Speculative Zones
3つの読みどころ

1)デジタルノマドに人気のポルトガル領マデイラ島では、住宅価格がこの1年で30%高騰している。
2)外国企業への優遇措置がある一方、国内で最も失業率の高いその島の住民は明確な恩恵を得られていない。
3)デジタルノマドの潮流は、人種格差に支えられた新たなグローバル人種資本主義を生み出してもいる。

前篇から続く

ポルトガル領マデイラ諸島最大の島であるマデイラ島の南岸にあるポンタ・ド・ソル行政区には現在、島で最もアロジャメント・ローカル(地元の宿泊施設)住宅が密集しており、その数はここ数年で3倍に増えた。リモートワーカーの需要が一気に膨らんだことから、住民たちは既存の賃貸物件や観光物件をその市場に振り向け、あるいはそのための物件を新たに建設している。

ふらりと町を散歩するだけで、あちこちで工事を見かけた。外国人たちが「ノマド通り」と呼ぶ急な坂道の工事現場では、完成後の建築物の広告看板が立っていた──全面ガラス張りの鋭角的な宿泊施設、「プラチナム・ヴィラVIII」だ。丘の上、傾斜のある庭で作業をしていた地元の男性と立ち話をした。男性は肩に担いでいたバナナの木を下ろし、本業である建設の仕事から先ほど帰ってきたところだと言った。庭は裕福な米国人が所有する土地で、賃貸アパートを建てるために自宅の横の果樹園をなくしてほしいと依頼されたのだという。男性は伐採した木を自分の所有する土地に植え直すためにできる限り持ち帰っていた。

スザナ・フェレイラ

ジャーナリスト、作家、博士候補生。現在は大西洋世界における国境と帰属をテーマにした初の著書を執筆中。

取材をした自治体政府の代表者たちは、デジタルノマド村が惹き付ける若い労働者は地域にとって貴重で歓迎される存在だと断言した。しかし、ポンタ・ド・ソル行政区議会議長のジョアン・カンパナーリオに話を聞くと、そんなノマドには実際まだひとりも会っていないという。デジタルノマド村を始めたゴンサロ・ホールでさえ、ポンタ・ド・ソル行政区議会議長のジョアン・カンパナーリオの事務所の向かいにコワーキングスペースを設置する際に挨拶をすることもなかった。それでもカンパナーリオは、「ノマドたちにはぜひこの地にいてほしい」と語った。

ポンタ・ド・ソル市議会議長のセリア・ペッセゲイロは、コロナ禍でのノマドの到来を「曇り空から差し込む一筋の光」と表現した。数カ月の間あまりにも静まり返っていたこの小さな村で、バックパックを背負ってサンダルを履いた若者たちが物珍しげにふらふらと歩いているのを見つけると嬉しくなったという。

ホールはマデイラ自治政府主席のアルバカーキを「CEOのような考え方をもつ」政治家だと賞賛した──ほかの人々にとって空き家・空きビルでしかない場所に彼は投資の機会を見出すのだと。ペッセゲイロとの関係も友好的だが、彼女には同じような考え方がないことにがっかりしている、とホールは漏らした。ホールは計画のどの段階でも市および行政区の自治体とほとんど関与していなかったが、それでもサポートのなさを感じていた(例えば、ホールがビーチのそばに運動器具を設置してほしいと頼むと、ペッセゲイロは驚いた様子で「そんなスペースはありません」と説明したという)。

わたしがその件についてペッセゲイロに聞くと、彼女は一呼吸おいて、慎重に言葉を選びながら答えた。「この地は訪問者や新たな住人を受け入れる準備ができています。新たにやってくる人には、すでに人が住んでいるところに来たのだという感覚をもってもらい、住民たちと仲良く暮らしてほしいです。どんなかたちでも、この地を故郷とする人たちに疎外感を抱いてほしくはありません」

