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● この状態はいつまで続くのだろう?
● あの努力は時代遅れなのか?

10年前、ぼくは100ポンド(約45kg)ほど体重を落とした。プログラム言語pythonのDjangoというフレームワークを使用して、カスタムコンテンツ管理システムを構築するという、ウェブオタクっぽい方法でそれを成し遂げたのだ。毎日、摂取カロリー、運動で消費したカロリー、体重、思ったことなどを入力した。やがてそれが日課になった。グラフを作成し、さまざまな種類の運動の結果を比較した。そのすべてをOne Huge Lesson in Humilityで公開した。

とても効果的だった。人生で初めて、医者がぼくを見て嬉しそうな顔をしてくれたし、周囲の人々も(ぼくの変化に)気づき、「これってオープンソースにする予定ある?」と尋ねてきた。もちろんそのつもりだった。それに、科学者たちが研究を重ねるなかで、体重を減らしてもたいていの人はリバウンドし、さらに体重が増えてしまうという結果を得ていることも知っていた。一方、ぼくが惨めな食生活に戻ることなどありえなかった。ぼくにはシステムがあり、PostgreSQLデータベースがあるのだから。やがて、デパートで通常サイズのズボンを買うまでになった。その後、どうなったか?

ポール・フォード

ライター、プログラマー、ソフトウェアの起業家。ブルックリン在住。

明らかに遺伝が要因だった(おじが亡くなった際に誰かが「ああ、この葬式の“重さ”はどのくらいだろう?」とつぶやいていたのを覚えている)。医療専門家が、病的な肥満と呼ぶぼくの状態(「病的」という言葉はリマインダーとして役に立つ)は、見たままの状態だが、それはぼくという人間に付随する現象であり、果てしなく奥が深い。文字通り、ぼくは満腹感を得ることがないようだ。実際のところ、日に何度も、パントリーから、自動販売機から、あるいはパーティーの席上で、身体が手っ取り早くカロリーを摂取しようと食べ物に手を伸ばすのを恐怖におののきながら見つめている。そして「やめろ!」と叫びながら、やはり食べ物に向かって手を伸ばし続けてしまうのだ。

あなたはこう言うかもしれない。そんなばかな! 10年前の、あのときの意志の力はどうしたんだ、と。世間には「暴食」──もう少し穏便な言い回しをする人もいるかもしれないが──という罪がある。ぼくに言えるのは、努力はした、ということだけだ。カロリー追跡アプリをダウンロードし、食べてはいけないことをリマインドするために15分ごとに携帯のバイブが鳴るよう設定した。お金を払ってセラピストのもとで行動改善のトレーニングを受け、胃のバイパス手術について調べ、自転車に乗り、専門家と話し、ラディカルな自己受容を試みた。どれも効果はなかった。そして、文化が飛行機の座席を小さくし続ける一方で、科学はぼくをこう納得させた──人間は満腹の奴隷なのだと。胃のバイパス手術でさえ、効かない人が大勢いる。

肥満と健康を両立させることは、世間一般で思われているよりも難しくはないし、ときどきはぼくも成功したけれど、やはり健康が損なわれているようで、キャビネットには処方箋が積み上がっていった。そのうちぼくはその状態を受け入れ、(肥満で)自分が死んだ際には、棺の担ぎ手が余分に必要になるかもしれないなと考えたりすることもあった(ぼくにもそのくらいの冗談は思いつく)。肥満をのぞけば、悪くない人生だと思う。子どもたちのためにお金を貯め、毎日、自分自身の孤独なパズルを解こうとしては失敗を繰り返した。

Zoomで受診をしたある日、担当の内分泌専門医がぼくのHbA1Cを測って血糖値を検査し、週に一度のオゼンピックを処方した。これはインスリンの生成を促す注射で、2型糖尿病患者のインスリン注射に代わる優れた方法だ。この薬の副作用には、消化が遅くなることや、膨満感が含まれる。減量目的で処方されることが多くなったので(それに多くのハリウッドのダイエットにも登場するので)、この薬のことは耳にしたことがあるかもしれない。ぼくはしばらくその注射を続けたおかげで体重が数ポンド減った。もちろんありがたかったが、しかし満腹を求めるサイレンが鳴りやむことはなかった。

「もし」とぼくの担当医は言った。「オゼンピックで体重が減らないなら、マンジャロを試してみましょう」。このひどい名前の薬は、2022年5月に米国食品医薬品局(FDA)に承認されたものだ。こうしてぼくはつぎの薬へと、ノボノルディスク社からイーライリリー社へと、それが何であれ試したのだった。
 

この状態はいつまで続くのだろう?

「何かが起こった」。身体を治そうとするぼくをこれまでずっと見守ってきた彼女にそう言った。以前は脳内で空爆ほどの大音量で鳴りっていた叫び声が、突然やんだんだ、と。ぼくは戸惑った。この状態はいつまで続くのだろう?

