キャサリン・アレハンドラ・クロス

ワシントン大学iSchoolの情報科学部の博士課程に所属し、オンラインハラスメントについて研究している。テクノロジーと文化に関する記事を幅広く執筆し、SF小説の執筆やテーブルトークRPGのデザインも行なっている。

メタバースの楽しい側面についてレポートしたドキュメンタリーとしては、YouTubeチャンネル「People Make Games」が公開した「Making Sense of VRChat, the “Metaverse” People Actually Like」ほど優れたものはほかにない。

サイト「Shut Up & Sit Down」で有名なクイントン・スミスが、あるプラットフォームをおもしろおかしく紹介する。そこでは博物館や図書館に始まり、実際に商品を試聴できるレコードショップ、幻想的な王国、さらには1990年代後半のKmartを写真ブースにいたるまで不気味なほど正確に再現した場所など、ユーザーによってありとあらゆるプライベート空間がつくられている。

特筆すべきは、「VRChat」が自らのアイデンティティを初めて探求するトランスジェンダー、VRの世界に自由を見つける障害者、あるいは自らのことを普通の人間ではないと考えてこれまでずっと巣穴にこもっていた人たちにも、社会形成と自己表現ができる親しみやすい発露の場を提供している点だ。そうしたさまざまなグループの人々を相手にしたスミスのインタビューはとても感動的で、オンラインの匿名性にはパワーがあると、いま一度思い出させてくれる。

そのビデオを見ていると、わたしは自分が育ったインターネット空間を思い出した。IRCチャットルーム、ゲーム『ネヴァーウィンター・ナイツ』のプライベートサーバー、驚くほど多様なBBCodeフォーラム、LiveJournalなどだ。そのどれもが独特な世界であり、わずかな共通点と言えば、WindowsのGUIを使っていたことぐらいだ。

現在のメタバースは多くの重要な点で初期のインターネットに似ている。比較的高い自由度、少数派の興味を満たす極小コミュニティ、匿名で居続けられる仕組み、平坦で画一的なプラットフォームではなく多くのレイヤーで成り立っている点などだ。つまり、Facebookのインターネットではなく、GeoCitiesのインターネットなのである。

もう一度与えられたチャンス

もちろん、そうした時期にも醜い現実が存在する。早くも1995年にはメディア評論家のリサ・ナカムラが、インターネットがすべての不平等と偏見をなくすという夢のような理想があまりにも誇張されていると警告し、『LambdaMOO』のような初期のオンラインゲームには醜い人種差別やオリエンタリズム、さらにはハラスメントが横行していると指摘した

この問題は、古いインターネットが合理化および均一化され、あるいは企業に支配されるようになったいまも、なくなってはいない。それどころか、民主主義そのものを脅かす存在にまで成長してしまった。現在のメタバースにとって、オンラインハラスメントは死活問題だ。非営利組織SumOfUsの調査員がメタ社の「Horizon World」でバーチャル集団レイプとしか呼びようのない体験をしたように、醜悪な嫌がらせといった出来事が差し迫った問題になっている。

メタ(旧フェイスブック)に悪評が吹き荒れているが、メタバースはメタだけの所有物ではないことを忘れてはならない。フェイスブックからメタへの社名変更は、人々の意識のなかでメタとメタバースを直接結びつけることが狙いのマーケティング戦略だった。しかし実際のところ、「メタバース」はすべてのVRおよびAR体験ネットワークを包括する言葉だ。誰が所有しているかは関係ない。

メタが「Horizon World」をあらゆる機会に対応するオムニバス・ソーシャルメディア・プラットフォームに仕立てようとしているのだから、そこに多くの関心が向けられるのは当然だろうが、メタバースには違う側面もある。メタバースの形をとる現代のVRは真の意味で新しいスタートではない。結局のところ、メタバースといえども、既存のインターネットと深く結びついているのだ。ただし、メディアの劇的な方向転換によって、わたしたちには物事をやり直す機会が新たに与えられたと言える。

このバーチャルリアリティの世界の美しさを、自由を、そして創造性を失うことなく、よりよく規制された空間にすることができるはずだ。うまくやるチャンスが、もう一度与えられたのだ。スミスがVRChatで見つけた美しさを損なうことなしに、これまで目撃されてきたようなひどい出来事を減らす、いまよりも倫理的な規制のフレームワークへうまく移行できるに違いない。そのためには、メタバースが「Bored Apesの惑星」になるのを阻止しなければならない。