そんな疎外の実態が最も顕著に表れているのが住宅市場だ。ポンタ・ド・ソルの住宅価格はこの1年で30%上昇し、ほぼ同時期にマデイラ島全土の賃貸住宅の空室率は42%減少している。最低月給723ユーロ(約10万5,000円)のこの地域で、売りに出されている賃貸物件の3分の2近くは家賃1,000ユーロ(約14万5,000円)を超える。中心都市フンシャルの家賃はさらに高く、その小さな街よりも価格の高い地は国内で首都のリスボンしかない。現在、マデイラ島の住民にとって給与に占める家賃の割合は国内屈指の高さだ。

また、マデイラはポルトガルで最も公営住宅が密集しており、その密度は全国平均の2倍だ。5,000世帯が居住支援の順番待ち状態にあり、対応策として地方政府はさらに安価な住宅の建設を発表している。フンシャルの野党政治家エドガー・シウヴァは、この街では労働者階級の暮らしの中心地が破壊されていると嘆きの声を上げてきた。地元のニュースで彼は、天井知らずの住宅価格上昇が地元の人々を郊外に追いやり続ける「歪んだ社会的分離メカニズム」を強く非難した。

最近にリスボンを訪れたペッセゲイロは、街の象徴と言える地域から住民がいなくなり、歴史地区から生きた記憶が失われていく状況を目の当たりにした。そしてポンタ・ド・ソルの個性を守るための対策として、古い家屋の改修や廃屋の修復、相続した土地での家屋建設など、地域に根ざした方法での世帯支援を提案した。「居住支援は、人々をその地にとどめ、住む場所を追われていると感じさせないための根幹となる政策です。そうしてバランスを取るのです」

世界で最も経済的に住みにくい街

リスボンは、世界に向けた大々的な誘致が──少なくとも、お金があって互いに渡航の壁が低い地域への誘致が──、どの基準に目を向けるかによって大成功にも大失敗にも見えることを示す事例である。2008年の壊滅的な経済危機によりミレニアル世代の国民40%が失業すると、ポルトガル政府は海外からの投資を呼び込むため、09年に非常住者(NHR)税制を、12年にゴールデンビザ制度を導入した。

ポルトガルの人々の給与水準は欧州のうちほぼ最低で、労働時間は最長に近く、所得税は最高に近い。月収1,500ユーロ(約21万8,000円)ならその3分の1近くは税金として失われ、年収75,000ユーロ(約1,090万円)を超えるとスライド制のもと税率は最高48%になる。一方、NHR制度の適用を受ける外国人居住者が支払う税金は10年間一律20%だ。また、25万ユーロ(約3,600万円)以上の投資と引き換えにポルトガルでの居住資格を与えるゴールデンビザ制度は、雇用創出への道筋を開くものとして期待された。21年の監査結果によると、過去9年間にポルトガルが発行したビザの90%以上が不動産購入を目的としたものだった。

22年には投資要件が引き上げられ、リスボン、ポルト、ポルトガル沿岸部の居住用不動産購入におけるゴールデンビザ発給に制限が課された。だが、自治領であるマデイラにそのような制限はない。また、マデイラには外国からの投資を呼び込むための独自の税制があり、特に法人税率は5%と非常に競争力が高い。しかし欧州委員会が実施した複数の調査によると、マデイラの減税措置はEUの規則に反して企業に違法な利益をもたらしており、さらに国内で最も失業率の高いその島の住民は明確な恩恵を得られていない。それら企業が島で生み出していると主張してきた雇用の多くは、実際には島外、さらにはEU圏外で調達した人材であり、実在しないものさえあったのだ。

また、ポルトガルは積極的な観光キャンペーンで海外からの消費も呼び込もうとしてきた。22年、ポルトガルの観光収入は過去最大となった。その夏、首都リスボンの有名な電気式トラム28番にはインスタ映えを狙う観光客で長蛇の列ができ、公共交通機関としての機能は完全にストップした。政府は観光産業が失業率の低下に貢献しているとするが、そうしたサービス業における新規雇用の大半はあまりにも不安定なのが現実だ。

