Speculative Zones
3つの読みどころ

1)いまのウェブはヒップスター的ニヒリズムに満ちている。つまり、希望やポジティブな未来を描くのは難しい。
2)企業は希望にあふれる広告を流してポジティブな未来を約束しつつ、実際は正反対のことをしているケースも多い。
3)こうした上っ面だけの希望を著者はグリーンウォッシュやピンクウォッシュと同じ意味でホープウォッシュと呼ぶ。

未来に関するセールストークを、わたしたちは始終聞かされている。広告、選挙運動、四半期ごとの予算はみな、明日はこうなるという約束、あるいは脅迫だ。

時にそれは、好むと好まざるとにかかわらず、ただ黙って見ているだけでそうした未来が実現すると思わせる効果がある。だが、そんな未来はいまもって来ていない。そうした言葉を信じるくらいなら、わたしたちには未来について発言する資格があるのだから、それを最大限有効に活用すべきだ。

でもどうやって? この8年、わたしは未来をテーマにしたポッドキャスト「Flash Forward」で180以上のエピソードを制作・放送してきた。パート3までのシリーズを通じてわたしがこれまでに学んだ、未来のためにできることについての考え方のうち、とくに重要なものを紹介しよう(今回はパート1だ。パート2パート3も引き続き読んでほしい)。

「人間を信じる心を取り戻せる画像21選」

ローズ・エヴェレス

『WIRED』のアイデアコントリビューターであり、未来に関するポッドキャスト「Flash Forward 」のホスト兼プロデューサー。風で野原をころがる”タンブルウィード”のにせ物をつくる農場から100万ドルのバカラ賭博強盗まで、さまざまな話題を取り上げている。

2012年6月、ライターのジャック・シェパードは『バズフィード』に「人間を信じる心を取り戻せる画像21選」と題した記事を投稿した。この手のリストは以前からあったが、広く拡散したものはこれが初めてだった。1週間とたたないうちに、記事の閲覧回数は700万を超えた。「とにかくものすごくバズりました」とシェパードは言う。「当時は、バズフィード史上1、2のトラフィック数を争う記事のひとつでした」

リストには、12年に流行した古典的なインターネット・ミームのネタが揃っている。例えば、「教会のホモフォビア(同性愛嫌悪)を謝罪するため、ゲイ・プライド・パレードに現われたシカゴのキリスト教徒たちの画像」や「海で溺れた子羊を救ったふたりのノルウェー人男性」など。あるいは、リアリティ番組「Jersey Shore」のテレビスター、スヌーキが生まれてくる子にどんな名前をつけたらいいかを尋ねたアンケート調査で、92%と最も多くの人が投票した選択肢は「どうでもいい」だった、とか。3分の1はかわいいか、救助されたか、またはその両方の動物の画像だった。

いずれにしても、人気コンテンツの影響は大きく、一気に拡散したその記事のおかげでシェパードの仕事は波に乗った。「尋常ではありませんでした。メディアの世界で、あそこまでバズると、まったくとどまるところを知りません。たいへんな盛り上がりでした」。その後、ネットライターなら誰もがそうするように、シェパードは次のステップに進んだ。彼は口ひげのある犬ヴィーガン向けのサンクスギビング・レシピについてのブログのほか、喫緊の課題「次にブームが来る動物は、ハネジネズミの赤ちゃんか?」を問うストーリーを書いた。次のネタを探すシェパードは、過去にバズった投稿のことはもうほとんど忘れかけていた。

人間に対する信頼を取り戻せると謳った画像で、シェパードが「ネットでブレイク」してからおよそ半年後、人間を信じる心を踏みにじる事件が起きた。銃を持った男がサンディフック小学校に侵入し、小学生20人を含む26人を殺害したのだ。

その日の朝、『バズフィード』上層部はエンターテインメント関連記事の掲載を一時的に停止することに決めた。あごひげのある犬も、ヴィーガンのレシピも、ハネジネズミの赤ちゃんも。「おもしろいコンテンツで知られる『バズフィード』が、重苦しい空気に包まれました。ほかの多くのサイトも同じでした」と、シェパードは話す。

しかし、衝撃的なニュースが飛び交うなか、シェパードはサイトのランキングに意外なものを見つけた。彼の「人間を信じる心を取り戻せる画像21選」が、いきなりトレンド入りしていたのである。『バズフィード』が関連するコンテンツをシェアしたとか、プロモーションしたとかいうわけでもないのに。しかも、トレンド入りしただけでなく、それ以降も拡散を続けた。何も仕掛けていないにもかかわらず、その記事を探し出す人の数は数十万単位で増えていった。19年にシェパードが『バズフィード』を辞めたとき、投稿の閲覧者数は1,620万人だった。

