マンヴィール・シン

トゥールーズ高等研究所の人類学者。音楽、シャーマニズム、魔術など普遍的、またはほぼ普遍的な文化的習慣を研究。近年ハーバード大学人類進化生物学部の博士課程を修了。2014年からインドネシアで民族誌に関するフィールドワークを行なっている。

米国で最初に確認された「ひきこもり」のH氏は、カリフォルニア大学サンフランシスコ校の精神科を訪れた当時、30歳だった。細身で長い爪、金属のスタッズのついた黒い革のジャケットをはおり、肩まである髪の毛をきちんとポニーテールに結っていた。

「彼の物腰は驚くほど自然でした」と語るのは、その日H氏を診察した精神科医のアラン・テオだ。H氏は落ち着いており、居心地もよさそうだった。これは、イーストベイとサンフランシスコの中心部を隔てる社会的遭遇の旅をしてこなければならなかった人にとって特筆すべきことだが、とりわけ3年間家を出たことのなかった男性の態度としては驚くべきことだった。

公平を期すために言うと、この時期は、H氏が孤立していた期間のなかではずいぶんましな時期だった。「最初の、そしてもっとも厳しい1年間」と、テオは2010年の医学雑誌に記している。「彼の行動範囲はウォークインクローゼット内にとどまり、出来合いの食事しか食べず、風呂に入らず、排泄はジャーやボトルにしていた」。食事を運んでいたのは同居人だった。

(大まかに「社会的撤退」を意味する日本語)hikikomori(ひきこもり)の概念は、情報化時代の世捨て人──何カ月も、ときには何年も仕事をせず、学校にも行かずに家にいる大人──を指す用語として1990年代後半に広まった。その大半は親と暮らす若い男性で、日本のひきこもり人口は数十万人にのぼり、なかには20年以上孤立したままの人もいる。

「米国のひきこもりの数はまったくわかりません」とテオは言う。それでも多くの人々が彼に助けを求めてくる現状から「影で苦しんでいる人々がいる」ことはわかるという。

H氏はバーチャルな世界のなかで過ごしてきた。アニメを観て、ビデオゲームをして、インターネットの奥地をさまよいながら、情報を貪欲に吸収した。そのなかにひきこもりに関する医療記事もあり、そこでテオを見つけたのだった。彼のケースは特殊ではなかった。2019年にテオと同僚が487名の日本人学生を調査したところ、インターネットの過度の使用と、ひきこもりになるリスクのあいだには、強い相関関係があることがわかった。ポーランド、香港、韓国、カナダで働く研究者らもまた、テクノロジー王国の底なしの魅力と、壊滅的な社会的孤立との関連性を報告している。

ひきこもりに対する認識の高まりは、通俗的なナラティブの拡がりを反映している──現代性がわたしたちを鬱にするのだ、と。人よりもスクリーンによって消耗し、ひとりで食事を摂り、ソファに住み着き、夜の会話よりゾンビ化を促す娯楽を好む。著述家のなかには、ハーバード大学の進化生物学者ダニエル・リーバーマンのように、不活動は技術革新によってもたらされたと指摘する者もいる。「われわれが[不安障害や鬱病に]弱いのは」と2021年の著書『Exercised』のなかで問いかけている。「現在、物理的な活動をあまり必要としない、進化にそぐわない環境要因に直面しているためだろうか?」

また、孤独が問題の人もいる。この数十年、新たな技術は人間同士の触れ合いを奪い、輝かしい高揚感と引き換えに長期的な孤独をもたらしてきたと言われている。インターネットで再びつながり合うことが期待されていたが、一部の解説によると、事態は悪化しただけだったという。それは「人々が失ったもののある種のパロディ」を提供した、とニューヨーク・タイムズのベストセラー作家、ヨハン・ハリは18年の著書『Lost Connections』で書いている。「隣人の代わりにFacebookの友人がいて、有意義な仕事の代わりにビデオゲームがあって、世間での立場(status in the world)の代わりに近況を更新(status updates)する」

インターネットそのもののように、こうした物語は魅力的だ。彼らは憂慮すべき状況──鬱や不安障害の急上昇──を描いてみせ、それを社会に拡がる派手な変化のせいにする。しかしインターネットが教えてくれるように、魅力的なものが必ずしも真実とは限らない。