観光ブームおよび横行する不動産投機により、リスボンでは間に合わせの法的保護しか受けられていない賃借人の立ち退き問題が続いている。2014年から16年にかけては一日あたり5世帯以上という大量の立ち退きがあったが、22年に全国賃貸デスクが発表した報告書によるとその数は再び増加傾向にあり、過去1年間で36%増加した。一部の活動家団体は、違法な立ち退き要求が問題をはるかに大規模化していると指摘する(高齢の借主に対する所有者による脅迫行動がいくつも記録されており、非公式住居の強制撤去も行なわれている)。

現在、アルファマやモウラリアなどの歴史地区があるサンタ・マリア・マイオール行政区では住宅の61%がアロジャメント・ローカル物件として登録されており、つまりはかつて家族が暮らしていた家の大半から家主がいなくなっているということだ。22年、リスボン市議会はアロジャメント・ローカル物件の新規登録を停止し、最高裁判所も居住用建物の短・中期賃貸を制限するという異例の判決を下した。それでもなお、不動産投機は甚大な被害を生み続けている。この1年、リスボンは世界で最も経済的に住みにくい街という不名誉なランキングの第3位に入っており、2位はロンドン、4位は同じくデジタルノマドのホットスポットとして苦しむメキシコシティだ。

歓迎される者とそうでない者の差

「『リスボンはとんだ嵐に見舞われたな』と友人たちは言います」と、居住権擁護団体アビタ(Habita)のメンバーであるアントニオ・ゴリは語った。「しかし、あれは嵐ではありません。政治的決定の産物です」

ポルトガルの元観光副大臣で現在は労働・連帯・社会保障大臣を務めるアナ・メンデス・ゴディーニョは、7年前から外国人リモートワーカーの短期的および長期的な誘致に注目してきた。毎年開催される大規模なテックカンファレンス「Web Summit」の開催地を2016年にリスボンに移転したことは「とても重要なターニングポイント」だった、とゴディーニョは語った。さらに彼女は内陸地域に数十のコワーキングスペースを開設し、同地域への移転を奨励する金銭的インセンティブ供与の対象を、当初のポルトガル国民のみからあらゆる国籍のリモートワーカーへと拡大した。

21年のWeb Summitでは関心を寄せたリモートワーカーからのメールに自ら返信することを約束し、22年度サミットの開催数週間前には政府が「デジタルノマド・ビザ」と広く呼ばれる新たなビザの導入を発表した(このビザは最長5年間更新可能で、5年というのは永住権の申請が可能になる滞在期間でもある)。「いまこそ絶好のタイミングであり、ノマドたちにポルトガルを生活拠点として選んでもらうための最高の条件が揃っていると感じます」とゴディーニョは言う。

外国人リモートワーカー受け入れを支持する人たちがよく言うのは、ポルトガルには人が必要だということだ。その理由として挙げられるのは、農村部の過疎化と、ポルトガル史上最も高水準の教育を受けた世代であるミレニアル世代が経済危機の影響で大量に国外に出てしまった頭脳流出である。いずれの場合にもほとんどの人が職を求めて出ていったのだから、リモートワークがすべてを解決するはずだと支持派は主張する。

ホールは自身の人口増加計画を「ファネル(漏斗)」と表現する。つまり、まずは広くノマドを引き付け、そのなかから家を買って定住する人が出てくるよう誘い込むというものだ。ノマドハブ紹介サイトの先駆けである「ノマド・リスト(The Nomad List)」を運営するピーター・レベルズは最近、ポルトガルでリモートワーカー向けの住宅コンサルティング事業を立ち上げた。その売り文句は、「外国人が住み、働き、お金を使うことが経済回復のためにどうしても必要な」国の姿を描いたうえで、その地で使わずに済むさまざまなお金を列挙する──所得にも、暗号資産にも、配当金にも、金持ちであることにもいっさいの税金はかかりません、と。