その夜、昔ながらの中華料理店へひとりで行き、鶏の甘酢あんかけを注文した。そしてブロッコリーと鶏肉を数切れ食べたところで、こう思った。ベタベタしすぎている。ぼくは料理を残して店を出ると、ある種の夢遊病者のように、混乱したまま家に向かった。小さな食料雑貨店を通り過ぎ、肩をすくめる。職場では、キャンディーなどのお菓子の山をとくに興味もなく眺めた。

数十年にわたる葛藤が、跡形もなく消えていた。どうやらマンジャロ分子は、オゼンピックと同じホルモンのほかに、別のホルモンもターゲットにしているようで、インスリンの生成だけでなく、エネルギーの放出にもひと役買っていた。

ぼくは「すぐにでもアナログシンセサイザーが必要だ」と思った。かつて食料がいた場所の沈黙を埋める何かが。それから何週間も、毎晩のように4~5時間ずっとシンセのつまみをひねっていた。音楽をつくっていたわけじゃない。ただ、ドローニングやルーピング、ビープ音を繰り返していた。何かに熱中し、それに関するYouTube動画を見る必要があったからだ。毎晩挑戦しては失敗し、正常であることを感じることが要だった。

ぼくは躁状態で、調節不全で、毎晩5時間睡眠で、せかせかと動き回り、話が止まらなかった。友人は(体重が減ったことは)喜んでくれたが、戸惑ってもいて、ぼくのことを「コカイン・ポール」と呼んだ。ぼくはクレイグスリスト(コミュニティサイト)でさらに何台かのシンセサイザーを購入すると、1,000ドルの現金をもって、出品者の男性とブルックリンのブッシュウィックで落ち合った。人の身体というのは、休暇中にダイエットを開始して、8週間で25ポンド(約11kg)も減らせるようにはできていない。ピーッ、ピーッ。

安堵とともに新たな不安が押し寄せる。もしも薬が効かなくなって、いつまでもやむことのない騒音の世界に逆戻りしたら? しかもこの薬は、サプライチェーンの問題に加えて、糖尿病ではなく減量のために適応外処方をしてもらっているので、入手も困難だ。薬局で定期的に処方してもらうことはできない。計画的に使う必要がある。7日ごとの注射を8~9日ごとにして、備蓄していかなければ。

ぼくの不安は、徐々に可視化され始めたさまざまな反応──論説、テレビ番組のコーナー、この薬を使用している大半の人が体重の1/4を減らせることがなぜいいことなのかを説明する人々の様子など──に見て取れた。ソーシャルメディアでは、太った活動家の人々が、この薬がなくても、わたしたちの人生には価値があると訴えていた。こうした世論の波はこの先何年も続いていくだろう。

こうした動きは当然のことだ。これは薬だけの話でなく、薬に関する新たな考え方なのだ。ダウンロードするAPIやソフトウェアはなくとも、社会を再構築する技術なのだ。ぼくは暴食という大罪を犯した生きた化身であり、10歳の頃から貪欲で意志が弱いと言われてきた。でも、その罪がいまや洗い流されたのだ。注射という洗礼によって。一方で、数カ月前にはあった性質も消えてしまった。ぼくはベタベタする鶏肉よりもブロッコリーを好むようになった。はたして、これは自分なのだろうか?

あの努力は時代遅れなのか?

食欲や悪癖に効く注射が登場するのはいつだろう? ひょっとしたらそれらは、ぼくの注射ほどわかりやすいものではないかもしれない。欲を抑える注射を毎週自分で打つのだろうか? 大手製薬会社は、怠惰、欲望、怒り、嫉妬、傲慢さを治せるだろうか? これが、人類が気候変動を改善する方法なのだろうか──ダボスで願うのではなく、調和を注入することで? 確かにここ最近、ぼくの二酸化炭素排出量はずいぶん少なくなっている。あるいは、世界でいちばん頭のいい科学者たちを集めて、ホルモンの経路を調べ、いずれ億万長者のための治療薬をつくりだすのだろうか?

ダイエットブログのドメイン名が失効したとき、ぼくは自分の満腹に対する生物学的反応を変える技術がないことを受け入れた。すべての食事を追跡し、アプリやプログラムで解決策を検索し、コードを書き、メモを取っていた自分は、いまや時代遅れとなった。あの時間は無駄だったのだろうか? 残念ながら、そうかもしれない。それでもぼくは、栄養、運動、自分自身について多くのことを学んだし、あのときの教訓は、いまも立派に役立っている。空腹のあまりパニックに陥ることもない。

最近、ようやく躁状態が落ち着いてきた。引き続き体重は減っているものの、そのペースも緩やかになってきた。運動量も増やした。夜は、シンセサイザーを弾きながら、音楽理論の講義をオンラインで視聴している。ヘッドホンを装着し、ここ何年かの空しい努力を消化しているところだ。シンセのつまみをいじりながら、時に怒りや恥ずかしさを覚えることもあるけれど、多くの場合は感謝の念を噛み締めている。食欲が抑えられたこの状態がいつまで続き、どのように終わりを告げるのかはわからない。ただ、このことでぼくたちの生活は再び一変したのだった。

WIRED/Translation by Eriko Kstagiri, LIBER/Edit by Michiaki Matsushima)