ジョン・シーブルック

1989年から『ニューヨーカー』誌に寄稿し、1993年からスタッフライター。テクノロジー、デザイン、音楽の分野で創造性と商業の接点を探っている。近著『The Song Machine: Inside the Hit Factory(ソングマシーン:ヒット産業の裏側)』を含む4冊の著書がある。(@jmseabrook)

前編から続く

2021年11月中旬、わたしはミシガン州ディアボーンにあるフォードの「ルージュ電気自動車センター」を見学した。そこでは、新たに設けられた50万平方フィート(約46,500㎡)の「先進製造」工場でピックアップトラック・モデルのEV版「F-150 Lightning」が組み立てられている。

そのときすでにわたしはF-150 Lightningの手付金を払った20万人のうちのひとりだった。需要に応じてフォードはルージュセンターのF-150 Lightning生産能力を年間15万台まで引き上げたが、わたしのもとに届くまでは1年以上待つことになりそうだ。

工場に入ると、マネージャーのコリー・ウィリアムズが「聖地」に迎えてくれた。工場が建つルージュ川沿いの600エーカーの敷地で自動車の生産が始められたのは1927年だ。11の主要棟からなるルージュセンターには歴史が詰まっている──会社や業界、米国の歴史だけでなく、フォード家の、そしてF-150 Lightning担当のチーフエンジニア、リンダ・チャンの一家のような幾多のフォード・ファミリーの歴史だ。

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テスラやリヴィアンなどガソリン車のレガシーをもたない自動車メーカーに対抗するうえで、業界におけるフォードの壮大な歴史が最大の強みとなるのか、それとも、その歴史が足かせとなってフォードを忘却の彼方へと引きずり込むのか。その答えの一部は、今後10年ほどにこの施設の中で明らかにされるだろう。

ルージュEVセンターを見学

もともとルージュは見事なまでに事業の垂直統合を実現していた施設で、会社所有の鉱山から採れる鉄やミシガン州アッパー半島に同じく所有する森から採れる木材などの原材料からわずか数日で自動車をつくり上げていた。工場訪問後に話を聞いた59歳のフォードCEO、ジム・ファーリーは、象徴的なこの場所が重要なのだと語った。今後はヘンリー・フォード時代の“鉱石からクルマへ”に近い生産モデルに「立ち返り」、外国のバッテリーメーカーや輸入マイクロプロセッサーへの依存を抑えるからだという。

写真は21年5月にミシガン州ディアボーンのフォード世界本部でF-150 Lightningを披露するフォードCEOジム・ファリー。 PHOTOGRAPH: BILL PUGLIANO/GETTY IMAGES

フォードは数十億ドルを投じてテネシー州とケンタッキー州に電気自動車およびバッテリーの製造工場を建設中だ。この計画は世界的電池メーカーである韓国企業のSK Innovationと提携している。ただし、EV用電池の重要原料をめぐる支配権はいま中国の手にある。例えばコバルトの主要産地は中国がコンゴに所有する鉱山であり、世界各地で採掘される電池原料の加工も中国が支配している。

「オープンマーケットで他社と同じように、特に政治状況が供給に影響を与えかねないアジアから原料を買い続けていては、わが社の未来は守れません」とファーリーは言った。フォードは、イーロン・マスクと共同でテスラを立ち上げたJB・ストラウベルによる創業のバッテリーリサイクル企業Redwood Materialsと新たな提携関係を築いており、古いバッテリーから重要な部品を仕入れることで中国への依存を抑えたいと考えている。Redwood Materialsは、自社の技術によって使用済みバッテリーに含まれる重要な材料の95%以上を回収できるとしている。

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わたしはウィリアムズに案内されながら移動式組み立てラインに沿って歩いた。20世紀前半にフォードがデトロイトのピケット・アベニュー工場で導入した生産方式だ。EV工場から数百m離れたガソリン版F-150の組み立て工場では、床下のコンベアシステムがラインに沿って車両を移動させ、地下牢のような音を響き渡らせていた。一方で新工場では、バッテリー駆動で自律する台「スキレット」がトラックの足回り部分であるシャーシを載せ、汚れひとつなく磨かれたコンクリート床を音もなく滑るように流れていた。各作業場で作業員が部品を取り付け、F-150 Lightningが見慣れた四角い形状になっていく。ここでは搬送システムが固定されていないので生産量を調整しやすくなっている。

