Speculative Zones
3つの読みどころ

1)デンマークの小さな街ヘルシンゲルで、生徒8,000人が日常的に授業で使っていたChromebookの使用が禁止された。
2)子どもたちの学校での活動のあらゆるデータがグーグルへと送られ、それが将来にわたって活用されるかもしれない。
3)自国のデータが米国企業に送られる懸念について、EUはGDPRに即したリスク評価などをいかに運用するかが問われている。

デンマークのヘルシンゲルは、全国ニュースのヘッドラインに登場することなどめったにない小さな街だ。そこを訪れる人のほとんどは、対岸のスウェーデンに渡るフェリーに乗るためか、シェイクスピアの有名な悲劇『ハムレット』の舞台となった城を訪ねるためにやってくる。だが22年8月、新学期の始まりとともに、報道陣がこの街に押しかけた。地元の学校がグーグル製品の使用を禁止したことによって引き起こされた大混乱を取材するためだ。

グーグルの教育関連製品──Chromebookのノートパソコンと学校向けソフト──は、デンマークの教育システムに深く根づいている。デンマーク国内の学校の半数近くがグーグルを使い、ヘルシンゲルの場合、わずか6歳で最初のChromebookを手にする子たちもいる。そのため、ヘルシンゲル市が7月14日にグーグル製品の使用を禁止すると、8月に学校が再開するやいなや大混乱が起きた。

生徒のなかには、ペンと紙を使うのに慣れておらず、自分で書いた字が読めないと言い出す子もいた。この措置は、デンマークのデータ保護監督機関が、グーグルが子どもたちのデータを集めて何をしているのかを学校側がまったく把握していないことを認めたためだった。結果的に、ほぼ8,000人の児童に対し、日常の教育に中心的な役割を果たしていたChromebookの使用が禁止されることになった。

モーガン・ミ―カー

『WIRED』のシニアライター。ヨーロッパのビジネス担当。以前は『The Telegraph』でテクノロジーを担当、オランダの雑誌『De Correspondent』でも働いていた。2019年にWords by Women AwardsでTechnology Journalist of the Yearを受賞。スコットランド生まれ、ロンドン在住。ロンドン大学シティ校国際ジャーナリズム修士課程修了。

「誇り高きアナログ一家」

この大混乱の発端となったのは、19年8月、8歳の男の子がある問題について父親に助けを求めたことだ。クラスメートのひとりが、その子のYouTubeアカウントを勝手に使って他人のビデオに「とても失礼な」コメントを書き込んだ。その子は、そのせいで自分が嫌がらせをしたとして罰を受けたり、ネット上で仕返しの対象になったりするのではないかと心配していたのだ。

父親のイェスパー・グラウガールは最初、意味がわからなかった。自分は息子のためにYouTubeのアカウントをつくってやったことはないし、学校にもそんなアカウントをつくる許可を与えた覚えはない。グラウガール家は「誇り高きアナログ一家」だった。子どもは3人いるが、誰にもスマートフォンを持たせていない。だから息子のひとり(グラウガールは名前を挙げることを拒否している)がYouTubeアカウントをもっていて、そこにフルネームと学校とクラス名が公然と表示されていることを知ると、愕然としてすぐさま息子の学校に連絡をとった。

グラウガールによれば、学校のスタッフは、それは個人情報を守るフィルターのちょっとした不具合であり、簡単に修正できるからと言って、問題をうやむやにしようとしたという。グーグルはこの件に関し、詳しいコメントをすることを拒否したが、児童がアクセスできるグーグルのサービスの種類を管理するのは、普通は学校のITスタッフの仕事であると発言した。

だがグラウガールは納得しなかった。当時自宅で仕事をしていた彼は──それまで何かの活動にかかわったことなど一度もなかったのだが──デンマークの公立学校のシステムとグーグルとの関係が抱える大きな欠陥を正す運動に乗り出し、結局3年間を費やすことになった。ヘルシンゲルでのグーグル禁止令は、彼が19年12月にデンマークのデータ保護監督機関Datatilsynetに公式に申し立てた苦情がもとになって決定されたものだ。

さらに、グラウガールが地元のメディアや政治家に繰り返し働きかけたことにより、デンマーク人のデータ保護に関し、かつて例を見ないほどの大規模な論争が巻き起こった。また、ヨーロッパの公共部門において米国の会社が果たしている役割について、疑惑の目が向けられるようになっていった。