島のビジネスインキュベーターであるスタートアップ・マデイラは、旅するリモートワーカーたちは全体として毎月150万ユーロ(約2億1,800万円)をマデイラ島に注入しているとする。一方、21年に移民がポルトガルの社会保障基金に貢献した額は13億ユーロ(約1,900億円)である。それでいて、これらの外国人労働者の多く、特にブラジル、カーボベルデ、アンゴラ、ネパール、バングラデシュ、ベネズエラ出身の移民労働者は、ノマドのように歓迎されてはいない。これら移民に対する人種などに基づく差別、国家警備隊による拷問の疑い、人身売買、アレンテージョ地方の農地で行なわれる紛れもない奴隷労働などを見れば、歓迎される者とそうでない者の差はこれ以上ないほどあからさまだ。

UberやAirbnbが「シェアリングエコノミー」の革新者であるとのブランドを自社に背負わせて規制を逃れたように、「デジタルノマド」をめぐる官民による大げさな盛り上がりは移民の格差を放置する隠れ蓑になっている。

デジタル炭鉱のカナリア

わたしが話を聞いたマデイラ島の人たちはほとんどみな、リモートワーカーの滞在先および定住先として島が急に人気を集めたことについて何かしら言いたいことはあるようだった。しかし、マデイラは小さな島だ。国を長く支配した独裁政権の記憶はいまだ住民の心に影を落とす。また、誰もが政府や観光業界で働く人を知り合いにもっているようだった。ほとんどの人は、当たり障りのない内容を含めすべてのコメントをオフレコにするか、身元を伏せてほしいと言った。

タバコ休憩中だった教師たちは外国人が新しいデジタルノマド・ホテルに1,700ユーロ(約25万円)近い賃料を払うことに呆れた顔をし、ある農家は近くの丘に外国人所有の賃貸物件がいくつもあることを話し、若い医師は新しい人たちがもたらすエネルギーは好きだが変化のペースが速すぎると嘆き、フンシャルに住むある女性はノマドたちがTinderに殺到したことを笑って「生殖ノマド」と呼んだ。

「ノマドにしか部屋を貸したくない、とはっきり言う人もいます。このプロジェクトにおいて最悪なことかもしれません」と、ポンタ・ド・ソル近くの小さな町のある住民は不満を漏らした。また別の住民は、毎年山火事が起きるカリフォルニアから逃れてきた米国出身の友人がポンタ・ド・ソルの丘の上に建つ質素なアパートを800ユーロ(約12万円)で借りていると話した。彼女によるとその家賃は数年前の2、3倍だという。

「そういう人の多くは、気候変動、不動産投機、英国のEU離脱など、何かから逃げてきた人です」と彼女は言った。そうした移住者にとってマデイラ島は避難場所になるが、一方でマデイラの若者たちには逃げ場がないと彼女は嘆いた──ベネズエラにも英国にも、もちろん本土にも逃げられないのだと。

社会学者のビバリー・ユエン・トンプソンは、各地を放浪するリモートワーカーを「デジタル炭鉱のカナリア」と表現する。自由、レジャー、楽しければいいさという楽観的なイメージ(例えばマデイラのSlackチャンネルで政治的な話題は禁止されている)の裏で、彼/彼女らのライフスタイルの根底には、不確実性、不平等、政府からも職場からも見捨てられている状況が存在するとトンプソンは述べる。ノマドたちは「強力なパスポートと資源」をもっているが、「よその土地と同じくらい快適に自分の土地で暮らすのには充分でない」と彼女は指摘する。

