Speculative Zones
3つの読みどころ

1)リモートワークの普及と物価上昇のなか、正業を複数かけもちするワークスタイルが拡がっている。
2)DiscordやRedditのコミュニティメンバーは、雇用という束縛の外に人生の意味を見い出している。
3)「静かな退職」と違い、「オーバーエンプロイメント」は現状の労使関係への批判的ハックとなっている。

パンデミックが始まった頃、サラ・マーフィーはテック企業のクリエイティブ責任者という新たな仕事を引き受けた。だが、これまで勤めていた異業種の仕事を退職したかというと……しなかった。

「競争社会に巻き込まれ、特定のキャリアパスに縛られ、経済的に自立する機会がまったく見いだせないと感じていました」とマーフィーは言う。「自分のキャリアのなかで稼げると期待できる収入はわかっていました。このままでは、目標の達成にあと5年から10年もかかってしまいます」。そこで、マーフィーはふたつの仕事をかけもちすることにした(マーフィーは自分の経験を自由に話せるようにと仮名を希望した)。

それから9カ月間、マーフィーはふたつの仕事を何とかやりくりした。2台のノートパソコンの間を行ったり来たりし、Slackのステータスは両方の仕事で常に「離席中」としていた。この試みのおかげで、マーフィーはすべてを捧げることなく新しい業界に挑戦するチャンスを得た。また、年収も20万ドル(2,700万円)近くと2倍以上になったため、頭金を貯めて、米国で最も物価の高い都市のひとつに初めて自宅を購入することができた。

ファデケ・アデブイ

インターネット文化やテクノロジーを探求するニュースレターであるCybernautのライター。

マーフィーはまさに「オーバーエンプロイメント」の状態にある。つまり、複数の仕事をフルタイムでこっそりかけもちする労働者のひとりだ。新型コロナウイルスのパンデミックによりリモートワークが増加するなかで、こうした動きが拡がっている。この現象は、リモートワークで10個の仕事に就いて年収150万ドル(約2億円)を稼ぐようになったソフトウェアエンジニア、リモートワークで複数の仕事がバッティングしないように「カレンダーでテトリスをする」ように時間をやりくりする人といった突飛なエピソードで語られる。あるいは、部下のソフトウェアエンジニアがふたつ目の仕事をもっていることを知りながら、スタートアップ企業で多拠点チームを率いるリーダーの例もある。

しばらくのあいだ、マーフィーは斬新な働き方を見つけた、こんな方法を試しているのは自分だけだ、と考えていた。だが、新たな働き方を始めるとまもなく、まさに同じことをして、それについてオンラインで語り合っているナレッジワーカーが大勢いることに気づいた。TikTokでは、ハッシュタグ#overemployedが430万回以上も再生されている。ネット掲示板「Reddit」では、r/overemployedのメンバーが89,000人を超え、チャットアプリ「Discord」の同様のコミュニティは、32,000人以上のユーザーを抱え、日中の活動時間中は数分ごとに新たなメンバーが加入している。

RedditもDiscordも、「Overemployed」というウェブサイトの傘下に置かれ、このウェブサイトは、こうした新たな働き方に関するリソースを提供するハブとなりホームとなっている。新しい働き方を試したり検討したりする人々にとって、これらのネットコミュニティやオンライン空間は頼みの綱とも言えるのだ。

「オーバーエンプロイメント」は、斬新ではあるが、そのコミュニティや価値観を深く掘り下げてみると、驚くほど慣れ親しんだ考え方であることがわかる。仕事をかけもちする労働者は一見、より多くの仕事を受け入れることで、ハッスル文化〔編註:仕事に全精力を注ぎこみ長時間働くことが美化される風潮〕に対する反発に抵抗しているようにも見える。だが、こうした労働者は、仕事に関してずいぶん前から主流となっている多くの論点を繰り返し主張する。それは「企業には幻滅した」「自分の時間やアイデンティティを独占される仕事には就きたくない」という考え方だ。

不安定な経済状況と雇用

想像しがたいことだが、ミレニアル世代やZ世代の若者のあいだでは、自分たちは仕事で出世できず人生でも成功できないという思いが蔓延している。全米でインフレが続き、それに伴い家賃も高騰している。住宅不足が進む一方で、人々の住宅購入能力は低く、多くの都市では、住宅コストの上昇が賃金の上昇を大きく上回っている。

