畑中章宏|AKIHIRO HATANAKA

1962年大阪生まれ。民俗学者、作家。著作に『柳田国男と今和次郎』〈平凡社〉、『災害と妖怪』〈亜紀書房〉、『21世紀の民俗学』〈KADOKAWA〉、『死者の民主主義』〈トランスビュー〉、『五輪と万博』〈春秋社〉。2021年5月に『日本疫病図説』〈笠間書院〉、6月に『廃仏毀釈』〈筑摩書房〉、10月に『医療民俗学序説』を上梓。最新刊は『忘れられた日本憲法』〈亜紀書房〉。

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「民具」の定義

民俗学者の宮本常一によると、「民具」という言葉は渋沢敬三がつくったという。

渋沢敬三は“日本資本主義の父”と言われる渋沢栄一の孫で、栄一の数多くの事業を継ぎつつ、民俗学の研究施設・機関「アチック・ミューゼアム」(現・神奈川大学日本常民文化研究所)を開いた。宮本もそこに誘われ、この機関の最も重要な研究者・調査者となった。

渋沢が1933年に書いた「アチックの成長」という文章では、「民具」ではなく「民俗品」という言葉を使っている。しかし、1935年7月に刊行されたアチック・ミューゼアムの雑誌『アチックマンスリー』の第1号では「民具」という言葉を用いていることから、渋沢のなかでは、この2年ほどのあいだにこの言葉が定着したと思われる。

「民俗品」以前には、「土俗品」という言葉もあった。しかし渋沢は、「土俗」や「土俗学」には民衆を卑下したような感情が潜んでいるため、その代わりに「民俗品」と呼ぶようになり、さらに「民具」という言葉を使うようになったようである。

「民衆の個人的意志」の反映

上記のような経緯を踏まえ、宮本が当時、極めて新しい言葉と捉えた「民具」とは、どのようなものなのか。

宮本が『民具学の提唱』(1979年)に先駆けて「民具」の定義化を試みた「民具試論(一)」(1969年)では、以下のようにまとめられている。

1 民具は民間で伝承されてきた「有形民俗資料」の一部である。
2 民具は人間の手によって、あるいは道具を用いて作られたもので、動力機械によって作られたものではない。
3 民具は民衆がその生産や生活に必要なものとして作り出したもので、使用者は民衆にかぎられる。専門職人の高い技術によって作られたものは、これまで、工芸品、美術品などといわれてきた。それらの多くは、貴族や支配階級の人びとによって用いられたものであり、民具とは区別すべきである。
4 民具を製作するのには多くの手続きをとらない。専門の職人が作っているものではなく、素人、または農業、林業、漁業などのかたわらに製作されているものである。
5 民具は人間の手で動かせるものである。
6 民具の素材になるものは草木、動物、石、金属、土などで、化学製品は原則として含まない。
7 複合加工を含む場合、仕上げをするものが素人、または非玄人である。

こうした民具の範疇の基準を踏まえて、宮本は「民具」の定義、「民具」という概念を固めていく。

例えば、化学染料や紡績加工した糸を使っても、高機(たかばた)などで手織りしたものは民具で、ビニール製品で草履をつくったり、籠を編んだり、袋をつくったりした場合も民具としてよい。その一方で、機械で量産できるバケツや磁器の食器は、手づくりではないから民具から外れる。宮本によると民具は、その製作過程で民衆の個人的意志が反映されていることが条件になるというのだ。

機能を通した「生態学的研究」

ではなぜ民具に注目し、それを掘り起こし、研究する必要があるのか。

民具の材質や形態や使用法を調べても、民具に関する知識をもつだけであり、しかも実際に使われることも少なく、過去のものになりつつあるといってよい。民具研究は民具の機能を通して、生産・生活に関する技術や、その生態学的研究にまで進むことによって意味が出てくる。そしてそれは、人間そのものを対象とした生態学的研究とも深いつながりをもつものだ。

隣接する地域ごとの民具の形態や質、製作法の変化を比較するだけでも、その中心をなす技術がどのようなものか、どう変わっていったか、なぜ変わる必要があったかを明らかにすることができる。そしてこうした研究は、地域ごとに異なる人間の生活、生態の実態に迫っていくことにもなるのだ。

このように、人間が民具とどうかかわりあったか、新しい民具が人間の生活、生態をどう変えていったかを探るために、宮本は「民具学」を提唱したのである。

民具に美術的な価値を求めていくと、この連載の第3回で取り上げた柳宗悦の「民藝」における〈用の美〉という価値観に接近する。また民具を「道具」として扱えば、現代の技術やデザインと結びつけることもできるのだろう。そうした架橋を模索するときに役立ちそうなのが、イヴァン・イリイチの『コンヴィヴィアリティのための道具』であり、ここで提起される「コンヴィヴィアリティ」という概念である。