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IMAGE: KYLE JEFFERS

よりよい生き方について声高に主張するわりに、国際的にノマド界を率いる人たちがノマドを受け入れる側のコミュニティにとっての損失を考慮していない様子には驚かされる。まるで、人々が生活するコミュニティはノマドが生きるための背景という抽象的な役割さえ果たせばいい、とでも言うかのようだ。そこは森ではなく、材木(マデイラ)の集まりなのだ。

22年4月、急速に高級地区化が進むリスボン東部の行政区ベアトの路上で、警棒を手にした警察官50人が集団立ち退きに抗議する女性と子どもたちの体をつかんで殴打する映像がSNSに出回った。その数週間後、ベアトの臨海地区に建てられた新しい“ユニコーン企業生産地”こと巨大な「クリエイティブ・ハブ」では、リスボンの住宅危機に対する革新的な解決策を見つけるためのハッカソンが開催された。優勝した解決策はブロックチェーンだった。

22年前半に取材をしたとき、ポルトガルにおけるデジタルノマドブームの立役者たち──ホール、スタートアップ・マデイラCEOのカルロス・ソアレス・ロペス、ゴディーニョ大臣、観光局長のルイス・アラウージョ──は、ブームが長期居住者にもたらしている影響を認めようとせず住宅問題は別物だとして片付けるか、あるいはノマドとの共生を解決策として挙げるかだった。しかし、悪影響が増大するにつれて世間の批判は無視できないものになってきた。

同年秋、ポルトガルのメディアは学生が住む物件の深刻な不足を伝え、長年学生が利用してきた部屋の8割がすでに貸し出されているせいでやむなく学校をやめたり食料庫で寝泊まりしたりしている大学生の実態を次々と報じた。11月には当時のポルトガル観光担当副大臣リタ・マルケスが、「わたしたちは自らの成功の犠牲者です。それはデジタルノマドと観光についても言えることです」と認めた。

現在、ホールは地元の人々にとっていくらか「短期的な痛み」があることを認めるが、それに見合うだけの見返りはあると主張する。マデイラ島でのデジタルノマド村立ち上げから間もないうちに、ホールはポルトガル国内のほかの地域の自治体にも村のモデルを売り込み始め、その後にカーボベルデ、最近ではブラジルにも狙いを定めている。

さらにビジネスパートナーのデイヴ・ウィリアムズからノマドXのブランドを買い取って急速に拡大する自身の各プロジェクトをその傘下に収め、21年夏には妻および友人たちとデジタルノマド協会ポルトガル(Digital Nomads Association Portugal)という非営利団体を立ち上げ、すぐに代表に選出された。自分のモデルがあれば各地域が抱える問題を「修復」できるとホールは考えている──おそらくカーボベルデは10年、ブラジルはそれよりもう少し長くかけて。

「発見の時代の再来」

ポンタ・ド・ソルでは、メリッサ・カブラルが宣言通りデジタルノマド村に戻ってきた。あの日のグループランチの数週間後、彼女のもとにスタートアップ・マデイラから電話があり、コミュニティマネージャーとして一時的にパートタイムで働かないかと提案してきたのだ。そうして彼女はマデイラ島民として初めて、ポンタ・ド・ソルに新しくやってきた人たちの案内、イベントの企画、日々の運営を担当することになった。7月に働き始めたとき、5カ月前のランチで熱心に迎えてくれた人たちのうち、その地に残っていたのはひとりだけだった。

カブラルは島に住む友人や知り合いに声をかけ、イベント参加や無料のコワーキングスペースの利用を呼びかけたが、多くの人は単に興味がないのだということがすぐにわかった。弟でさえ、彼女が毎日張り切って開いているコワーキングスペースへクルマで連れていってあげると誘っても、家で仕事をするほうがいいと言うのだった。コワーキングスペースや絶え間なく開催されるイベントに魅力を与えているのは、「デジタルノマドはあまり家で過ごさない」という事実そのものなのかもしれない、とカブラルは思った。