つい最近、PwCが米国のさまざまな業界で経営者や役員700名を対象に行なった調査では、回答者の半数が、現在社員数を削減しつつある、またはその計画があると答えている。不安定な経済状況が長引くにつれて、経営者はまず内定の取り消しやレイオフ(一時解雇)に頼り、労働者がその犠牲になっている。

経済が狂ってしまったいま、仕事をかけもちすることで収入を2倍、3倍にすることが、経済的自由を手に入れるための新たな裏技のように感じられても不思議ではない。不安定な副業やギグワークでは、多くの人のニーズは満たせない。「オーバーエンプロイメント」には、そうした仕事を避けつつ、快適な自宅にいながら安定した収入を増やせるという魅力があるのだ。

マーフィーと同様、仕事をかけもちする人々の多くは、住宅を購入したりかなりの財産を貯めたりと、以前は手が届かないように見えた経済的目標を達成している。Discordのやり取りでは、あるメンバーが同じ日に2カ所から給料をもらったと喜びを伝えると、ほかのメンバーも喜んでいっせいに絵文字で反応していた。「2x-success-stories」という別のチャネルでは、ふたつ目の仕事を得ることで恋人や家族のカードローンを返済できた、収入を130%から200%も増やすことができたといった成果が語られている。

しかし、成果の多くは実は物質的なものではない。意外に思えるかもしれないが、仕事のかけもちを提唱する人々によると、仕事時間を増やすということは、理論上は週に80時間以上も働かなければならないことになる。しかし、それによって経済的な自由が得られるだけでなく、感情的、職業的な自由も得られるという。

Discordのやり取りでは、ミーティングの回数が非常に多いスタートアップ企業や、無駄に急がせる企業文化など、企業の「危険信号」とも言える行動について、メンバーに注意喚起が行なわれている。こうしたやり取りからわかるのは、職場が家族に似ているという考えに人々が幻滅しているということだ。会社に対する忠誠心よりも自分の本当の家族(配偶者、幼い子ども、両親)を優先させたいと、こうした人々は言う。多くの仕事は給料を得るためのサービスの交換に過ぎず、儲からなくなればそこまでだ、という考え方が拡まっているのだ。

仕事をかけもちする人はめったに自己実現を求めず、仕事に意味を求めない。多くの人は、キャリアアップの野心をもつことなく、比較的地位が低く、高い役職に伴う義務を負わずに作業を仕上げられるような仕事をふたつ目として選んでいる。DiscordやRedditのスレッドでは、9時から5時までの勤務時間を充実させたいと望む人は、思い止まるよう説得され、別の世界に目を向けろ、企業による人生の侵食に抵抗しろと言われ、また雇用という束縛の外に意味を見い出すべきだと勧められる。

6個も仕事をかけもちする人の例はあるものの、コミュニティに属する人の大半は、単にふたつの仕事をかけもちし、生活レベルは上げずに出費を避け、自分や家族の目標のために貯金をしている。大半の人は惰性で仕事をすることに満足しているが、それは必ずしも企業を利用しようとしているからではなく、ひとつの仕事で働きすぎて、しかも努力に対する見返りもほとんど得られず、燃え尽きてしまった経験をすでにしたことがあるからだ。あるスレッドでは、誰かが「3つの仕事のひとつを手放そうと思っている」と発言すると、別の投稿者が淡々と「辞めなくても、情熱を注ぐのを止めればいいだけさ」と返信していた。

投稿者によれば、複数の仕事を抱えると、どの仕事にも強い愛着をもてなくなるという。仕事をアイデンティティとみなすのではなく、目的を達成するための手段と考えるようになるわけだ。そして、ほとんどの人は出口戦略を持ち、仕事のかけもちをいつやめるかについて、経済的な目標や数字を設定している。先行きが不透明な時代に、新たな自信と前向きな気持を与え、強い気持ちを取り戻す感覚が得られる──「オーバーエンプロイメント」はそんな効果をもたらすのだ。

マーフィーは、仕事をかけもちすることで良心の呵責に苛まれることはなく、それは倫理的にも正しい、極めて一般的なことだと言う。「わたしの母は若い頃からずっとふたつの仕事をかけもちしていましたが、それが変だと思ったことはありません。労働者階級ではそういうものですから」とマーフィーは言う。「ただ、ナレッジワーカーが複数の仕事をかけもちしていると、道義に反するという意見は確かにあります。でも、仕事をしっかり仕上げれば、道義に反することなどないはずです」

