること自体に対する懸念もあるかもしれない。グリーンフィールドは、個人が自発的に自分のデータを公共の医療機関に提供し、その機関がのちに民営化されてしまう例を挙げている。

この問題をめぐる議論はまだまだ続くだろう。グリーンフィールドが指摘するように、現時点で医療とはまったく関係のない何千もの企業でさえ、わたしたちの精神状態を的確に把握するのに充分なデータをすでに手にしているのだから。熱心なAIセラピストたちは、人間のセラピストと同じく、競争にさらされているのだ。