この数カ月、さまざまな国からポンタ・ド・ソルにやってきた人たちのそばで働くことで活力を得てきた彼女だが、デジタルノマド村に地元の人をもっと参加させようという考え方は変わった。「ノマドとそうでない人とはライフスタイルが違うんです」とカブラルは言った。

わたしはポンタ・ド・ソルのパブリックガーデンについてペッセゲイロから聞いた話を思い出した。当初は温室育ちの植物を買って植えていたが、現地の気候条件になじめずすぐに枯れてしまったという。しかし、「島民のみなさんが自宅の庭の植物を提供してくれたんです」と彼女は言った。すると、ガーデンには植物が豊かに育った。ガーデンも、そしてこの町も、観光客に見せて写真を撮らせるためだけに美しく整えるということはできないのだ、とペッセゲイロは強調した。

ポンタ・ド・ソルで過ごす最後の午後、わたしはSlackで企画されたハイキングに参加した。この地域で最も古い水路のうちのひとつ、レバダ・ド・モイーニョ沿いを歩くルートだ。わたしたちはノマド通りを上り、鮮やかな色の家々を豊かな花壇が縁どるカラフルな界隈を通り過ぎ、丘の上にある大きなピンクの建物、エスメラルド邸の陰で一休みした。1400年代、フランドル地方の砂糖王であったジョアン・エスメラルドは、富をもたらす広大なサトウキビ農園をここから管理していた。

ポルトガルの政治家たちは自国の現在の人気と過去の栄光をしばしば重ね合わせる。しかし残念ながら、そこで語られる歴史は残酷な現実から切り離され、得られるはずの教訓はまるで損なわれている。「15世紀のときと同様、マデイラが入り口となり、プラットフォームとなって、発展をもたらしグローバル規模のビジネスを育むのです」と、マデイラ諸島の経済担当長官ルイ・ミゲル・バレートは22年の講演で語った。Zoomでゴディーニョに話を聞いたときには、「発見の時代の再来です」と何の皮肉もなしに言っていた。「500年前のポルトガルは海を通じて世界を発見したと言えるでしょう。そしていま、ポルトガルはデジタルの世界で発見されつつあるのです」

15世紀、植民地だったマデイラ諸島では商品作物の栽培が世界で最もめざましく拡大し、強欲な農地拡大のために多くの森林が伐採されたが、数十年後に砂糖の値崩れが起きると島の農園ブームは崩壊した。環境歴史学者のジェイソン・W・ムーアは、この資本主義的な実験計画には始めからさまざまな国が関わっていたと指摘する。ポルトガル本土からの入植者は木材を運んでサトウキビを植え、一方でカナリア諸島やアフリカ沿岸部から連れてこられた奴隷は山腹の水路建設という危険な仕事に従事し、フランドルやジェノヴァから来た銀行家や商人は作物を流通させて利益に換えた。ジョアン・エスメラルドの近しい友人だったクリストファー・コロンブスもそのひとりだ。この諸島に滞在中、コロンブスは砂糖ビジネスから海洋探検へと軸足を移したのだった。

この時代のマデイラは奴隷制を基盤とした島嶼型プランテーション経済の初期の実験場であり、一部の学者は「グローバル人種資本主義」発祥の地と呼んだ。しかしわたしが訪れたとき、この島が歴史のなかで巨大な役割を担った痕跡はまったく見られなかった。フンシャルにあるコロンブス記念館を兼ねた砂糖博物館でも、「奴隷化」「奴隷」「奴隷制」「搾取」という言葉はひとつも使われていなかった。そこから数分先の港からは、コロンブスが乗っていた「サンタマリア号」を模したクルーズ船が1日2度、南海岸をめぐるツアーに出る。35ユーロ(約5,000円)の料金でその船に乗れば、偉大な探検家が新世界の隅々までを探索して周ったときの気分を体験できるとツアー会社は約束する。

WIRED/Translation by Risa Nagao, LIBER, /Edit by Michiaki Matsushima)