紙のチェックリストがないことも大きな違いだ。ウィリアムズによると他の工場の作業場ではかつて膝の高さまで用紙が積まれていたが、いまはすべて画面上で処理できるという。しかし最大の違いはといえば、人が少ないことだろう。EVは部品数が少ないので組み立ての手間がかからず、つまり作業員も少なくて済む。

しかし全米自動車労働組合は既存の雇用を守りたいとしている。こうした懸念に応え、バイデン大統領は審議の停滞している「よりよき復興」法案の一環として、フォードのように労働組合をもつ企業のEVに最大12,500ドル(約140万円)の税控除を与えるとしており、これが適用されればF-150 Lightningの最低販売価格は27,500ドル(約320万円)とかなり買い得になる。それでもこの優遇措置は、自動車業界の仕事の必然的な自動化に対処するものではない。

ルージュEVセンターで働くことになるのは、フォードが全米に抱える従業員約86,000人のうちのほんの一部だ。かつてこの施設では10万人が働き、道路の向かいで53秒に1台のトラックを生産しているガソリンF-150工場では現在4,000人が働いている(フォードの発表によると、F-150 Lightningおよびハイブリッド型F-150モデルの需要に対応するために950人の新規雇用を計画しているという)。

21年5月にフォードがF-150 Lightningを発表した際にはバイデン大統領の工場案内も担当したウィリアムズは、コンピュータービジョンが人間による目視検査の精度を高め、さらに客観的なチェックを可能にすると説明した。シャーシにキャブと荷台が載る前に、「コボット(協働ロボット)」がすべての配線と液体配管をチェックするという。

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最も大きなロボット「ファナックM-2000iA」のもとに案内された。車体フレームを13フィート(約4m)以上持ち上げることのできるロボットだ。ルーフキャリアのようなかたちをした重量1,800ポンド(約820kg)の韓国製リチウムイオンバッテリーをあっさり拾い上げていた。高強度プラスチックの外装で守られるそのバッテリーの中には、化学物質の詰まった単3サイズの電池が何百個も入っている。ファナックがこのバッテリーをトラックのシャーシに載せ、スキレットはさらにラインを流れていった。

ソフトウェア優先の企業に支配権を明け渡す

フォードが直面する最も困難な課題は車両のEV化ではない。ルージュ見学後にジム・ファーリーはこう語った。「この業界は推進システムの変化にばかり目を奪われています。しかし真の変化とは、今後ソフトウェアが中心となる体験を顧客に提供していくことです」

その体験は現在ドライバーが行なっていることを少しずつ置き換え、いずれはフォード車が完全に自律走行する日が来るという。「クルマの中で眠れるようになるのでしょうか?」もちろん答えはイエスでしょう、という調子でファーリーは尋ねた。「仕事の場としても使えて、出勤を1時間遅らせられるのでしょうか?」これもまたイエスだ。「そうなれば、ドライブというものはまったく変わってきます」

ファーリーの母方の祖父であるエメット・トレイシーは、ヘンリー・フォードが社長の時代にルージュの鋳造工場で働いていた。「ひどい仕事ですよ」とファーリーは言う。世界各地を転々として育ったファーリーが(父親はシティバンクの国際部で働いていた)自動車業界に入ったのは1990年にトヨタに入社したときで、マーケティング担当役員として小型SUV「RAV4」の発売に一役買い、同社の高級車ブランド「レクサス」のチームも率いた。

この選択は祖父との関係をこじらせた。2007年に彼がフォードに入社したとき、祖父はすでに亡くなっていた。20年にCEOとなったファーリーは、ダレン・パーマーと同じくコブラでよくレースに参加している。コメディアンの故クリス・ファーリーのいとこでもある。

ファーリーは近年の携帯電話の歴史に言及し、「わたしたちがいま経験していることを最も端的に表すもの」だとした。07年、「携帯電話の3大メーカーは、ブラックベリー、ノキア、モトローラでした」。それから数年後にアップルやグーグル製の携帯端末が台頭し、それらはただの電話機をはるかに超える存在だった。

「最も重要なのは、それらの機器にどのようなハードウェアを搭載するかをソフトウェアが決めたということです」とファーリーは続けた。デバイス業界において、ハードウェア中心の企業はソフトウェア優先の企業に支配権を明け渡し、顧客体験は機器のオペレーティングシステムが決定するようになったのだ。