「コンヴィヴィアリティ」という概念

産業社会の批判者として知られるイリイチは『コンヴィヴィアリティのための道具』で、産業文明が行きすぎたため、人間は自らが生み出した技術や制度といった「道具」に隷従させられている、道具を使っているつもりでも実は道具に使われているという見方を示した。

そのうえでイリイチは、「未来の道具」はそういったものではなく、人間が「人間の本来性」を損なわずに、他者や自然との関係性のなかで自由を享受し、創造性を最大限に発揮しながら「共に生きる」ためのものでなければならないとした。イリイチはそれを「コンヴィヴィアル(convivial)」という言葉に込めた。

「コンヴィヴィアル」は日本語で「自立共生(的)」と訳されることが多いが、もともとはラテン語の「convivere」に由来し、「con」は「共に」、「vivere」は「生きる」を意味する。英語では「live together」、「共に生きる」を意味する言葉である。

一方、19世紀フランスの政治家・法律家で美食家としても知られるジャン・アンテルム・ブリヤ=サヴァランは、『美味礼賛』で、異なる人々が長い時間をかけて食事を共にし、会話を交わしながら親しくなっていくことを「コンヴィヴィアリティ(convivialité)」という言葉で表した。

つまりブリヤ=サヴァランの「コンヴィヴィアリティ」には、自分とは異なる他者と出会い、そうした他者と同じ場や時間をわかち合うという、「共に生きる」といった意味にとどまらないニュアンスが含まれていたのである。

「道具」を使うのか、「道具」に使われるのか

1970年代にこの概念を提唱した際、イリイチは自転車をその象徴的な例として取り上げ、このほかにも、アルファベットや印刷機、図書館をそうしたコンヴィヴィアルなものの例だとしている。

コンヴィヴィアル・テクノロジー:人間とテクノロジーが共に生きる社会へ』(2021年)の著者であるデザインエンジニアの緒方壽人は、現代社会において具体的に例示できる「コンヴィヴィアルな道具」にはどんなものがあるかを問いかけ、イリイチをはじめとする「人間性を取り戻そうとする思想」に大きな影響を与えた、また世界を変えた道具は「パーソナルコンピューター」や「インターネット」だと答えている。

コンピューターやインターネットは、主体性を保ちながらあらゆる人の能力や創造性をエンパワーしてくれる道具だった。しかし、知らず知らずのうちに人間は再び道具に隷属させられてしまう、道具に使われているような状況を生み出している、と緒方は指摘する。

さまざまなテクノロジーに囲まれた現在のわたしたちは、コンピューターやインターネットを使いこなしているつもりで、コンピューターやインターネットに使われている状態に陥ってはいないかと疑問を呈するのだ。

民具を通した「自立共生」

緒方は、テクノロジーは自然から逃れるためではなく、自然と「共に生きる」ための道具であると同時に、他者とのかかわりを断つためではなく、他者と「共に生きる」ための道具でもあるべきだと言う。

緒方が前掲書で述べるように、「デザイン」はテクノロジーと人間のあいだにある「道具」であり、人間を動かす「力」をもつ。「デザインすること」は「人間に着目すること」になるのだ。

宮本は「人々が民具とどうかかわりあったか、新しい民具が人々の生活をどう変えていったか」を追求することが民具研究の目的だとした。これはつまり、民具の「コンヴィヴィアリティ」なあり方を追究すべきであるということだ。つまり民具のデザインは、その機能、技術、その生態学的側面を反映したものである、あるいはあるべきだという理想を宮本は抱いていたのだろう。

手づくりや自然由来の素材であるなどの定義からまったくはずれるものの、「民具は人間の手で動かせるものである」という側面を重視したとき、コンピューターやインターネットを「民具」として見ることで、「道具」性の隷属から逃れる手立てを導き出すことができるかもしれない。また「コンヴィヴィアリティ」の日本語訳である「自立共生」という考え方は、デザインすることを含めた、民具の製作過程で発揮されていたのではなかったろうか。

民俗学者・宮本常一の民具学は、こうした射程をもつものとして構想されていたのである。

*イヴァン・イリイチ『コンヴィヴィアリティのための道具』は、ちくま学芸文庫版(2015年)をもとにした。

Edit by Erina Anscomb