近代以前の祖先の生活

アンデスの山麓とアマゾンの熱帯雨林とが出合うボリビアの低地では、いくつもの川と伐採用道路がもつれあいながら熱帯雨林やサバンナを横切っている。ここはチマネ族の領土である。そして巨大な魚、アリクイ、バク、おしゃべりな霊長類、サシハリアリ、アナコンダの土地でもあるこれらの森は、ずっと昔からチマネ族の故郷だった。チマネの村々にたどり着くには、地元のハブ空港であるサンタクルーズから最低3日はかかるが、これにはアマゾンの端までのフライト、河川港までのトラックの旅、丸木舟での2日がかりのトレッキングが含まれる。

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チマネ族は熱帯の庭師だ。90以上の村でおよそ1万6,000人が暮らし、トウモロコシ、米、キャッサバ、オオバコなどを栽培し、魚、猟の獲物、果物、ナッツ、はちみつなどで栄養を補っている。ごく一部の食料、割合にして10%ほどが、貿易で賄われる。10年前には送電線のある村はなく、現在でも電気の通っている村はほんのわずかしかない。テレビなどの電化製品を所有しているコミュニティもほとんどないが「それでも」と、トゥールーズ高等研究所の人類学者、ジョナサン・スティグリッツは言う。「この先、5~10軒で(電化製品が)共有されるようになるでしょう」。スティグリッツは、スマートフォンをもっているチマネは100人以下(1%の半数)だと見積もっている。

辺境の地に住んでいるにもかかわらず、チマネ族は、少なくとも科学者のあいだでは世界的に知られている。02年、ニューメキシコ大学とカリフォルニア大学サンタバーバラ校の人類学者は、人類学および生物医学的研究と医療などの人道支援を組み合わせた「Tsimane Health and Life History Project」を発足した(スティグリッツは共同ディレクター)。以来、プロジェクトのデータを用いて、性格、配偶者の虐待、血中脂質レベルなど、さまざまなトピックに関する140以上の学術論文が発表されてきた。辺境のアマゾンに住む人々の研究に関するニュースを目にしたら、それはチマネ族の話である可能性が高い。

チマネ族が注目を集めるのは、わたしたちに過去を教えてくれるからだ。もちろん、チマネ族は静的な遺物ではない。世界中の人々と同じく、刻々と変わる世界に適応しながら、多くの人がショットガンをもち、スペイン語を話し、賃金労働を行なっている。それでも、チマネ族の生活は、近代以前の祖先の生活と多くの点で似通っている。チマネ族は食料を分け合う。共同体が小さい。大半の交流は対面式で、ほぼ全員が家族に囲まれている。高繊維質の食品を摂取し、平均的な成人は1日1万5,000歩以上歩く。その伝統的な生活様式は、現代性が心と身体に与える影響をさまざまな角度から考えるのに役に立つ。

これまでの調査結果は驚くべきものだ。チマネ族は病原体の攻撃に常に耐え忍んでおり、たいていの人は腸内寄生虫や結核によって傷ついた肺をもっているものの、裕福な西洋人を悩ます多くの慢性疾患や変性疾患とは無縁である。チマネ族の人々は「これまで記録された集団のなかで、冠動脈疾患のレベルがもっとも低い」ことが報告されている(ある80歳のチマネの心臓は、米国人の50代と同じレベルだった)。また、工業化された社会で暮らす人々に比べて、脳は年齢による萎縮がはるかに小さい。脂肪肝はほぼ皆無で、男性の前立腺の肥大は米国男性に比べて遅い。しかしこれほど活動的で強固な共同体があるにもかかわらず、あまり動かない孤立した米国人と同じく、彼らも鬱病になりやすい。

チマネ族の憂鬱

チマネ族は明らかに絶え間ない悲しみや興味の喪失に苦しんでいる。チマネ族のあいだにも「yoquedye」という鬱状態を表す言葉があるが、その原因は、病気や貧困、愛する人の死について「考えすぎる」せいだとされている。「yoquedye」が深刻になると、自殺にいたる可能性もある。

同じような言葉が存在しても、チマネ族と工業化された社会のあいだで鬱を比較するのは難しい。研究チームは、西洋の臨床医に広く用いられている尺度を利用したが、チマネ族と西洋社会の違いから、現地の状況に見合った質問票へとつくり直す必要に迫られた。最後の質問では、チマネ族の参加者に「すぐ泣く」ことから「自傷を考える」ことまで、18の鬱症状をどのくらいの頻度で経験するか、1から4の数字で回答してもらった。すると参加者の約10%が、各症状の平均スコアは3であると答えた。つまり参加者は、こうした症状に「頻繁に」あるいは「いつも」苦しんでいたのだ。この割合は、19年に鬱に関する定期的な感情を報告した米国人の約2倍である。

