ミーガン・ファロクマネシュ

ビデオゲームとゲーム製作業界を担当するシニアライター。以前はアクシオス(Axios)、ザ・ヴァージ(The Verge)、ポリゴン(Polygon)に勤めていた。ブルックリン在住、レザージャケットが多すぎてクローゼットが足りない。

トレーニングセッションに入って30分経った頃、金切り声が聞こえ始め、その甲高い耳障りな叫びが怒鳴り声へと変わる。「そのマウンテンをよこせ。そのマウンテンデューだ」。頭上を炭酸飲料の入った箱が飛び越えて行くなかで、トレーナー役の分厚い丸メガネと猫耳を着けた青い髪のアニメ顔少年は、黙ってわたしの前に立っている。

「彼らがこの通路を襲うときは、もう少しだけ怖いですよ」。黄緑色のアニメキャラクターの一団がわたしたちの前を走り抜けると、彼はようやく落ち着いた口調でそう言う。バーチャルKマートに来る客のほとんどは、それほど手に負えないわけではない。トレーナー役の少年は、ホットドッグの胴体を細い麺のような手足で支えているわたしのアバターをもっと静かな通路に連れて行き、客をサポートする方法について説明を続ける。

バーチャルオンライン・プラットフォーム「VRChat」のなかでは、好きなことが何でもできる。ここは、人々がリアルタイムに推理ミステリー作品をつくったり、チキンカルトに誘ったり、小売業の仕事みたいなことをしたりする、混沌とした遊び場のような場所だ。この30分の間に、J3Cubeという名前のプレイヤーが、VRChat Kマートの店舗の価値や売り場など、この小売チェーンのバーチャル版で働くために知っておかなければならないすべてのことについて、一通り教えてくれた。

オンラインコミュニティでは常にさまざまなロールプレイが、例えば会社員のふりをしたり、蟻のコロニーの一員になったりと、客観的にはありふれたかたちで生まれている。「セカンドライフ」のような多くのゲームが、プレイヤーに対し、自分たちが住めるデジタルワールドをつくり出すためのプラットフォームを提供している。

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VRChatのKマートは、平凡な小売の仕事を背景にそれらのアイデアのいちばんいい部分を組み合わせ、現実の店舗から直接抜き出したディテールが詰め込まれている。目新しさから、人々は店にやって来る。しかし多くの場合、訪問客がここに居続ける理由は、「なりたい自分」をロールプレイする機会があるからだ。

「あなたがよりよい人間になるのを手伝うために」

ほとんどの場合、小売の仕事を懐かしく思うことなどない。しかし、Ericirnoは違った感じ方をしている(この記事のため取材したプレイヤーたちからは、プライバシーを理由にハンドル名のみの使用を求められた)。Kマートの電化製品売り場で働いていた元従業員のEricirnoは、昔の同僚たちを「職場の小さな家族」と呼ぶ。彼はいまでも、客や客が自分の生活について話してくれたことを、愛おしく思っている。

2019年秋に勤めていた店舗が閉鎖されると、EricirnoはVRChatでKマートを再現し始めた。トイレタリー用品やチアペットがずらりと並ぶ単調な色の棚、ガーデン用品やクルマ用品の通路、そしてもちろん電化製品売り場。Ericirnoは全国のKマートに足を運んで商品、什器、看板などの写真を撮影し(多くの店舗がその後、閉鎖された)、それらをスキャンしてVRChatに取り込み、3Dモデルとして利用する。

Ericirnoは、最初の店舗を1992年のKマートを思い起こさせるデザインにした。そのために、昔の従業員の古い写真やプレスリリースの画像を集め、アーカイブサイトにアップロードされているカセットテープを店内音楽として使った。商品は必ずしも歴史的に正確なものではなく、スーパーファミコンから不格好なVRヘッドセットまで、懐かしさを覚えるようなものが選ばれることもある。「誰もが知っていて、愛していたKマートの感じを再現したかったんです」と、エリックイルノは言う。「吊り下げ式の照明器具、巨大な通気口、硬い床タイル。Kマートを訪れた誰もが目にしたものです」