子どもたち世代全体へのアクセス

データ保護監督機関は、ヘルシンゲル市がグーグルの学校関連製品を使用する前に、ヨーロッパのGDPR(一般データ保護規則)のプライバシー法案のもとに定められている一連のリスク評価をまったく行なっていなかったことを突き止めた。それこそがこのグーグル禁止令に至った一因だと、DatatilsynetのITセキュリティ・スペシャリストであるアラン・フランクは指摘する。しかし、禁止の報によって大騒動に陥った学校には9月8日に実施猶予の知らせが届けられ、ヘルシンゲルとグーグルが今後のことについて交渉を重ねる2カ月の間、子どもたちはChromebookを使い続けてもいいことになった。

グーグルに対し、製品をGDPRに則したものに修正するよう求めるかどうかは、ヘルシンゲル市の姿勢しだいだとフランクは言う。『WIRED』の問い合わせに、ヘルシンゲル市からは何の回答も得られていない。しかし一方で、グーグルからは、努力が必要なのはヘルシンゲル市のほうだと匂わせる発言が出ている。「わたしたちは、ヘルシンゲル市と力を合わせて問題を解決しようとしています。だから市当局の技術的背景を改善し、すでにリスク評価を終えてうちの製品を使っているヨーロッパ圏のほかの学校での成功例をシェアしているのです」と、グーグルの北欧圏教育担当責任者アレクサンドラ・アーティアイネンは言う。

いま行なわれている交渉が決裂し、禁止が実行されたとしたら、ヘルシンゲルに限らずデンマーク中の学校に適用が拡大される恐れもある。フランクによると、グーグル製品の使用に不安を覚えてDatatilsynetに連絡をとってきた自治体は、これまでに45にのぼるということだ。

最初、学校のデータ保護運動を始めたとき、グラウガールはグーグルの製品だけに不安を抱いていたわけではなかった。「わたしが気になっていたのは、公立学校に行かせている子どもの個人データが、親のわたしの同意なしに公にされるのはおかしいという点です」と彼は言う。「ひとりの父親として、単純にそう思ったんです。そのときはまだ、事の重大さをまったく理解していませんでした」

だがいまでは、グーグルがデンマークの公立学校に深く入りこんでいる事態に不吉な影を感じ、学校システムとのかかわりからグーグルを切り離したいと望むようになった。「子どもたちが学校で行なうすべての活動が、Workspaceを通してクラウドに上げられます。つまり、Chromebookを使って書いたすべての文章が、グーグルに送られるわけです。わたしたちは、子どもたち世代全体へのアクセスを、グーグルに許可しているのです」。

グラウガールが強調するいちばんの問題は、グーグルが子どもたちのデータを何のために使っているのか、そのデータがどこへ行くのかがよくわからないことだ。「子どもたちのデータをターゲット広告には使わない、第三者にデータを売ることもない、とグーグルはつねに言っています」と、デジタル権利団体IT Pol Denmarkの委員長イェスパー・ルンドは言う。だが、自社のサービス向上やAIの訓練といったほかの目的のために、子どもたちのデータを使っている可能性があるのではないか、とルンドは考えているという。

ペンと紙を使った授業

ヘルシンゲルの中心街に建つビミッテン・スクールは、デンマークとスウェーデンを分けるエーレスンド海峡まで歩いて数分の位置にある、赤レンガ造りのモダンな学校だ。だが現在学校を覆う空気は、不安に満ちている。7月から9月の2カ月間の使用禁止の間に、学校と生徒たちはグーグルなしの未来を垣間見ることになった。

ビミッテンのミドルスクールの校長コースガード・ペーダーセンによれば、教師たちはデジタル化されていた授業プランを中止し、倉庫にしまい込んであった以前の紙の教科書を持ち出さなければならなくなったようだ。それから数週間、子どもたちはペンと紙を使って授業を受け、その間全員のChromebookはIT担当者によって無効化されたうえ、家に置いておくことが義務づけられた。

この一連の騒動は、ヘルシンゲルの公立学校に大きなジレンマを生み出している。そうした学校には、GDPRの規則に精通し、援助の手を差し伸べてくれるような専門家はいない。「その一方で、わたしたちは子どもたちのデータを守りたいと真剣に思っています。以前コンサルタントをしていた経験からわかるのですが、グーグルとのデータに関する取り決めには、100%透明だと言えない部分があります。とはいえ、この国がいったんその契約を受け入れてしまったことも事実です」とペーダーセンは言う。だが、彼が目指すのは21世紀の学校としてきちんと機能する環境を整えることだ。「わたしたちは実際、カリキュラムのかなりの部分をChromebookに頼る状況に身を置いています」

