Content Subheads

● 真空管業界の再建のチャンス
● 「あの真空管を復刻するのはどれくらい大変だろう?」
● 次なる展開は12AX7真空管
● 真空管が秘める音の魔力
● 米国が再び真空管製造の主役に躍り出る日

テネシー州との州境に位置するジョージア州ロスヴィルは、一見すると最先端のテクノロジーとは無縁の場所だ。シャッター街やにぎやかな酒場に混じって、ジューシーなフライドチキンと甘いアイスティーを出す家庭的な食堂が並んでいるような街なのだ。物価は妥当だが犯罪発生率は高く、政治的には保守であり、人口はついに3,980人にまで減ってしまった。

だが、起業家のチャールズ・ホワイトナーは、ロスヴィルの街こそ、米国が誇る技術の結晶を復活させるための理想の地だと主張する。ただし、彼が言う「技術の結晶」とは、フォードの「モデルA」がそこかしこで走っていた時代の最先端デバイスのことだ[編註:フォード「モデルA」は1929~32年の間に米国で生産されていた大衆車]。

ホワイトナーは現在、米国最後の真空管メーカーであるWestern Electric(ウェスタン・エレクトリック)社を経営している。トランジスタに市場を奪われる以前、電流の制御に用いられたものといえば、ガラスと金属でつくられたバルブ、つまり真空管だった。

新品の真空管の検査。COURTESY OF WESTERN ELECTRIC

いまでも極上のサウンドを求めるハイエンドのオーディオ機器メーカーや、Fenderのような楽器メーカーなどが真空管を重用している。しかしいまでは、世界における供給量の大半がロシア製か中国製だ。60年代のトランジスタ時代の到来とともに両国で起きた価格破壊が、米国の真空管産業に引導を渡したのだ。

AT&Tが閉鎖した真空管事業を1995年に買い取り、復活へと導いたのが、発明家でありヴィンテージHi-Fiコレクター、そしてレッド・ツェッペリン・マニアを自称する69歳のホワイトナーだった。彼は、もともと1938年に長距離電話のために設計された「300B」という真空管を、高級Hi-Fi機器に特化したニッチな市場に投下することで、安価な海外製真空管の時代に対抗したのだ。

真空管業界の再建のチャンス

ロシアのウクライナ侵攻、そして中国とのイデオロギー対立を理由に米国が両国との貿易に規制をかけたことで、真空管の価格は一気に高騰した。それまでは10ドル(約1,400円)ほどの価格だったにもかかわらず、2022年に入ってからは100ドル(約14,000円)を超える価格帯で売買されるようになったと、音楽業界で広報に携わるダニエル・リンストン・ケラーは述べる。ロシア製の真空管が再び輸入されはじめた現在においても、その価格は高止まりしたままだ。

また、海外製品は基本的に信頼性に欠けるという問題もある。「使用に耐えうる真空管を30本手に入れたいのなら、100本は購入しなければなりません」。そう語るのは、Fenderの取締役副社長のジャスティン・ノーヴェルだ。ギター用プリアンプに使われる真空管なら、1本につきだいたい30ドル(約4,220円)が妥当だろうが、同社の基準を満たす品質のものを揃えるとなると、1本あたり90ドル(約12,700円)ほどのコストを覚悟しなければならない。

ホワイトナーは、この価格高騰を自社および米国の真空管業界の再建のチャンスとして捉えるだけでなく、真空管を再定義するよい機会だとさえ考えている。

Western Electricは現在、時代に取り残されつつあるこのテクノロジーを、21世紀に対応した近代的な真空管として新たにデザインする取り組みを進めている。具体的には、ギター用プリアンプをはじめ、さまざまな音楽機材に使われる12AX7という真空管の改良版を出そうと計画しているのだ。

12AX7の市場規模は、高級Hi-Fi用の真空管のそれと比べて10倍以上になるとホワイトナーは見積もっているが、近年は国外のサプライヤーにその市場を席巻されている[編註:「12AX7」とはWE社の真空管のモデル名/型番ではなく、そもそもは1946年にRCAが開発した真空管。ヨーロッパでは ECC83という型番がついており、22年時点ではロシア、スロバキア、中国で製造販売されている]。

現在の価格高騰を考えれば、既存のモデルよりも信頼性と耐久性に優れた製品をロスヴィルで生産し、それを低価格で供給することで、米国は真空管大国として返り咲けるに違いない──というのがホワイトナーの考えだ。

手作業による真空管の組み立て。ジョージア州ロスヴィルにあるWestern Electricの工場にて。COURTESY OF WESTERN ELECTRIC

コンピュータチップやEV用バッテリーといった、輸入に頼ることが多い重要な部品を米国内で生産する動きが拡大しつつあるいま、Western Electricも独自のアプローチでその波に乗ろうとしている。近代化された真空管を、Fenderをはじめとする楽器メーカーの需要を満たせるほど大量に生産するために、同社は新旧の機材を備えた工場の建設を進めている。

ホワイトナーは完璧主義者として有名だ。12AX7はこの夏に発売される予定のようだが、すでに何度かの遅延を重ねている。ホワイトナーの工場によって、米国がオーディオ用真空管の主要生産国になれば、ロスヴィルの街も、オーディオマニアも、ギターヒーローも、国内製造業も、何より彼自身が大きな恩恵を得るはずだが、ホワイトナーがゴーサインを出さないことには事態は進展しない。

しかし彼は、慎重な姿勢を崩すことなくこう言った。「ロシア製真空管をめぐるいまの状況は、明日にでも変わってしまうかもしれません。ウォルマートのようなこの世界で、そのリスクを無視することはできないのです」