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たったひとつの企業に規制を委ねてはならない。YouTubeチャンネル「People Make Games」のおかげで、わたしは強引なアプローチ、つまりPRに力を入れる貪欲な多国籍大企業の手に物事を委ねるのは危険であると気づいた。略奪的な行為を減らしながら個人の表現を最善の形に保つという目的にとっては、PR意識も貪欲さも役に立たない。

何をいまさらと思うだろうが、メタが善意で行動すると信じることはできないのだ。同社がメタバースに巨額を投じる第一の理由は、最終的には壁で囲まれた自らの庭をつくりたいと願っているからだ。結局のところ、Oculusを所有しているということは、これまで長年にわたって他社のアップストアやブラウザーや機器に振り回されてきたメタが、プラットフォームとハードウェア、そしてディストリビューションを支配できるポジションに立ったことを意味している。

さあ、遠くから列車が近づいてくるのが見えた。それを止めるのに、わたしたちは何をすればいいのだろうか? わたしは、空間を全面的に掘り返すことなく、最小限の介入でメタバースの問題に対処する方法を探すフレームワークを提案したい。

権利にもとづく考え方を基本に据える

現在、ほとんどのオンライン空間で、住人は権利を有する個人であるとする見方が欠けている。ほとんどの場合で、人は何よりもまず「消費者」としてのみ理解される。これは資本主義が生んだ切迫した緊急事態なのではあるが、これまでも介入が行なわれてきた。

例えば、差別禁止法が、民間企業が自らの判断にもとづいて有色人種の人々に対するサービスを拒否することを禁じている。国内法や国際法、さらにはプラットフォーム固有のポリシーなどを組み合わせることで、例えばメタバースのどこへ行っても、プライバシーの権利を守ることができるだろう。

VRおよびAR空間を利用するすべてのユーザーが不可侵の権利をもつと想定し、それに基づいて政策を立てるべきだ。誰もが、プライバシー、匿名性、自らのデータの管理、自らの体験のコントロールに対して権利を有する。その際、欧州連合のGDPRのようなデータのプライバシーとコントロールを管理する既存の法律が、メタバースにすでに存在する多くのプロパティをカバーするためのモデルとなるだろう。つまり、現在提案されているワシントン・プライバシー法を可決し、マイクロソフトとアマゾンの裏庭に旗を立てなければならない。

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しかし、国の法律は欧州連合だけでなくバージニア州やカリフォルニア州の既存の法律も参考にすることができる。重要なのは、そうした法律は企業に共通の基準を守らせ、ユーザーにより多くのコントロールを実現し、カリフォルニアの場合は、データを悪用された人の救済を可能にする点である。

ほとんどのVRプラットフォームで、企業は例えばユーザーを保護し、ユーザー自身に自分の空間をコントロールできるようにするツールを実装するなど、社会に優しいアーキテクチャを開発する責任を負うことになるだろう。オンライン上の嫌がらせをなくすには、他人とどう関わるか、他人からどう関わられるかの判断を、プレーヤー自身に委ねなければならない。個人の表現を保護し、望まれない表現を防止する空間をデザインすることが重要だ。

それを確実にする鍵は、堅牢なコンテンツモデレーションであり、コンテンツモデレーションを仮想空間に後付けすることはできない。コンテンツモデレーション職人はVRプラットフォームの開発者から充分な報酬を得て、設計上の主要な決断に関与すべきだ。また、企業はモデレーション戦略のみを専門に監視および代表する最高幹部職を、つまり、「最高モデレーション責任者(CMO)」を設定するのがいいだろう。

倫理学者のルーシー・スパローはさらに、モデレーションには「コミュニティマネジャー」アプローチを用いるべきだと主張する。モデレーターは背景で静かにコンテンツを監視するだけでなく、プレーヤーのコミュニティを積極的に育成すべきだと言いたいのだ。わたしも同じ意見だ。モデレーションは重要だが、罰を与えるだけがモデレーションではない。

注意すべきは、これらの戦略を総じて採用する必要がある点だ。個人レベルのツールは、効果的な監視があって初めて正しく機能する。ユーザーには「ブロック」するためのツールだけあればいいとするテクノリバタリアン的なアプローチは、ソーシャルメディアにすでに存在する地獄をここでもまた再現してしまうだろう。

バーチャルリアリティは現実であり、現実として行動する

既存の法律をいますぐにメタバースに適用できるかもしれない。重要なのは、オンラインでのやりとりはリアルであり、意味があると認めることだ。VRにおけるストーカー行為は現実世界におけるストーカー行為と同じ扱いを受けるべきだ。性的嫌がらせも同じである。