「人間に対する信頼の回復」というアイデア

言うまでもなく、彼の記事が人間に対する誰かの心のもちようを本当に変えることができた、と考えるのは非現実的だ。けれどもこの構想──「人間に対する信頼の回復」というアイデア──には一考の価値がある。なぜなら、その記事に実際に意味があるかないかはともかく、それが人気を呼んだという事実がわたしたちの人間についての認識を写し出しているからだ。つまり、人間に対する信頼は失われてしまったものの、その信頼はどうにかして回復させることが可能で、人々はそれが現実のものになるのを心から、必死に求めているとわたしたちは考えているのだ。

12年の投稿から年月がたち、この記事のタイトルもどこか陳腐になった。「人間を信じる心を取り戻せる、付箋に書かれたメッセージ13選」のような傑作をはじめ、『バズフィード』には「人間を信じる心を取り戻せる」と題した記事がほかにもある。また、『ネクストウェブ』[編註:テクノロジー系ニュースメディア]は、「白紙のグーグル・ドキュメントが人間に対する信頼を回復させた」と題した記事を公開した。リストヴァース[編註:話題のトピックをリストにして紹介する米国企業]が作成した「人間を信じる心を取り戻せた」ものトップ10のリストには、エジプトのピラミッドが実は完全に奴隷によって建てられたものではないという事実を含む、かなり突拍子もないものばかりが揃っている。

「人間を信じる心を取り戻せる」ものリストに、いまなら何を含めるかと問うと、もうこのようなリストは書かないとシェパードは答えた。そういうインターネットコンテンツの時代は終わったのだ、と。インターネット、カルチャー、とりわけインターネットカルチャーの世界では、10年は10億年にも相当する(実際のところ、今日シェパードの投稿を読もうとしても、画面に現われるのは白い四角に「この画像は現在表示できません」の文字だけかもしれない。あるとき『バズフィード』は古い記事の画像の保存をやめたので、彼のリストも事実上意味のないものになった。それは何かを暗示しているのかもしれない)。現代のインターネットのトレンド仕掛け人の多くは、陽気で楽しいコンテンツとは真逆の世界にいる。いまのウェブはヒップスター的ニヒリズムに満ちているのだ。

パンデミックも3年目に入り、世界中で戦争が起こり、足下ではファシズムと暴力の高まりに備えて身を引き締めなければならないこの時代に、希望をもつなんて呑気すぎるかもしれない。ペンシルヴェニア州立大学マッカートニー民主主義研究所の調査によると、米国人の84%がこの国の未来について「きわめて憂慮している」または「とても憂慮している」と回答したという。そしてわたしも、リスナーはじめ人々から最もよく訊かれるのが、未来への希望についての問いだ──いったいどうすればそんなものもてるというんだ。

いまよりも、もっとよいもの

だが、よりよい未来を思い描くのに、何もいつでも希望をもち続けなければならないわけではない。事実、最近の心理学の実験結果からは、どれだけ希望がないと感じても、わたしたちはみなどうすれば未来をもっとよくできるかを常に考えていることが示唆されている。

あなたがいまいる場所で、周りを見て何かを選ぼう。例えばあなたの犬、クルマ、コンピューター、電話といったものや、概念としての人間など、何でもいい。次に、それがいまと違うものだったら、と想像してみてほしい。両者はどこがどんなふうに違っているだろう? 違いを3つ、挙げてみよう。

あなたは、いまよりももっとよいものを想像しただろうか?

答えはたぶんイエスだろう。これは、コロンビア・ビジネス・スクール博士課程修了者で、ニュースレター『Experimental History』の執筆者であるアダム・マストロヤンニが研究の一環として実施した主要な実験である。その結果、ありえないほどに、人はみな現状がよくなると想像することが明らかになった。

実験では、リサーチャーは先ほどあなたがしたのと同じことを参加者に要請する──身近なものごと(電話、経済、生活、ペットなど)に起きる3つの変化を想像してみてください、と。次に、その変化によって自分が選んだものがよくなるか、同じか、悪くなるかを評価してもらった。すると人々は、自分が選んだすべてのものがいまよりもよくなると想像した。クルマが空を飛べるようになり、ガソリンが不要になるだろう。ペットの毛が抜けず、カーペットにおもらしをせず、絶対に死なないでくれたらいい。

