畑中章宏|AKIHIRO HATANAKA

1962年大阪生まれ。民俗学者、作家。著作に『柳田国男と今和次郎』〈平凡社〉、『災害と妖怪』〈亜紀書房〉、『21世紀の民俗学』〈KADOKAWA〉、『死者の民主主義』〈トランスビュー〉、『五輪と万博』〈春秋社〉。2021年5月に『日本疫病図説』〈笠間書院〉、6月に『廃仏毀釈』〈筑摩書房〉、10月に『医療民俗学序説』を上梓。最新刊は『忘れられた日本憲法』〈亜紀書房〉。

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編集者・花森安治

衣食住のあらゆるジャンルの商品を実際に使用し、そのよしあしを試験する「商品テスト」で知られた雑誌『暮しの手帖』の歴史は、戦後すぐに始まった。日本読書新聞で挿絵の仕事をしていた花森安治と、同紙の編集者だった大橋鎭子が1946年に「衣装研究所」を設立し、雑誌『スタイルブック』を創刊。その後継誌として48年9月に季刊『美しい暮しの手帖』が創刊された。同誌は53年12月の第22号から現在の『暮しの手帖』に誌名が変更される。

衣食住を豊かにするための実用的なテーマを中心に据えたこの雑誌は、1954年の第26号からその後の目玉企画になった商品テストを開始。ほかにも「戦争中の暮しの記録」などの企画を生み出した。

「わざとらしさ」という問題

『暮しの手帖』の創刊編集長であり、1978年1月の死の直前まで、誌面デザインや取材、表紙画までを手掛けた花森安治は、生活とデザイン、日用品と機能といった課題について実践的に考えた人物だった。

1911年神戸市生まれ、旧制松江高校を経て東京帝国大学文学部美学美術史学科に入学し、『帝国大学新聞』の編集に参加。化粧品メーカーで広告をつくっていた画家・佐野繁次郎と出会い、その仕事を手伝うようになる。大学卒業後、召集を受けて旧満州に赴き、除隊後は大政翼賛会の宣伝部に勤め、戦時下の広告宣伝にかかわった。

『美しい暮しの手帖』を創刊した花森が最も精力的に取り組んだのが、女性の衣裳、ファッションにかんする提案だった。同誌の創刊号から8号(1948年9月~50年7月)に連載したものに加筆・修正し刊行された『服飾の読本』(1950年)は、花森のデザイン観の原点をうかがい知ることができる。例えば花森はこんな設問を立てる。

新しい服を着たらそれで満足なのか、それとも美しくなりたいのか。このふたつの問いは同じように考えられているが、決して同じことではなく、むしろ白と黒、右と左ぐらいの差がある。そのことがわかっていないと、大きな混乱が起ってくる。

「人間である」ということを除いては、なにもかも、といっていいほどちがっている外国のデザインを、そっくりそのまま身につけようとするやり方、いわゆる猿真似、ここから「わざとらしさ」のひとつが生れて来る。
自分の毎日の暮し、この日本の現状というものを考えてみないで、形だけ上べだけ新しいものを追っかけるやり方、ここからも「わざとらしさ」が生れて来る。

花森はここで、美しくなるために装うのであり、美しくなるためには、「わざとらしさ」が邪魔をしていると指摘する。そして「わざとらしさ」の問題は、個々のデザインの技巧、線の構成や配色といった一般的には大切に考えられている事柄と比べても決して劣らず、むしろそれ以前に、大切にしなければならない大きな問題であるというのだ。

日本人の「色」

花森は、戦後数年経った銀座あたりの風俗を眺めていると、色の感覚の大切なことについて、つくづくと考えさせられたという。「黄色い」と言われる日本人の皮膚の色は、不思議な色であり、また美しい色である。日本人の血が流れている限り、日本人の皮膚の色はたとえようもなく心に迫る色である。しかし、皮膚の色に代表されるような日本人の「色」を日本人は自覚し、生かそうとしていないのではないか。それどころか日本人は、「本来が、色については、感覚が低いのであろうか」と花森は疑問を抱く。

配色は感覚である。
日本人の髪のいろ、ヒフの色、眼の色、唇の色。それを、ふしぎと思い、そのふしぎに打たれ、そのふしぎを愛しむこころから、配色の感覚は生まれる。
しょせん美しくありたいための配色であるなら、日本人の、われとわが身の体のいろを、愛しまない心から、その感覚は生まれようわけがない。(『服飾の読本』1950年)

花森の、こうした「色」の美、「配色」への関心は、当時のデザイナーに対する批判になっていく。世の中にはデザイナーになりたがっている人が数多くいるが、そういう人たちのなかでひとりでも、上のような問題を真剣に考えて、デザインしている人がいるだろうか。デザイナーたちは、女性の暮らしのかたちがどう変わっていくか、どう変わっていかなければならないかも知らず、人形を飾るように、あるいは舞台で人の目を驚かせるためだけに、「あの線がどうの、この色がどうの」と囃し立てているだけではないか── 。