いま、フォードはその岐路に立っている。これまでにほぼ経験のないソフトウェア・ファーストの世界で、アップルのiOSのクルマ版を生み出さなければならないのだ。フォードは伝統的に電子機器とソフトウェアを外注してきた。電子制御の通信プロトコルはほぼ統一されているが、仕入れ先によってその使い方は異なる。

「電気系統とソフトウェアの開発は20の仕入れ先に委託してきました」とファーリーは語った。「そのため、クルマを構成するそれぞれの部品は互いにやりとりできません。例えば、シートの動きを制御するソフトウェアはドアのロックを制御するソフトウェアとは連携しません」

途方もない大仕事に直面している

ファーリーの考えでは、フォードの未来の製品は電気自動車というよりデジタル自動車だ。新車を購入して運転し始めた瞬間から価値が下がっていくのではなく、定期的なソフトウェアアップデートによって「製品は日々よくなっていき」、フォードにとってはテック企業やゲーム企業のようなかたちで顧客とつながっていられるという。しかし、それほど簡単にいくものだろうか?

フォードは、愛国心、家族、人助けをテーマにした、特にわたしにとっては農場で過ごした少年時代が切ないほど懐かしくなるような広告をあちこちに出すことで(20年の広告費は20億ドル[約2,320億円]近かった)、顧客と象徴的な関係を長く維持してきた。フォード車を買う人は「単なる物ではなく、意味を求めて購入するのです」と、『Marketing Semiotics(マーケティング記号論)』[未邦訳]の著者でフォードのコンサルタントでもあるローラ・オズワルドは本記事の取材で語った。

しかし、フォードがビッグテックのように顧客と直接的につながり続けたことはない。販売もディーラー経由だ。インターネットに接続されるデバイスおよびアプリとそのユーザーとの密接な関係は、輝かしい歴史や象徴的な消費だけでは維持できない。

例えば、多くの人が予想するようにデジタル自動車がネットワーク化された世界でサイバーセキュリティが大きな問題となった場合、わたしのEVトラックは社のスローガン通り「Built Ford Tough(タフなフォード車)」なのだから平気だと信じられるだろうか? フォードは総じて途方もない大仕事に直面しているのだ。

ファーリーと話をしたとき、わたしはディアボーンにあるフォードの会議室にいて、彼は部屋の端の大きなスクリーンの中でデトロイトにある自宅アパートのデスクに座っていた(妻と3人の子どもはロンドンにいるが、今年中にデトロイトで一緒に住む予定だという)。ソフトウェア中心の運転体験への移行は、ハードウェアの世界から来た人間たちにとって難しいことだとファーリーは認めた。

「正直言って、かなりきつい仕事です」と言ってからファーリーは言葉を止め、目に涙を浮かべた。「本当に大変で、ちょっと感情がこみ上げてしまいました。家族が恋しいです。もっとよき父親に、よき夫になって、マウンテンバイクでのサイクリングやハイキングにも行けたらと思うのですが、どれもこの移行のためにできなくなってしまいました」。そして再びしばらく間を空けてから、ついに言葉を続けた。「でも、うちには米国のすばらしいエンジニアたちがいます。名前はまったく知られていませんが」

なかでもファーリーが名前を挙げたのは、天才エンジニアのダグ・フィールドだ。フィールドは90年代にフォードに入社し、その後アップルに移ってMacのハードウェアを設計し、さらにその後はテスラでモデル3のソフトウェア開発チームを率いた。数年前にアップルに戻って「特別プロジェクト」(「何かはわかりませんが、クルマ関係です」とファーリーは言った)担当副社長を務めたのち2021年9月にフォードに再入社し、先進技術・組み込みシステム担当最高責任者となった。フォード・メディア・センターによると、「シームレスで楽しく、いつでもアクセスできるユーザー体験」をドライバーに届ける役割だという。

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ファーリーは前週末にフィールドと一緒にレース場に行ったという。「周りの人はみんな、『あっ、ジム・ファーリーだ。フォードの社長で、コブラでレースに出る人』と言っていました。過去100年間で最も偉大かもしれない米国のエンジニアと一緒にいたのに、みんな彼が誰なのかさえ知りませんでした」。取材の依頼に応じなかったフィールドは、むしろこのままでいたいようだ。

充電と「走行距離不安」

フォードがマスタング・マッハEを数日間貸してくれたので、わたしはEVツーリングに挑戦してみた。23歳の息子ハリーも誘った。フォードは滑らかな車体をした4ドアのそのクルマをブルックリンまで届けてくれた。

