ケイト・ニッブズ

文化関連のテーマを得意とする『WIRED』のシニアライター。以前は『The Ringer』と『Gizmodo』でもライターをしていた経験がある。

クジラ一頭の値段はいくらだろう?

まったく改めて言うまでもなくバカバカしい質問だ。というか、ほとんど常軌を逸した不遜な質問だとさえ言っていい──クジラはすばらしい威厳に満ちた生き物であり、したがってその価値は当然、人間が値踏みできる範囲などはるかに超越しているからだ! だがこんなバカげた質問の答えを、経済学者たちは真剣に考えてきた。政府や企業に対して、野生生物の価値を認めさせるためだ。

新著『The Value of a Whale: On the Illusions of Green Capitalism(クジラの価値:グリーン資主義の幻影)』(未邦訳)のなかでエイドリアン・ブラーは、そんな「グリーン」資本主義という愚かしい論理を一刀両断にしてみせる。クジラの金銭的価値を値踏みすることや、カーボンオフセットという概念、「サステナブル関連ファンド」のような金融商品は、ただのまやかしに過ぎないというのだ。

ロンドンに拠点をおく先進的なシンクタンク、Common Wealthの研究部長であるブラーは、商業ベースの企業による「グリーン」な取り組みのことを、よくて気休め──いや、下手をしたら積極的に害をなすものと見ている。『Value of a Whale』は、利益を求める企業が気候問題活動を表面的なお飾りとして利用することにより、自らの力をさらに強めていると鋭く指摘する。想像がつくとおり、この本を読んでもあまり明るい気分にはなれない。だが、読者に刺激を与えてくれるタフな本であり、事実から目を背けて問題が改善されているという幻影を受け入れてはだめだと警告を発してくれる一冊であることは間違いない。

『WIRED』は今回、クジラの値踏みや邪悪な経済学者たち、さらには将来に希望を見いだす可能性について、ブラーに話を聞いた(このインタビューは、内容を明確にし長さを調節するため、編集を加えてある)。

──まず、本書を未読の人や、環境問題にあまり詳しくない人のために、「グリーン資本主義(green capitalism)」という言葉について説明していただけませんか?

エイドリアン・ブラー:この本のなかでわたしが用いている「グリーン資本主義」という言葉の定義は、現在進行形のものです。それは、わたしたちがいま米国や英国で目にしている現象を指しています。つまり大企業や金融会社が、気候問題をあからさまに否定したり無視したりするのは得策ではないと判断し、気候政策を自分たちの都合のいいように操る方向へ少しずつ方針転換しつつある状況のことを言っているのです。

「グリーン資本主義」の基本的な考え方は、大きく分けてふたつあります。ひとつは、現存する経済体制、現存する富と権力の配分をできる限り壊さずに、気候危機問題を解決していこうとする姿勢。もうひとつは、脱炭素化された未来にも、利益を生み利潤を引き出す機会がまだ残っていることを保証するような方法で脱炭素化を進めようとする姿勢です。

例えば気候問題に対する解決策として、個人によるクルマの所有から公共交通機関への移行を進めるという方策に対し、「グリーン資本主義」は化石燃料車から電気自動車への移行に力を入れ、民間企業が引き続き利益をあげられるような方向に世論を導こうとするのです。

──「グリーン資本主義」に対する批判を書こうと思った動機はなんですか?

ブラー:わたしは気候危機と金融を扱う市民社会団体で何年か仕事をしてきましたし、もともと完全な非政府組織である監視機関からキャリアをスタートさせた人間です。その監視機関では、金融関連企業にパリ協定の目標を重視した経営をしていくことの大切さを理解してもらおうと努力していました。

しかし、結局その経験から得られたものは、そういうやり方が本当に具体的な変化を生みだすことがあるのだろうか? という非常にシニカルな認識だけでした。ただ、それは同時に非常に面白い経験でもありました。金融業界で働く人びとの頭の中に忍びこみ、環境問題に対するそうした人々の本音をわしづかみにすることができたのですから。わたしがこの本でやりたかったのは、そういうことなんです。