VRCHAT VIA MEGAN FAROKHMANESH

この作業を始めたときはEricirnoひとりだけだったが、2020年の夏頃には、一緒に開発する人が現れ始めた。物珍しさと、間違えようのない大きな赤い「K」に惹かれたほかのVRChatプレイヤーもKマートの常連や協力者となり、スーパーKマートやKマートエクスプレスなど、異なる目的を果たす新しい店舗のオープンを手伝った。最初の店舗が90年代のオマージュであるように、スーパーKマートは2000年代初頭、特に02年に同社が破産を申請する前の時代をベースにしている。なぜ、その時代なのか?「そのふたつが、Kマートの絶頂期だったから」だとEricirnoは言う。

VRChat Kマートの開発コミュニティは、どの店舗でもやっているように従業員を「雇い」始めた。求人を行ない、従業員にトレーニングを受けさせた。トレーナーが、新しく入った従業員一人ひとりをスクリプトに沿って指導する。従業員は採用されるとKマートのバッジを着け、通路はきれいに保ちレジ待ちの列は3人以下にするなど、サービスに関するルールの遵守を誓約する。客とは笑顔で話し、最後は決まり文句で見送る。「VRChat Kマートでのお買い物、ありがとうございました。素敵なお買い物だったことを願っております」。ブラックフライデー・セールもあり、クリスマスには閉店する。

ばかばかしく見えるかもしれない。一部の参加者にとっては実際にばかばかしい。しかし、特に人付き合いに苦しんでいる人にとっては、ビデオゲームのなかでのトレーニングは安全で気楽でもある。「現実世界での経験は、完璧な心構えで臨まないとトラウマになる可能性があります」と、VRChat Kマートの最高コミュニケーション責任者を務めるCarbonは言う。

Carbonは、自分には自閉症スペクトラム障害があり、深刻な不安に悩まされていると説明する。「わたしと同じ症状をもつ人は誰でも、外には出ないと言うでしょう」と彼女は話す。Carbonの他人に対する忌避感はとても強く、視線を合わせずに食べ物を手に取ることができなければ、取りに行こうとさえしないだろう。でも、バーチャルネットの安全性のおかげで、Carbonはネット上で社交的になることができる。元気過ぎる好奇心旺盛な記者たちと会話することだって可能だ。

Kカフェで自分の殻に閉じこもっていたCarbonは、やがてある求人に応募する勇気が湧くようになった。いまでは、それが事実上、彼女の第2の仕事になっている。Carbonは、コミュニティ内の問題行動に対処する際、自らを「ママ・カーボン」と呼び、警告システムの一環として、全面的な禁止措置を用いる前にプレイヤーに話しかけて教育を試みることで、自分の役割をロールプレイしている。

「荒らし」はミュートしたりブロックしたりすることができる。VRChat Kマートの従業員による違反行為には、もっと特別な意味合いをもつ解決策が求められる。店には独自の人事部門があり、匿名で提出できる苦情を記録している。もし、従業員が同性愛嫌悪の発言をしたことを同僚が報告した場合、Carbonは「ちょっとした子育て」をするために介入し、問題の従業員に「こういう理由で、友だちにこんなことをしてはいけないよ」と説明する。

「それが、わたしたちと実際の職場との違いのひとつです」と、カーボンは言う。「わたしたちは、あなたがよりよい人間になるのを手伝うためにここにいます。仕事ではありません。政府でもありません。インターネットの道徳警察でもありません。わたしたちは、誰もが進んで協力できるようにするために、ここにいるのです」

「安全な環境で現実の仕事を体験したかった」

ThisMightを名乗るベルギー人のプレイヤーは、VRChat Kマートでの仕事を通じて成長を実感している。彼は、牛乳を探しているときに偶然この店を見つけ、ぶらぶらすることにした。そしてこのゲームのDiscordに参加し、その後、開発チームに加わった。ゲーム内トレーニングを一通り受けた後、ディスマイトは準社員となって電化製品売り場に配属され、ピクセルで描かれた映画やゲームの箱が並ぶカウンターの後ろに立った。ThisMightは現実のKマートを一度も見たことがない。