なぜ、これほど活動的で、共同体が強く、テクノロジーに縛られてもいないチマネ族に鬱病があるのだろうか? 研究者らがこの疑問を調べたところ、抑鬱症状のもっとも強力な2大予測因子は、身体的損傷と、社会的摩擦にあることがわかった。これなら納得がいく。チマネの身体は活発だが、ストレスを感じている。怪我をすると生産性が損なわれ、そのせいで自分は役に立たないと感じてしまうのだ。一方で社会的絆が重要であるということは、未解決の紛争によって消耗する可能性がある。友人と口論になれば、ライフラインを失う恐れがあるし、平等主義の規範を超えれば、いつまでも噂の的になりかねない。

この調査結果は、これまでの常識を覆した。高い身体活動と相互依存──前向きなウェルビーイングを保証するはずのまさにその美徳が、チマネ族を鬱に強くするのではなく、鬱になりやすくしていたのだ。テクノロジーが、定住と孤立を通じて鬱を悪化させるという主張は、物語の一部でしかない。新たなテクノロジーはわたしたちをひきこもりの一匹狼に変えるかもしれないが、身体や社会的絆への依存を減らすことで、種の起源以来、苦痛を引き起こしてきたであろう自然や社会のドラマから、わたしたちを守ってもくれる。

そのほかの研究もチマネ族の調査を彷彿とさせる。1980年代後半、人類学者は、ボツワナの狩猟採集民と牧畜民の主観的ウェルビーイングを調査した。研究者はアイルランド、香港、米国で行なわれたものと同様の調査を実施し、そこで劇的な違いを見出した。上記ふたつの伝統的な生活を送っている人々は、調査を実施した7つの共同体のなかで、それぞれ1番目と3番目に低いウェルビーイングのスコアを示したのだ。狩猟採集民と牧畜民のおよそ20%が、選択肢のなかで最も低いウェルビーイングのスコアを選んだのである。ちなみに同等のスコアを選んだのは、アイルランド人では1%、米国人では0.5%、香港人では2%だった。

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チマネ族と同じく、人のウェルビーイングを決定する大きな要因は物理的な身体状況にあるが、工業化された社会で暮らす人々より、伝統的な生活を送る人々のほうが、健康であることははるかに重要だった。あまり体の強くない、あるいはそれなりの健康状態の牧畜民が頑健な身体を手に入れた場合、その人のウェルビーイングは平均で68%上昇した。対照的に、アイルランド人、米国人、香港人の場合、健康状態の向上は、ウェルビーイングに12~18%しか影響しなかった。自分のニーズを満たすために激しい肉体労働に依存している人々にとって、病気や怪我は精神的打撃となる。

こうした人類学的研究は、現代のテクノロジーがわたしたちを不安や鬱に陥れるというシンプルな物語に異議を唱える。とはいえ、ここからわかることはそれほど多くない。工業化された社会の生活様式は、チマネのそれとは別物だ。技術革新以前の楽園という幻想を手放したとしても、あなたはスマートフォンやソーシャルメディアが、わたしたちを心理的限界点に引き寄せていると主張するかもしれない。しかしその主張さえも、強くたぐるとほどけはじめる。

「眼鏡をかけることのほうが影響を及ぼす」

新たなテクノロジーをメンタルヘルスの問題に関連づけた注目度の高い研究を見つけるのは難しいことではない。例えば2018年に発表された研究論文では、米国の10代の若者50万人分のデータを分析し、デジタル技術の使用と鬱症状および自殺傾向の関連性を指摘している。この論文は17万回ダウンロードされ、250以上の報道機関で取り上げられ、900以上の研究出版物で引用されている。これは数ある事例のひとつにすぎない。

ケンブリッジ大学の心理学者エイミー・オーベンは、こうした研究のなかに気になるパターンを発見した。「使用されたメンタルヘルスの基準は、非常に場当たり的です」と彼女は語る。研究者らは、自分たちが分析したメンタルヘルスの基準から、制御変数を含めるか否かまで、主観で多くのことを決めていた。例えばオーベンと、共同研究者であるアンドリュー・シュビルスキーが、よく知られたデータセット「ミレニアムコホート研究」を調べたところ、6億を超える分析方法を見つけたが、そのすべてが擁護可能なものだった。このデータセットは「大きすぎて失敗のしようがない」と彼女は述べている。研究者は(必ずしも意図的ではないにしろ)自分で分析方法をデザインし、望む結果を手にすることができたのだ。