花森はこうした苦言を、外国のデザインに手を加えて世に送り出している日本のデザイナーだけに向けているのではない。フランスや米国のデザイナーたちによって、「これが秋の流行でございます」、「春の流行でございます」といってつくり出されていく、現在のデザインのどこに、女の暮らしについての深い考えと思いやりが見られるというのだろうか。世界の流行をつくっているデザイナーたちは、どこか間違っていると花森は訴えるのだ。

デザインと芸術

『続服飾の読本3』(1951年)で花森は、着る物のデザインは芸術ではない。少なくとも美術や音楽などのような純粋な芸術ではないと述べる。着るものは、わたしたち人間が暮らしていくための道具であり、暮らしの道具である以上、暮らしの実体を忘れて、美術や音楽のように「線の美しさ」、「色の美しさ」、「リズム」、「ハーモニー」などだけを追求することは見当はずれであり、おろかなことであると言う。

暮らしのなかの道具のデザインは、その暮らしに役立ち、その暮らしを高めるのでなければ、どのように造型的な美しさをもっていても、何らの価値はない。特に、肌からひとときも離せない着る物のデザインが純粋な芸術だと考え違いされ、美しいとか美しくないとか騒がれるのは不幸であり、また迷惑である。

着る物のデザインが芸術ではないことは、建築や工芸のデザインが芸術ではないのと同じで、建築家が芸術家だと思い、工芸家も芸術家だと思い、「仕立屋」までが芸術家だと思うことは、笑ってすまされることではない。こうした愚劣な「喜劇」によって、わたしたちの暮らしがでたらめにふり動かされていくのは、むしろ、大きな「悲劇」ではないか。このように花森は、服飾、衣裳を芸術と見なすことに激しく抵抗し、批判した。

商品テストの思想

雑誌『暮しの手帖』の名を高からしめたのは、何よりも「商品テスト(日用品のテスト報告)」によってである。この企画は1954年から2007年まで続き、アイロンやオーブントースター、自転車、ミシン、ベビーカー、炊飯器、洗濯機、電球、運動靴など、約250種の商品をテストし、その結果を報告した。「商品テスト」の第1回目のテーマはソックスで、子ども用の靴下22種類を比較検討した。小学5年生、中学1年生、中学3年生の女子に対象となる靴下を3カ月間毎日はかせ、洗濯の方法や回数も統一したうえで、穴開きや、色落ちなどをレポートしたのである。

「商品テスト」でよしとされた商品は売り上げを伸ばし、批判された商品は売れ行きが鈍った。そのため、メーカーから商売の邪魔だと注意・忠告されることも少なくなかった。一方で「商品テスト」は商品の品質向上にも役立っている。1960年の第57号に掲載された石油ストーブの回で、国産ストーブの性能の悪さを厳しく指摘したところ、各メーカーは改良を重ね、石油ストーブの品質が向上していったという。

「プラットフォーム・コーポラティビズム」と新しいコモンズ

津野海太郎は『花森安治伝──日本の暮しをかえた男』(2013年)のなかで、敗戦の翌年に花森と大橋がつくった会社が「衣裳出版社」ではなく「衣裳研究所」だった点に着目する。そして、日本人の暮らしを考えるための機関を研究所としたのは、1936年に米国で発足した消費者運動組織「コンシューマーズ・ユニオン」を意識してのことではないかと津野は推論する。

コンシューマーズ・ユニオンには「全米テスト研究センター」があり、また『コンシューマー・レポート』という月刊誌を発行していた。また、『暮しの手帖』が広告を掲載せず、企業からのテストサンプルや商品の提供を拒み続けたことも、コンシューマーズ・ユニオンにならってのことではないかというのだ。

現在、世界的な巨大プラットフォーム企業に対する課題から生まれた「プラットフォーム・コーポラティビズム」という概念がある。シェアリングエコノミーという大きな枠組みを、サービスを提供するシェアワーカーから、サービスを利用するユーザーまでを含めてフェアに考え、民主的に運営しようという考え方である。

ワーカーとユーザーが共同で新たなコモンズをつくり、生産における自治と相互扶助を取り戻そうとするプラットフォーム・コーポラティビズムにおいて、商品テストに込められたオルタナティブな価値の表出は、未来のコモンズを支える思想につながっていきはしないだろうか。

InstagramやTikTokなどに流通するある意味“民主的な”商品レビューは、商品テストの後継であるように見えて、インフルエンス力を高める手段になっていたり成果報酬型広告に結びついていたりもする。そうした歪みを超え、既存のサービスや構造を受け入れるのではなく、コモンズごとに議論を進めて共通のゴールを目指していくことが求められているのである。

*花森安治『服飾の読本』からの引用は『花森安治選集1』(筑摩書房)をもとにした。

Edit by Erina Anscomb