──本書のタイトルは、「グリーン資本主義」がいかにばかげた考えか、ということを示す例にちなんでつけられたものですよね。国際通貨基金(IMF)は、種としてのクジラ全体に約1兆ドル(約140兆円)、クジラの個体1頭につき200万ドル(約2億8,000万円)という価値を付与することを決めました。この数字は、クジラがどれだけの二酸化炭素を自分たちの持分として差し押さえているかを計算して決定したもので、それを気候変動対策の一助として、クジラの保護を推進する根拠に使おうというのです。本の冒頭にこのエピソードをもってきた狙いは何だったのでしょうか?

ブラー:わたしにとっては、それはまさに「グリーン資本主義」を象徴するエピソードです。人の直感に訴える魅力的なアイデアであると同時に、実質的には非常に問題がある。一方においては、このようなアイデアは人の直感に訴えかけるものです。つまり、わたしたちが自然を破壊するのは、現行の経済システム内では自然というものに価値を付与していないからで、だからこそ自然に価値を与える方法を考え出す必要がある、というわけです。したがって、例えばクジラのような自然の要素が、政府や企業にとって大切なもの──お金や安定経済など──のなかで大きな役割を果たしていることを理解させれば、それは気候変動の解決策になりうるのではないか、という考え方です。いま世界中のほとんどの政府が、気候危機対策として行なおうとしているのが、クジラを商業ベースの論理に当てはめるようなやり方です。でもそれはまさに、経済が自然に対して示してきた愚かで暴力的な姿勢を如実に表していると思います。あと、単純にわたしがクジラ好き、というのも大きな理由なんですけどね。

──ばかげた値踏み、という話で言うと、本の後半に「統計的生命価値(VSL)」という基準の話が出てきますよね。わたしには初耳だったのですが、もともと冷戦時代に軍事作戦の費用を比較するために考案されたものだそうですね。現代では、一人当たりのVSLは一般的に800万ドル(約11億3,000万円)から1,100万ドル(約15億5,500万円)ほどだと本のなかには書かれていますが、低所得の国や、ある国のなかで低所得層の人たちが住む地域では、居住者のVSLは低く見積もられてしまうという。このことは、この計算がいかに道徳的に歪んだものであるか、ということをはっきりと物語っています。経済の分野が気候変動対策を行なっていくのに、こういったあからさまな差別的思考に頼らない方法はあるのでしょうか?

ブラー:ええ、わたしはあると思います。既存の経済領域からは外れたところで、経済世界が自らのために人為的につくりだした障壁を乗り越えようと努力している人たちはたくさんいます。その障壁とは、「経済は社会科学ではなく、本質として政治的なものではない」という考え方です。経済学者のなかには、経済とは自然科学に近いものだと考えたい人たちがいるようですが、それは明らかに事実と違います。経済領域は本来、社会的・政治的なものであるという現実をわたしたちが取り戻すことができれば、経済を正しく捉え直すことができるのではないでしょうか。

──わたしたちが生きている間に、気候が修復されることはあると思いますか?

ブラー:わたしのなかの楽観的な自分は、「Yes」と答えたがっています。わたし自身の正義感がそういう答えを求めているというだけでなく、純粋に事実として修復される必要があると思うのです。正義という面を抜きにして考えても──実際ひとつの国のなかでも、国と国との間でも、世界経済のなかには富と収入の分配に極端な不平等が存在し、そういった不平等は破壊的な歴史の上に築かれてきたわけですが──気候の回復は実現されるべきだと思います。

そのために、わたしたちは次のふたつのことを達成できる世界経済をつくっていかねばなりません。この意見には、すべてではないにしても大部分の人が同意するはずです。ひとつは居住可能な地球を維持していくこと。もうひとつは、人間がこの世界の中で有している莫大な富のすべてをつぎこんで、地球上のあらゆる生命のために豊かな基準を保証することです。