Chromebookがない状況にうまく適応できる子もいれば、そうでない子もいる。ペーダーセンの教育者としてのキャリアのなかで、子どものデータ保護について苦情を申し立ててきた親はいなかった。だがグーグル禁止令の後、苦情を訴える親が現れ始めた──おもに失読症の子どもをもつ親だ。そういう子どもたちは、ChromebookのAppWriterのようなツールにかなり助けられているからだ。

デンマークの親たちの多くは、この問題に対して態度を決めかねているようだ。だが、なかにはきっぱりとした姿勢を貫く人たちもいる。「わたしは、この禁止措置がもっと拡がっていくべきだと考えています。わたしたちは多国籍企業に自分の情報を与えすぎているのです。どの企業も、基本的には信用ならないものなのに」と、4人の子をもつ父親であるヤン・グローネマンは言う。彼の子どもたちはデンマークのハスレフにある学校に通っているが、その学校ではグーグルではなくマイクロソフトが使われている。

『WIRED』の取材に答えてくれた、ほかのデンマークのプライバシー保護活動家や、地元の経営者たちと同じく、グローネマンもグーグルが子どもたちのオンライン動向について集めているデータのことを懸念している。そうしたデータが、子どもたちが成長したあとで広告や政治に利用され、何らかの情報操作が行なわれる危険性がないとは言い切れないのだ。

「もしもあなたが誰かの郵便番号や経済活動や誕生日、さらにアマゾンやディズニーやウォルマートやターゲットで何を買い、何を見たか、全部知っていたとしたらどうでしょう? あなたはその誰かに対し、強大な予測能力を手に入れたことになります」とオミノ・ガルデジは言う。彼は以前ディズニーで顧問をしていたが、現在はコペンハーゲンでプライバシー保護に的を絞った教育関連のスタートアップ、Lirrnを経営している。

米国へ送られるヨーロッパ人のデータ

このヘルシンゲルの措置は、現在ヨーロッパ全体で大きな議論の的となっている問題をさらに煽る結果となった。つまり、ヨーロッパ人のデータが米国のテック企業の手に渡ったらどうなるのか、という問題だ。米国へ送られたヨーロッパ人のデータは、NSA(国家安全保障局)のような情報機関の手に渡る可能性があるという判決が、ヨーロッパの法廷で何度も下されている。

これまでのところ、EUから米国へのデータ送付に関し、最大の疑惑の対象となっているのはFacebookの親会社であるメタだ。この7月、アイルランドのデータ保護監督機関は、米国へのデータ送付を禁止する予定だと述べた。これに対し、もしそれを実行するなら、メタはヨーロッパ人がFacebookやInstagramなどのサービスを使えないようにすると脅しをかけている。

ヘルシンゲルの禁止令のおかげで、地元の人たちはグーグルも米億へデータを送っていることに改めて気づき、将来自分たちの国が同じ側に立っているとは思えないような政権が、ヨーロッパ人のデータにアクセス可能になるかもしれないという不安が増しつつある。「次の大統領は、またトランプかもしれません」と、デンマークのシンクタンクData Ethics EUの共同設立者、ペルニル・トランベリは言う。彼女は何年もの間、デンマークの学校に対し、Nextcloudのようなヨーロッパ製の学校向けソフトを使うよう呼びかけてきた。

グーグル側は、政府からの情報開示請求に対しては厳しい基準を設けているし、必要なときには異議も唱えると言う。「わたしたちは、プライバシーと欧米間のデータ流通を守るため、実行可能な解決策を模索しているEUと米国に対しても支援を行なっています。インターネットが正常に機能し、子どもたちが日常的に頼りにしているデジタルサービスにアクセスできるようにするためには、欧米間のデータ送信が不可欠なのです」とグーグルのアーティアイネンは言う。

一方、ヘルシンゲルのビミッテン・スクールの教師たちは、欧米間のデータ送信のことなど念頭にない。彼らが気にしているのは、とにかく11月5日に下される予定のグーグル禁止令に関する最終決定がどうなるかだ。「いまは待つしかありません」とペーダーセンは言う。だがその心配とは別に、グーグルには疑問に答えてもらいたいという思いもある。「グーグルはいったい何のために、デンマークの子どもたちのデータを使っているのでしょう? この件について、はっきりさせておくのはとても重要だと思います。わたしたちは、自分の子どもを多国籍企業に売り渡しているわけではないという確信が欲しいのです」

WIRED/Translation by Terumi Kato, LIBER/Edit by Michiaki Matsushima)