そこでオーベンとシュビルスキーは、3つの大規模データセットを使用して可能な限りの分析を行ない、少なくとも過去の研究者のアプローチに限りなく近い6万通りの分析を行なった。そして過去の研究者と同じく、彼らもデジタル技術の使用とウェルビーイングのあいだにネガティブな関連性を発見した。しかし、それはわずかなものだった。具体的には、デジタル技術の使用による思春期のウェルビーイングの変動は0.04%。「デジタル技術の使用よりも、眼鏡をかけることのほうが、よほど思春期のウェルビーイングに負の影響を及ぼすことがわかった」とオーベンはツイートしている。

テクノロジーのもつ治癒力

オーベンとシュビルスキーによって報告された相関関係は、さらなる複雑さを秘めている。ひとつには、デジタル技術への反応は人によって異なる点が挙げられる。オランダのティーンエイジャーのウェルビーイングとソーシャルメディアの使用を追跡した調査によると、ソーシャルメディアを受動的に利用したあと、気分がよくも悪くもないと答えた人は44%、気分がよくなったと答えた人は46%、気分が悪くなったと答えた人はわずか10%だった。

同じく重要なのは、デジタル技術の使用方法だ。「ソーシャルメディアを使えばさまざまなことができます」と述べるのは、オランダのマーストリヒト大学の心理学者フィリップ・ヴァーダインだ。概して、こうしたものはウェルビーイングにさほど影響を与えない可能性がある。「しかしはるかに興味深いのは、これらのなかには実際、極めてポジティブな影響をもたらすものがあるかもしれないと気づくことです」ヴァーダインは言う。「もちろんなかには、極めてネガティブな影響をもたらすものもあるかもしれません」

ヴァーダインは、こうした流動的な影響を理解するために何年も費やしてきた。17年、彼を含む心理学者のチームは、重要な違いが受動的使用と能動的使用にあることを示す証拠を再評価した。受動的使用(スクロールなど)は羨望と社会的比較を生み出す。能動的使用(メーセージを送るなど)は社会的つながりを確立する。しかし、その後の数年間で、ヴァーダインはその区別でさえ、過度に単純化されていることに気がついた。ちょうど今年、彼とその同僚は、能動的な使用がネガティブな影響をもたらす可能性(自分の投稿に誰も反応してくれない)と、受動的な使用で前向きになれる可能性(ほかの人も不安なんだと気づく)を考慮した、最新モデルを発表した。

アラン・テオとその同僚は、ひきこもりの研究でもこの流動性を目にしてきた。16年、AR(拡張現実)対応のモバイルゲーム「ポケモンGO」に触発された世捨て人たちが、ポケモンと呼ばれるモンスターを集めるために久しぶりに外へ出たのだ。その光景に興奮したテオら研究者は、ゲーム内のキャラクターが出現するポケストップをひきこもり支援センターに設置してはどうかと『Psychiatry Research』誌で提案している。日本の元首相麻生太郎などは「海外の報告によると、精神科で治すことができなかったひきこもりの人々が、ポケモンGOをするために外に出るようになった」と明言し、ゲームの治療効果を称賛したほどだ。

ポケモンを探すひきこもり、チマネ族の鬱病、ソーシャルメディアがもたらすさまざまな影響──これらの物語はすべてテクノロジーの動的視点を促し、それは例えばスターウォーズのフォースやポリネシア人のマナのような、本質的に善でも悪でもない強力な潜在能力に似ている。

不安や鬱をテクノロジーのせいにしたいという衝動は驚くことではない。それはエデンの園といったおなじみの過去の寓話を踏まえたものであり、その衝動が、社会を定期的に再構築する刺激的で、目を引く、ときに恐ろしい革新にまつわる現代の問題を非難するのだ。しかしわたしたちの目標が、より幸福で健全な社会をつくることなら、過去にすがるのではなく、テクノロジーを受け入れ、その治癒力を利用したほうが有益である。

WIRED US/Translation by Eriko Katagiri, LIBER/Edit by Michiaki Matsushima)