そういった原則が実現すると信じられるなら、地球環境の修復を基本とする枠組みが必要だという事実を避けて通る必要もありません。気候変動に関する国連枠組条約(UNFCCC)の一部である気候関連の金融目標については、非常に興味深い動きが起きつつあります。それは1年あたり1,000億ドル(約14兆円)を、気候対策資金として貧しい国々に提供するという目標に関するものです。

もちろん、その目標は明らかにまだ達成されていません。その金額の大部分は、現在のところ有利子貸付と呼ばれるかたちで提供されています。つまり、市場金利かそれを上回る利子つきで貸し付けられているか、返済や支払いの滞りに対して懲罰的な条件を課しているのです。結局のところ、それでは貧しい国々に富を分け与えていることにはなりません。ですから、そういった資金提供を単純に無利子で提供するだけにし、しかもその額を大幅に増やそうという動きが起きつつあるのです。

気候を修復するには、急進的な研究の枠組みや、無理に解決策を推し進めることだけが必要なのではありません。とにかく現在ある手段を通して、不平等を解消しようとまず考え始めることが大切なのです。

一方、わたしのなかの悲観的な自分は、気候問題は改善する前に、いまよりずっとひどくなるだろうと考えています。これは少し気が滅入る考え方ですし、できればそんなことにはなってほしくないのですが。

──産業化された農業の途方もない規模を調べた統計を見て、わたしは本当に愕然としました。いま生存する動物の60%が家畜であるという事実も知りませんでした。公平な温暖化対策のためには、世界中の人が肉食をやめて、菜食中心の生活に向かうべきだとあなたは思いますか?

ブラー:わたしは農業の専門家ではまったくありませんが、そういった統計の数値を使って、わたしたちがいかに極端な方向へとこの惑星を導いてきたかを示してみようと考えました。比較的裕福な国々の住民、とくにそのなかでも中流や上流階級の人びとにとっては、消費の方法を大きく変えていくことは必須です。その項目のなかには、当然食事も含まれます。

消費をもちだすとみんなすごく怒ります。それはみんなが、消費と言っておけばこの気候危機に自分たちも加担しているという罪の意識を帳消しにできると考えているからであり、消費を問題にすることは気候危機にほとんど関わっていない労働者階級や貧しい国々にまで罰を科すことになると思っているからです。ですから、消費と構造的要因を結びつけるときには、わたしは常に細心の注意を払っています。

これまでは肉そのものが抱える問題に比べ、肉の生産管理方法についてはあまり注目されてきませんでした。畜産業界は、最大量の肉を最大限の利益を上げつつ生産することだけを考えた、まったくサステナブルではない方法を使っています。それこそが、わたしが注目したいと思った側面なのです。問題なのは、食事やその素材の是非ではありません。

──本の終わりに、あなたはこう書いています。「グリーン資本主義による解決策は、現在の気候および経済危機を失速・逆転させるか、それに適応するかしていかねばならないという緊急の課題に対して、よくて気休め程度の効果しかない。最悪の場合、わたしたちが気候・経済危機を本当の意味で解決する能力を積極的に損なうおそれさえある」

『The Value of a Whale』は、その説がまさに真実であるということを示しています。正直言って暗澹たる気持ちになりますが、実際現状のわたしたちは、例えば「グリーン社会主義」のような「グリーン資本主義」とは異なる体制からは、はるか遠く離れた地点にいると言わざるを得ません。現行の世界を支配する資本主義体制のなかで、気候変動対策を進めていくために推し進めていくに値すると思えるプロジェクトは、何かありますか?