実際のところ、法の執行機関は人々を助けることにほとんど関心をもっていないが、だからといって、種々のメタバース空間を担う企業がユーザーに対して何の責任も負わないということではない。したがって、例えば、倫理委員会のような信頼できる第三者がすべての仮想空間を網羅する監視リストをつくるなどして、警察に通報されることがなくても、違法であると疑われる行為があった場合には、それを理由に厳しい制裁が行なわれる必要がある。

同様に、この問題に関する法的な状況は世界各地でそれぞれ異なっているが、わたしたちは、ギャンブル的な仕組みを実装しようとする試みを未然に防がなければならない。

多くのゲームで用いられている少額課金は、ルートボックスのような仕組みを介して簡単にギャンブルに変換できる。また、VRChatのようなプラットフォームはアバターやコスチュームなどといったデジタル資産を売る収益性の高い二次市場をすでに抱えている。いまのところ、そこはデジタルアーティストにとって非常に使いやすくて儲けの多い空間となっている。そこに企業の手が加われば、カジノに変貌する可能性がある。

現行のギャンブル規制法を応用して、子どもへの販売を制限する、ギャンブル要素を閉ざされた狭い空間のみに許可するなどの策をとることで、理論的には、カジノ化が始まる前に阻止できるだろう。21世紀になったいまも、連邦通信法をアップデートあるいは刷新する余地があるのだ。

ゲーム会社の多くは、取引の性質としてのバーチャル性と、現金ではなくデジタルアイテムで「支払い」が行なわれるという点を強調して、そこで行なわれているのは「本物の」ギャンブルとは違うと主張する。そう主張するには理由がある。現状の米国におけるギャンブルに対する規制ではほぼいつも、「実際の価値」が取引されているか否かが争点になるからだ。

しかし、わたしたちは現実の理解をデジタルにまで拡大する必要があるだろう。仮想商品(バーチャルグッズ)にも価値があることは、否定のしようがないからだ。もしもいつか、VRが人間の生活においていまのインターネットのように大きな比重を占めるようになったら、デジタルグッズには価値がないという主張は、いまよりもさらに危険なものになるだろう。

暗号にノーを

現在のメタバース空間における腐敗の最たる原因は、NFT暗号通貨によってもたらされるリスクだ。この数カ月、NFT資産を巡るネズミ講やそのほかの詐欺行為が数多く行なわれいる。それらはビデオゲームやバーチャルワールドの創造に関係していて、開発者の多くが、一般ゲーマーに価値をもたらすというでたらめな約束を建前に、オンラインゲームにNFTを取り入れようと躍起になっている。

いままさに起きている暗号通貨の暴落がこの問題を解消するかもしれないが、バーチャルワールドをよりよい方向へ発展させるには、初期参入者がだまされて財産を失うことがない状況を確保する必要がある。

一部の人にとって、メタバースの出現はさまざまな暗号通貨を売り込む新たな機会に過ぎない。しかし、そのような行為は、このできたてほやほやの創造性の庭にとって有害だ。それを許していては、革新的な精神を台無しにするだけでなく、(わたしがこれまでずっと非難してきたギャンブルと同じように)ユーザーが略奪のターゲットになる環境をつくり、育むことになってしまう。

およそ20年前に犯した過ちを繰り返さないために、資本家による略奪の道をできるだけ多く遮断しなければならない。やみくもな投機が引き起こした現実世界の住宅危機を、バーチャル空間でも引き起こそうとする動きも止める必要がある。いくつかのビデオゲームは、すでに危機的状況にある。いまにも爆発しそうなそこに、さらに暗号通貨をもち込めば、大惨事につながるだろう。

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ポリシーは、深い具体性と数え切れないほどのエッジケースに注目する必要のある、ニュアンスに富む複雑な取り組みだ。わたしはこのフレームワークが、メタバースが抱える数多くの問題を解決する規制策を考える方法を示してくれると願っている。偶然ではなく、そのようなフレームワークが、いますでにわたしたちを悩ませている監視資本主義の問題から人々を救う助けになってくれるだろう。VRにはまだ、たとえごくわずかとはいえ、初めから正しく構築するチャンスが残されている。

わたしたちのVRの未来は、メタが目指す垂直統合以上のものであるべきだ。もし、わたしたちが「行動の自由」と「存在の自由」、「〜からの自由」の原則に立ち、個人の権利にもとづくフレームワークを出発点にすれば、そして、空間の基本現実を理解し、資本主義的略奪の機会を早い時期に遮断すれば、この2回目のチャンスを最大限に活かせるだろう。

WIRED US/Translation by Kei Hasegawa, LIBER/Edit by Michiaki Matsushima)