例えば愛のような抽象的な概念に対しても、よい方向に変わると想像した。「『幸せはどう変わると思いますか』と質問すると、人々は『いまよりもっと幸せになれるでしょう』と答えました。『いまより不幸になると思う』とか、『幸せになるのは難しくなるかもしれない』なんて回答する人はひとりもいませんでした。みな、『そうだな、愛はもっとはかないものになるかもしれない』ではなく、『いや、もっと愛に溢れるようになる』と答えるんです。人々にとって変化とはそういうものなのでしょう」とマストロヤンニは述べる。

あまりに極端な結果に、マストロヤンニは最初データの扱い方を間違えたのかと思ったという。そこで、質問の言葉を変えたり、ポーランド人を対象にしたり、標準中国語を使用したりしたが、毎回同様の結果になった。

これらの実験結果は、楽観バイアス、すなわちものごとがうまくいくと信じたがる傾向を意味する人間の心理作用によってすっかり説明がつくものでもない。実験の参加者は、クルマやペットや銀行口座がもっとよくなると思いはしたが、それが実現すると確信していたわけではないし、その可能性があるとさえ考えていなかった。それでも、人々は状況が好転すると想像したのだ。

上っ面のポジティブ思考

それが未来とどんな関係があるか? わたしたちは、まずよりよい未来がどういうものかに想像を巡らせなければ、それをつくることはできない。結局のところ、わたしたちは知らぬ間に、いつもいまよりいい未来を思い描いてしまう。人間は、ものごとがよい方向に向かうと考えるようにできているらしい。もちろん、ただ思い浮かべているだけでは充分ではない。だが、そこがスタートだ。そしてそれは希望の重要な側面──状況がよくないと認識しながら、なおも先天的に、本能的に、現状がどうよくなるかを最初に考えることができる力──なのだ。

その反面、わたしたちはこの本能に支配されてはならない。何もせずに、希望が進歩のじゃまをするのを黙って見ているのはひじょうに危険だ。今日、たとえシェパードが書いたような記事が拡散していなくても、そういうものを求める人の心が消えてなくなったわけではない。しかもそうした心は、いまや悪意ある何かにかたちを変えて、凶器と化している。

記事のタイトルやリストに代わり、わたしたちは例えばこんな動画を見て、前向きな未来を感じとろうとする。

これはウェルズ・ファーゴのコマーシャルだ。自転車販売店、陶芸家の工房、ボーリング場、キッチンカーなど、米国各地の小規模事業者を映した、きれいな映像である。楽観的な未来を謳う声が大きく響き、いま、今日、彼/彼女らには希望があると語りかけてくる。最後に「WELCOME TO HOPE USA(希望の国アメリカへようこそ)」の白い文字が現われて、動画は幕を閉じる。何が言いたいかは明白だ。この銀行は、可能性と機会に満ち溢れた未来へとわたしたちを運んでくれるという。コマーシャルと時を同じくして、ウェルズ・ファーゴは「パンデミックによる経済的打撃からの脱却を図る小規模事業者」への投資事業を打ち出した。同社は言う。さあ行こう、希望の国USAへ、と。

この広告は魅力的だ。この数年誰もが苦しんできたのだ。未来への希望が欲しくない人などいるだろうか? ウェルズ・ファーゴが誘う希望の国USAに、行きたくない人などいるだろうか?

だが、実際のところ、この銀行が希望に満ちた未来を叶えることはない。ウェルズ・ファーゴはダコタ・アクセス・パイプライン[編註:ノースダコタ州からイリノイ州の石油ターミナルまでをつなぐ、1,886kmにわたる地下石油パイプラインのプロジェクト。先住民族の水源地を汚染するとして長年反対運動が行なわれ、20年7月には連邦地裁がパイプラインの運営を一時停止する判決を下した]の大口出資者だ。数年前には、住宅ローン融資において黒人やヒスパニック系に対する人種差別があったとして、連邦政府が同行を相手どり訴訟を起こした。さらには有色人種や女性を雇用せず、嘘っぱちの「多様性」をアピールして就職志望者に面接を行なっていたとして批判もされている。長年にわたり、刑務所および移民収容施設の主要な資金提供者のひとつでもあり、トランプ政権下で実行された家族分離政策[編註:不法移民取り締まりを強化する「ゼロ・トレランス」の一環として、入国書類を持たずに国境を越えた親子を別々に収容する政策。のちに撤回された]も支持した。