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VRChatは、例えば会計のための高度なシステムがないなど、店舗での体験を完全に再現するようにはできていない。そのためプレイヤーは、自分がロールプレイする職務にとても真剣に取り組む。その売り場では客は電化製品しか買えないという厳格なルールがあるにもかかわらず、園芸売り場の商品や食品をもってThisMightのカウンターにやって来る人たちがよくいた。そんなときThisMightは「ここは電化製品売り場です」と大声で客を追い返した。「レジの通路に行ってください!」

ThisMightは徐々に昇進し、ついに店長になった。いまではカウンターの後ろに立ったままではなく、店内を歩き回り、助けが必要かもしれない店員や客をチェックしている。Kマートのタイムセールコーナー「ブルーライト」用の商品選びも手伝う。例えば、「誰も気にかけていなかったから」という理由でコダックのカメラを選んだ。なぜ、そんなにコダック製品が気になったのか聞くと、「電化製品売り場では、どの商品も特別だからです」と答えた。

VRChat Kマートのトップたちは、現実の生活が何よりも大事だと主張する。そのため、プレイヤーは一度に数分間だけ(出勤して)働くことも選択できる。しかしThisMightは、4時間から6時間ほど働くこともある。金銭の授受がないため、労働時間に決まりはない。「まったく何もしていないのに200人分もの給料を払わなければならないとしたら、ばかげています」と、ディスマイトは言う(よく冗談で言われることだが、当然、組合も存在しない)。

社会不安障害を抱えるThisMightにとって、実際の報酬はより一層の価値があるものだった。「安全な環境で現実の仕事を体験したかったんです」と、彼はバーチャルな仕事に就くことを選んだ理由を話す。「店に参加することは、社会不安を止める最良の方法のひとつになるかもしれないと考えました。参加した時点から、人と話さざるを得ないからです」。ThisMightは以前の自分を傍観者と呼び、関わるよりも尻尾を巻いて逃げてしまうことが多かったと説明した。「いまは、声を出して何か意見を言う意志の強さがあります」

「ここが第一の家族だと考えている」

衝突は起こる。ここは、政治も宗教も人生経験も大きく異なる人たちが集まるコミュニティだ。しかし、一部の人たちにとっては、有効だと感じられる、あるいは社会的な場で自分の好むジェンダー表現を自由に使うことができる、唯一の場所でもある。

「このコミュニティには、ここが第一の家族だと考えているメンバーがいます。家庭生活がうまくいっていないので、このコミュニティに来るのです」とCarbonは言う。「そのような人たちの集まりに、とても依存し始めます」。もし、Carbonや他の上層部の者たちが紛争解決のいい手本を示せなければ、「メンバーが生きていくことも期待できなくなります」

座って話すだけで済むこともある。「さまざまな方向性やライフスタイル、ジェンダー表現をもつ人々に触れることのない、何もないところからやって来る子どもがいます」と、Carbonは言う。「そして、なかにはとても辛辣な言葉で武装してやって来る子もいます。わたしたちは、誰でもユーザーネームの裏側はひとりの人間であるというようなことを説明します。そして、それを理解させることができ、物事がよくなっていくと本当に心から思えれば、放っておくことができます」

店に戻ろう。トレーニングの仕上げをしていると、テレタビー風のアバターがソーダを飲みながらわたしたちの会話を見ている。猫耳のトレーナーはわたしに質問があるか知りたがり、その間にVRの覗き魔がゆっくりと棚の後から顔を出す。いまではもうすべてが直感的に、以前に経験したことのある小売の仕事のやり方と変わらないように感じている。

商売には波があり、そこで働くことに決める人たちにも波がある。いまは午後の早い時間で、店内のカウンターにはほとんど人がいない。現実世界では、人々の生活が夏の終わりの日々から、もっと普通の勤務時間へと移行しているためだ。

返品・交換カウンターの近くには、「Not All Heroes Wear Capes … Our Heroes Wear Kmart Shirts(ヒーローが全員ケープをまとっているわけではない……我々のヒーローはKマートのTシャツを着ている)」と書かれた看板が立っている。手に負えないマウンテンデューの箱が地面を散らかし、誰かが拾い上げてくれるのを待っている。

WIRED US/Edit by Michiaki Matsushima)