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目的地のヴァーモント州の農場までは約400km。理論上では、航続およそ300マイル(約483km)と宣伝されるマッハEなら走行可能なはずだが、搭載のカーナビは途中で充電が必要になると告げた。このクルマの部品のうち飛び抜けて高価であるEVバッテリーの大半の平均寿命はわずか8年から10年とされている。この寿命を長持ちさせるため、充電時には電池が過熱しすぎないよう80%手前でプラグを抜くことをフォードは推奨しているのだ。

これまで何百回となく走ったルートなので、ガソリンスタンドやファストフード店の場所は覚えていた。よく利用するルート95沿いのサービスエリアの奥ではテスラの「スーパーチャージャー」を見慣れていたが、同社の面倒な特許の関係でフォードなど他社のEVには対応していない。フォード車に使える充電スタンドにフォードの看板は出ておらず、カーナビやアプリ「FordPass」でしか見つけられず、さらに多くは幹線道路の近くにない。

出発してからしばらくは、パンデミックが始まって以来最悪とも思えるニューヨークの夕方のラッシュアワー渋滞にはまり、おなじみの落ち着かない気分で過ごした。スタンフォードで渋滞はようやく緩和され、トルクを試すことができた。電気モーターは放熱が難しいので、EVはガソリン車のように長く馬力を維持できない。しかし、ハンドミキサーが低速と中速を飛ばして始めから高速で回転できるのと同じで、電気モーターはギアチェンジを繰り返さなくとも瞬間的に加速ができる。

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わたしのドライバー脳は、安定して高速で走り続けることよりもこの瞬間加速のほうにはるかに魅了された。従兄のチャーリーも間違いなく虜になっただろう。ただしこのトルクに心から満足したのは、高速走行用の「アンブライドルド」モードで(そう、これはマスタングなのだ)「エンジン音」をオンにしてスピードを耳で感じたときだった。ハリーも納得したように首を横に振った。スピード狂め。

ナビの計算通り、マサチューセッツ州西部のモール「チコピー・マーケットプレイス」にあるElectrify Americaの直流充電スタンドに着いたときのバッテリー残量は24%だった。時刻は夜の9時過ぎだったので、広大な駐車場にはほとんど人けがなかった。マッハEのGPSに案内され、充電スタンドのもとにやってきた。Home Depotの店舗の隣で緑色に光る給油ポンプのようなスタンドに4つのプラグがあった。ここでいいのか? 誰も使っていないが。

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プラグを差し込んだ。充電スタンドの表示によると、74%まで充電するのに32分かかるという。74%あれば、まだ約200km北にある農場まで行っても24%残る計算だ。わたしたちはレストランApplebee’sの灯りが遠くに見える方へ歩き、親子でおしゃべりをしてリブを食べながら、わたしは携帯電話で充電状況をチェックした。走行距離不安とはむしろ真逆の気分だった。

しかし、北上していくと気温は一気に10℃を下回り、それに伴って予想航続距離はどんどん短くなった。ナビはこの気候の変化を計算に入れていなかったようだ。少なくともわたしにとって、これはシームレスでも楽しくもなかった。雨が降ってきた。息子にもわたしにも走行距離不安が見え始め、午後11時30分に目的地に到着したときには、充電はもう空に近かった。暗闇の中、納屋の一般的なコンセントにプラグを差した。

120Vのコンセントでは、一晩中つないでいてもマスタングはあまり充電されなかった。カーナビは(通信状態にむらのある田舎では携帯電話も)州境を超えたニューハンプシャー州にある最も近いElectrify Americaの充電スタンドまでのルートを教えてくれず、安全のために運転中は携帯電話でFordPassアプリに案内してもらうこともできなかった。

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フォードの充電インフラはEVの利用増加に伴って必然的に改善されるだろう。この日はついていなかっただけだ。最終的にWest Lebanon Walmartの駐車場で充電スタンドを見つけたが、不具合が発生しており、腹を立てたドライバーたちがカスタマーサービスに電話をしていた。まだ雨が降っていた。充電スタンドの周りの窪みに水たまりができていて、150KWの電力をクルマに流し込もうとしている間にわたしの足が濡れてしまったが、これは意外と危険なことではない。