ブラー:わたしがこの本で書きたかった究極の結論を、あなたに先に言われてしまいましたね! でも、現行のシステム内にも、本当にすぐれた方針を推し進めていく方法はたくさんあるとわたしは思います。つまり、未来のあるべき姿をもっと根本的に考え直して、予測していくような方針をわたしたちは選びとるべきなのです。

それには現行のシステム内で改革を行ない、システムを少しずつ改善していくという方法をとるのがいいのかもしれません。わたしが最も希望を抱いているのは、わたしたちがものごとを見る視点や、ものごとを整理する考え方に大きな変化をもたらすようなやり方です。例えば、今年成立したインフレーション抑制法(IRA)がそのいい例です。

IRAにはまだまだ多くの欠点がありますし、そのことについてここでは詳しく触れませんが、IRAの最もすばらしい点は、それが米国の気候政策において初めて、気候危機を解決する方法として価格設定や価格制度そのものにこだわることをやめると宣言したという事実なのです。本のなかでわたしはまるまる1章を割いて、想像上の価格という魔法を手放し、投資ベースの枠組みや公共投資ベースの枠組みへとシフトしていく必要性を論じています。そうして自分たちの物の見方を変えていくことが、経済の仕組みを再考していくという、より大きなプロジェクトへとつながっていくのだと思います。

また英国では労働党が、巨大化石燃料発電所に対抗するため、公的資金を投入してクリーンエネルギー企業をつくるという計画を発表しました。これも、とても希望のもてる話題だと思います。現行の資本主義の枠組みのなかでの話ではありますが、あらゆることが利益という基準のもとに正当化される世界を、少しでもいい方向へ変えていく手助けにはなるはずです。

──より大規模に計画された、政府主導による世界経済の変化が、いつか実現する可能性はあると思いますか?

ブラー:化石燃料からの移行を進めていくには、非常に大規模で複雑な手続きが必要であることを考えると、やはり国家規模の力が必要でしょうね。とくに、わたしたちが考えているような時間軸内──10年、20年という時間で実現するにはそうでしょう。ですから、国家組織の協力のもとに、できる限り思い切った変化を推し進めていくことが重要ですし、必要なことだと思います。

IRAに話を戻すと、あの法案が──だいぶその内容が薄められてしまったとはいえ──とりあえずあのかたちで通ったのは、グリーン・ニューディールにまつわるかなり過激な運動や、かなり過激な気候危機の未来図が存在したからこそです。とくに米国では、国家やコミュニティのレベルで無駄になっている力がたくさんある。そういった力をもっと活用していくべきだし、現に活用され始めていると思います。

わたしがもっと疑わしいと思っているのは、UNFCCCやCOPでの取り決めについて、参加国間の国際的な調整がどの程度効力を発揮するのか、という点についてです。確かに各国が目的を達成しようと真剣に取り組み、わたしたちの要求に応えようと努力していることは認めます。しかし率直に言って、その問題の解決方法には確信がもてないし、かといって別の最善の解決策も思いつかないのです。

──気候変動対策により大きな変化をもたらすために、読者が何か直接的な行動をとるとしたら、どんなことを提案しますか?

ブラー:気候変動に関する活動を長年にわたって続けてきて感じるのは、抗議行動に訴えてもほとんど効果がないということです。国家はときに、動かすことのできない巨獣のようにさえ感じられます。それでも、人々を抗議へと駆りたて、その運動の渦中に立たせることは、長い運動の軌跡のなかで非常に価値のあることだとわたしは心の底から思います。たとえ直近の結果からすれば無意味なように見えるとしても。ですからわたしからは、すべての人に立ち上がって行動に訴えてみてほしいと言いたいですね。

もうひとつ言いたいことがあります。化石燃料と炭素への依存からの脱却を推進するだけでなく、それを公正かつ公平に進めていくためには、非常に強力な勢力のひとつである労働組合を味方につけることが必要です。ですから、労働組合に入ろうと考えたことのある人はぜひ組合に入ってもらい、現在組合に所属している人たちと一緒になって、内側から圧力をかけることにより、組合が気候危機に対して大きな声をあげるような方向へもっていってもらいたいと思っています。

労働組合は、未来にとってきわめて重要な鍵を握る労働者を代表する組織です。気候対策運動と労働運動がひとつになれば、きわめて強力な絆が生まれることになるはずだし、そういった動きはすでに始まりつつあるのです。

WIRED US/Translation by Terumi Kato, LIBER/Edit by Michiaki Matsushima)