それでもマーフィーは、兼業が発覚して、パンデミックの最中に両方の職を失うかもしれないとビクビクしていた。ひとつ目の仕事で業務カレンダーに人事部から面談の予定が入れられたときには、不安が頭をよぎった。秘密がばれてしまったと恐ろしくなった。成功や貯蓄のペースを速めようとしたことについて自責の念にかられながら、両社の人事担当者がどういうわけか連絡を取り合っていて、自分の生活を壊してしまうのではないかと想像した。

実際は、まったく別の目的のための面談だった。会社はレイオフを進めており、マーフィーは数年間勤めた末に解雇されることになったのだ。「貯金はたっぷりできていました」とマーフィーは言う。「それにこっそり副業ができたことにはとても感謝しています」

「アンチワーク」との違い

現在インターネットでは、仕事に対する考え方を再構築する動きが拡がり、新たな支持者を獲得しているが、「オーバーエンプロイメント」はそれとはまったく異なるものだ。仕事を否定する運動の高まりは、パンデミックの始まり以降、「r/antiwork」というサブレディットが200万人超のフォロワーを獲得し、その投稿がTwitter上で頻繁に拡散されていることからも明らかだ。

22年後半には、「静かな退職(クワイエット・クイッティング)」という言葉がニュースで注目を浴びた。仕事に不満を抱く人々が会社を辞めずに留まり、与えられた最低限の仕事だけをこなす働き方である(この現象について、ただ自分が搾取されないようにしているだけと言い表す人もいる)。また、オンライン上で大きな支持を得たFIRE運動(経済的自立と早期リタイア)は、支持者に対して、収入の最大化を図りつつ支出を減らすことで、早期退職や刺激的だが収入は少ない仕事への移行(実際にはこちらのほうが多い)を奨励している。

こうした働き方はすべて、現状への不満とフルタイムで働く意味への疑問を示している。統制がとれていない組織を代表している上司は、無能かもしれないし、人を傷つけるような人物かもしれない。働きすぎによる極度の疲労が蔓延し、最もやりがいを感じられる仕事は生活費を賄えない薄給かもしれない。これらの問題に取り組むための戦略はさまざまだが、基本的な風潮は今後も変わらないはずだ。

サブレディット「overemployed」のスレッドで、ある投稿者が、アンチワーク(反仕事)の支持者とオーバーエンプロイメントの支持者の違いについて書いたところ、次のような返信が投稿されていた。「アンチワークとオーバーエンプロイメントには重なりがあります。アンチワークはシステムがいかに労働者に不利につくられているかを指摘し、そういうシステムを破壊すべきだと訴えています。一方、オーバーエンプロイメントは、システムは労働者に不利につくられていると考えてはいますが、『それを利用しよう』と言うわけです」

オーバーエンプロイメントのコミュニティの創設者で、自身もフルタイムの仕事をふたつかけもちしているアイザック・P(仮名)は、オーバーエンプロイメントの倫理をめぐる否定的な見解の多くは、利益を得られる労働者の側からではなく、何かを失う可能性のある雇用主の側から出ていると主張する。アイザックによれば、人々が単一の収入減に依存することについて企業は責任を負わないのに、多くの場合、苦境に立たされるのは個人のほうだという。

「この考え方の主流を占めているのは依然として、投資家や創業者、中小企業の経営者といった、声の大きい人たちです」とアイザックは話す。「ただし、まともな会社であれば、そんなふうには考えないでしょう。それはなぜか。もしも会社を自分自身や自分の家族のように考えるのであれば、そんなふうには考えないからです」

オーバーエンプロイメントは単なる働き方ではない。個人主義と自立のイデオロギーなのだ。企業は労働者を見放したと感じている多くの人が、このイデオロギーに賛同している。「あなたの時間を浪費しようとする人が大勢いますが、それは拒否することができるのです」とアイザックは労働者に突きつけられる過剰な要求について話す。そして、複数の仕事をもつことで、いかにそれを拒否するための強さと安心を得られるかについて語っている。

子どもの送り迎えや料理、高齢の親の介護など、わたしたちにはもっと重要なやるべきことがあるはずだ、とアイザックは言う。「パンデミックのおかげで、多くの人が目を覚ましました。人生で大切なことは何かを考えるようになったのです」

WIRED/Translation by Miho Michimoto, LIBER/Edit by Michiaki Matsushima)