ブルックリンに戻り、初めて買うクルマはEVにするかとハリーに尋ねると、「ぼくはシティボーイだから、そのおかげでクルマの便利さを知らずに済んでいると思うんだよね」と返ってきた。結局彼は電動バイクを買った。

フォードのセールスアナリストであるエリヒ・メルクルは、この50年間にベビーブーマー世代が歳をとり豊かになっていくなかで、「クルマの流行り廃りは基本的にこの世代が左右してきました」と語った。1970年代、「この世代は学校を出たばかりで、お金はあまりなく、無駄な費用のかからない手ごろなクルマを探していました」。

こうして日本の小型車が米国市場に定着していった。80年代に入ると「ブーマーが結婚して子どもをもつにつれてミニバンに需要が集まり」、クライスラーも93年にミニバンの生産を開始した。フォードが91年に発売した「フォード・エクスプローラーSUV」についてメルクルは、「ミニバンにはない格好よさがあります。9時5時の仕事をしながらでも、自分は冒険好きの人間なんだと気分よく運転できます」と言った。

ブーマーの収入増加に伴いSUVのサイズは着実に大きくなっていき、フォードの「エクスペディション」が登場した。そして「フォードはこう考えました。『この大きなSUVが売れているのだから、SUVのよさをピックアップトラックに詰め込んだらどうだろう?』。そうして90年代後半にクルーキャブ型高級ピックアップで顧客を獲得し、その後フォードが後ろを振り返ったことはありません」

“ソフトウェアの山”

F-150 Lightningを運転させてもらうことはできなかったが、EV販売のライバルであるリヴィアンのピックアップ、R1Tでブッシュウィックにある同社のサービスセンターとファーロッカウェイを往復させてもらった。

このトラックのベースモデルの価格は67,500ドル(約780万円)だが、わたしが乗った「アドベンチャー・パッケージ」モデルは自社発表の航続距離314マイル(約505km)を誇り、自然な木目のアッシュ材で仕上げられたダッシュボードを備え、その最低価格はF-150 Lightningの2倍近い73,000ドル(約850万円)だ。さらに5,000ドル(約58万円)を追加すれば2口のIHクッキングヒーターとシンクを付けることができ、飼い犬との孤独な夜のドライブにも使える。

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初めてこのトラックのフロントエンドを見たときには惚れ惚れしてしまった。たいていのクルマのフロントグリルはクロームメッキの歯をむき出して威嚇してくるが、R1Tのレトロフューチャーなフロントエンドは、ほほえみながら「まさかこのクルマを仕事用に買うんじゃないだろうね? 少なくとも昔ピックアップでやっていたような仕事のために。そうだろう、カウボーイ?」とでも言っているようだった。

もっともな話だ。ある調査によると2019年にリリースされたカントリーソング10曲のうち1曲以上にピックアップトラックが出てくるらしいが、トラックドライバー視点の歌詞というのはいまだ聞いたことがない。グレン・キャンベルには申し訳ないが、いまそんな曲があったらこんな歌詞になるだろう。ラップトップ・カウボーイのように/M1 Macbook Proを抱えてトラックに座り/ラップトップ・カウボーイ気分で/オンラインのカウンセリングを受けて、お気に入りの新番組を見ながら/携帯でもっと買い物をしよう。

リヴィアンのピックアップR1T。 PHOTOGRAPH: SOPA IMAGES/GETTY IMAGES

R1Tは全長19フィート(約5.8m)のわたしのF-150より15インチ(約38cm)短いので、たいていの車庫には入る。荷台は比較的小さいが、車体の真ん中を通る独創的な四角い収容スペース「ギアトンネル」がある。

リヴィアンの創業者であるフロリダ州ロックレッジ出身の39歳、RJ・スカリンジは、角縁の眼鏡をかけた健康的な雰囲気の人物で、よくクラーク・ケントにたとえられている。わたしの印象では、ジム・ファーリーがサリエリに似ているのに対して彼はモーツァルトのようだと思ったけれど。老舗企業の責任を背負っていないスカリンジには、自由に「荷台をいじって」も既存の顧客層を遠ざける心配はない。

スカリンジは社名の由来となったインディアンリバーのそばで育った。父親は機械工学系の会社を設立し、近所にはビンテージポルシェの修理を仕事にしている人がいたのでRJ少年は手伝いをさせてもらっていた。やがて彼は寝室にスペアパーツをしまい込んでおくほどクルマに夢中になった。