パンデミックが起こって以降、希望というアイデアをあえて利用するメディアが増えている。21年のニューヨーク市長選の選挙運動で最初に出したテレビ広告で、アンドリュー・ヤンは「希望の足音が聞こえる」と訴えた。Instagramでは、希望溢れる生活を送るためにはどうすればいいかを教えてくれる、美しく撮られたたくさんの画像があなたのいいねやシェアを待っている。ジャーナリストはYouTubeで、テクノロジーに関するポジティヴな見解だけを伝える動画をシリーズで制作している。なぜなら、「前向きな話をしたい」からだという。サイエンス・フィクションでは「ホープパンク」や「ソーラーパンク」といったジャンルが花盛りだ。それらの多くは明るくポジティブな物語で、そもそも未来への希望がなぜ必要なのかという現実に向き合うことを避けている。

わたしは、そんな上っ面のポジティブ思考を「ホープウォッシング」と呼ぶようになった。「グリーンウォッシング」[編註:うわべだけ環境に配慮しているように装って、実態はそうではないこと]や「ピンクウォッシング」[編註:LGBTQフレンドリーを打ち出すことで、組織や政府の政策や問題行動から人々の目をそらそうとすること]と同じように、ホープウォッシングとは、企業や権力者が世界をよりよい、希望ある場所にするため力を尽くしていると見せかけて、現実には正反対の行動を取っていることを意味する。「わたしたちは、困難な真実から目を背け、自ら行動を起こすのを避けるための、一時しのぎの対処法として希望を利用しているんです」と、サイエンス・コミュニケーターでリミナル社の設立者であるリズ・ニーリーは言う。

「そんな希望は麻薬も同然です」

ウェルズ・ファーゴのような企業は、希望と引き換えにあなたに服従を求める。同社を信じて現状に甘んじるよう求める。じっとしたまま、手の込んだ広告やきれいなウェブサイトが連れてくる未来をただ待っていろ、と。

希望の国USAとは、どんな国なのか? ウェルズ・ファーゴにとって、それは安定した秩序正しい銀行経営だ。自分のお金がどう扱われているかに決して疑問をもたない顧客だ。希望の国USAでは抗議運動は起こらない。よりよいものを望む人はいない。権力者に真実を話す人もいない。「同社の言う希望は催眠剤のようなものです。わたしたちが求めている、輝きを放ち、人に元気を与える、すばらしいものではありません」と、ニーリーは話す。プリンストン大学アフリカン・アメリカン・スタディーズ教授で、新刊『Viral Justice: How We Grow the World We Want(バイラルする正義:わたしたちが望む世界をいかに育てるか)』[未邦訳]を出版したばかりのルハ・ベンジャミンも同じように、「そんな希望は麻薬も同然です」と述べた。

こんなドラッグのような希望を追い求めても、よりよい未来をつくることにはならない。現状をよくするための行動を起こすのに、希望が心を満たすのを待っている場合ではない。ベンジャミンはわたしにこんなふうに語った。「わたしたちの努力が気分に左右されるなんてことがあってはなりません。ただいっときハイになって、その後は結局代わり映えしない現実に戻るんですか? そうではなく、やるべきことに尽力し、そのときどきの混乱によって、希望がもてる場合もあればもてない場合もあると考えるべきではないでしょうか?」

また、刑務所廃止運動家マリアム・カバは言う。「希望は悲しみや不満や怒りや、ちゃんと意味のあるそのほかの感情をもつことを妨げるものではありません。希望は感情ではありませんよね? 楽観主義でもありません……希望は訓練と同じです。希望をもてるようになるためには、来る日も来る日も練習しなければならないのです」

希望の中心には葛藤がある──わたしたちの脳は、現状で手を打つことなく、常にもっとよいものを思い描くようにできている。だが、頭の中でよりよい未来に思いをはせながらも、わたしたちは周りを見て、現実がまだそこに達していないと認識することもできる。そこに生じる葛藤を静めるために、企業は何もせずただよりよい未来を思い描くだけで、あとは企業がすべてやってくれるとわたしたちに信じ込ませようとする。

しかし、よりよい未来を築くための舵取りを希望に任せることはできないし、企業や権力者に希望の意味やそれがわき出てくるかどうかをコントロールさせるわけにもいかない。どんな企業や政治家もあなたに希望を与えることはできないのだ。わたしたちは自分の力でそれを自らのなかに打ち立てなければならない。そしてそれは目的ではなく、あくまでも始まりだ。

希望は、心を落ち着けるための感情ではなく、スタート地点でなければならない。希望は暖かいベッドではなく、あなたをそこから抜け出させるアラームだ。わたしたちには、幸福な未来や希望の感情を与えてくれる企業など必要ない。企業が植えつけようとしているものは、もうすべてわたしたちのなかにある。あとはただ、行動を起こすだけだ。

WIRED/Translation by Takako Ando, LIBER/Edit by Michiaki Matsushima)