「しかし、わたしが愛してやまないクルマは世界中の数多くの問題の原因にもなっているのだと気づきました」と彼は語る。「地政学上の問題に、世界のほとんどの大都市における大気汚染問題。わたしたちは想像を絶するレベルで大気の組成を根本的につくりかえてしまっているのです。悪いとわかっているものをこれほどまでに愛するのは、心の面で矛盾していると感じました」

スカリンジはMITで機械工学の修士号を、MITスローン自動車研究所で博士号を取得した。そして09年、卒業と同時にハイブリッド型のスポーツカーとクーペを製造する会社を立ち上げた。数年後に社名をリヴィアンと改め、セダンは縮小市場であるうえにテスラがすでに発売していることを考え、電動のピックアップトラックおよびSUVの開発を始めた。17年、労働組合をもたないリヴィアンはイリノイ州ノーマルにある元三菱自動車の工場を買い取って量産を始めた。アマゾンは同社に20億ドル(約2,300億円)以上を出資し、バンを10万台注文した。フォードも12億ドル(約1,400億円)を出資した。

スカリンジが事業の垂直統合について話すとき、それは原材料のことではなく、ソフトウェア、電子機器、ハードウェアの統合のことだ。「会社設立当初から、ソフトウェアと電子機器の山はうちの事業の中核を成すものです」と彼は言う。「クルマに搭載されるすべてのコンピューターとそのコンピューターを動かすソフトウェアの山を自社でつくり、それらを統合しています。これまでの自動車産業の発展とはまったく異なるやり方です」。チャーリーがエンジン部品について話したときのような詩的な熱っぽさを込めて“ソフトウェアの山”について話すのは、わたしが自動車業界で出会った人のうち彼だけだった。

「この瞬間を待っていたようなものです」

ブッシュウィックでR1Tを返すまでに、このラップトップ・カウボーイには恋人がふたりできてしまった。リヴィアンのホームページに行き、お試しの気持ちで、自分用にR1Tをカスタムオーダーしたのだ。そして、F-150 Lightningよりもさらに待たされるかもしれないそのクルマの予約を取るため、返金可能な1,000ドル(約12万円)の手付金を支払った。

どこかの時点で選ばなければならない──王道で信頼性が高く、労働組合をもつ企業の製品で、価格がより手頃なF-150 Lightningにするか(フォードのディーラーが大幅な上乗せをしなければだが。需要を考えるとありうる)、それとも、ゼロからつくり上げられたまったく新しいデジタルEVだが、フォードがもつ製造経験の恩恵はないR1Tにするかを。あるいは、最後の支払いを済ませたばかりのガソリン版F-150をこのまま使い続け、この世界にトラックを1台増やすのはやめておくか。

わたしがビル・フォードと話をした21年11月10日、リヴィアンがナスダック市場に上場した。その日のうちに同社の時価総額は1,010億ドル(約11兆8,500億円)に達し(スカリンジの資産はたちまち20億ドル(約2,350億円)に増えた)、まだ収益はゼロで生産実績もほとんどない企業が、一時はフォードを上回る価値をもったのである(その後フォードの評価額は上がっているが)。フォードの出資が功を奏したのは確かだが、当時まだ200台強しかクルマを生産していなかった新興企業のほうが、世界有数の大企業であるフォードよりもデジタルカー時代にうまく移行するのではないかと投資家が考えていることが示されたとも言える。

しかし、ビル・フォードはそれで構わないようだった。フォード家および会社の歴史におけるこの転換期について、彼は「ワクワクします」と言った。「大歓迎です。この仕事を始めてからずっと、この瞬間を待っていたようなものです」。20年以上前に環境に優しいクルマや製造方法を追求し始めたとき、「業界はまるでわたしをボリシェヴィキ[編註:ロシア革命を率いた急進左派勢力]のように扱いました」とフォードは振り返る。「やっとこの時代が来ました。自分があと30歳若ければな、と思います」

21年5月、17年に自律走行車部門のマネージャーとしてフォードに入社した彼の娘アレクサンドラ・フォード・イングリッシュが、女性として初めて同社の取締役となった。彼女は33歳、高祖父がトマス・エジソンと出会った年齢だ。

「彼女はわたしが生きたいと願った人生を生きるのです」とビル・フォードは言った。「とてもクールな未来でしょう」

THE NEW YORKER/Translation by Risa Nagao, LIBER/Edit by Michiaki Matsushima)