「あの真空管を復刻するのはどれくらい大変だろう?」

米国の真空管産業が栄華を誇ったのは1920年代から50年代にかけてのことだ。RCA、ゼネラル・エレクトリック(General Electric=GE)、レイセオン(Raytheon)といったメーカー各社が競い合うようにして信頼性の高い真空管を生み出し、生産に励んだ。

アナログ時代のマイクや楽器の発する微弱な電気信号でスピーカーを揺るがすためには、その電流を操って増幅させる必要があった。しかしトランジスタが登場し、続いて回路基板が一般的になると、真空管は活躍の場を失ってしまった。そこに国外のメーカーとの価格競争も加わって、工場は次々と閉鎖され、技術者たちは職を追われることとなった。

ミュージシャンやオーディオマニアの多くはそれでも真空管を見捨てなかったが、外国製品の波に抗うことはできなかった。6L6やEL34といった1930~50年代に生み出された真空管の製造を曙光電子集団(Shuguang Electronics Group)などの新興企業が手掛けるようになり、ロシアと中国が主要生産国として台頭した。

チャールズ・ホワイトナーがキャリアブレイクを決めた1990年の米国では、市販用の真空管はいっさいつくられていなかった。しかし、1938年に開発されたWestern Electricの300Bという真空管は愛好家たちの間で人気が高く、オーディオ雑誌にはよく広告が掲載されていた。それを見て、彼は真空管づくりを思い立ったのだった。

父親の経営する製糸工場での経験を活かし、光ファイバー業界向けの品質管理システムを発明して起業したホワイトナーだったが、会社を売却するにあたって、「あの真空管を復刻するのはどれくらい大変だろう?」と考えをめぐらせていたという。「当時にして1,200ドルから1,500ドルほどで取り引きされていたんだ」

覚悟はしていたものの、やはり困難な挑戦となった。Western Electricを所有していたAT&Tは、1988年を最後に真空管製造から手を引いていたが、それでもブランドのライセンスと製造機器の譲渡について合意するのに2年という時間を要した。ミズーリ州カンザスシティのWestern Electricの真空管工場跡地に機器類が眠っていたので、ホワイトナーはそこを拠点にすることに決めた。

ベル研究所を訪ねた際、かつてAT&Tで働いていたという技術者との幸運な出会いを果たしたホワイトナーは、それからSylvania(シルヴァニア)やRCAといった真空管メーカーでの経験をもつ技術者たちを探して米国北東部を歩き回った。1996年になってようやく300Bの生産が開始されたが、当時の20人程の従業員の多くが、すでに引退していたかつての真空管技術者たちだった。

次なる展開は12AX7真空管

そうして復活を遂げたWestern Electricだったが、03年にはビルを所有していたAT&Tがその売却を決めてしまう。ホワイトナーはアラバマ州ハンツヴィルを移転の地に選んだが、それはNASAの拠点ということで熟練の技術者が多くいて、国防総省と真空管を取り引きするのにも好都合だったからだ。そして、2008年になるとジョージア州ロスヴィルに移転し、70年以上も前に設計された真空管の近代化にいよいよ着手したのだった。

真空管の陽極に原子ほどの薄さしかないグラフェンを塗布する技術を生み出したことで、熱放散が改善され、有毒ガスの発生が減少し、真空管の寿命を延ばすことにも成功した。この改良型の真空管が市場に投下されたのが2020年のことだ。ホワイトナーのかつての専門領域である品質管理は以前と比べて自動化が進み、いまでは90%以上の製品が品質検査をパスする水準になったという。

Western Electricは、2本の300Bをチェリーウッド製の化粧箱に収め、良心的な5年保証の証明書に商品説明を添えたうえで、1,500ドル(約21万円)で販売している。300Bの模倣品と同価格だが、あちらの保証期間は30日に過ぎない。真空管の保証期間は90日というのが一般的だ。

ホワイトナーは、Western Electricの次なる展開を見据えてかれこれ10年以上を準備に費やしてきたという。12AX7真空管の製造に欠かすことのできない機材や工具類を落札できたのは06年のことだ。英国のブラックバーンでつくられた機材で、落札時点ではセルビアにあった。

オークションで競合した入札者との係争にまで発展したが、当時テネシー州の上院議員だったボブ・コーカーと米国大使館とが介入したことでどうにか落札できたという。オークションに参加してから5年もの歳月が過ぎていた(コーカーは事務所を通じて取材に応じてくれたが、ホワイトナーの説明に異議を唱えなかった)。

機材は07年になって無事にホワイトナーのもとに届き、スロバキアから取り寄せられたほかの機器類と並んで工場に設置された。12AX7真空管用のワイヤー部品の加工を、手作業に頼らずに行なうための新たな機器類なども導入された。

その間も、Western Electricでは300Bの生産が続けられた。日によってモリブデン線をロッドに巻き付ける作業の音が響き、ガラス製バルブを過熱し密閉するためのガスバーナーの炎が瞬いた。

真空管が秘める音の魔力

何をもってよい音とするのか──それについてオーディオマニアの間で議論が過熱するのは宿命といえる。

メーカーごとに異なる真空管の音色を聴き分ける耳をもつ人もいれば、同じモデルでも個体差があることを感知する人もいる。どの音を聴いても大差なく感じる人もいる。しかしトランジスタや回路基板、もしくはアルゴリズムでは表現しきれない、暖かく豊かでロマンティックなサウンドが真空管には備わっているというのが一般的な認識だろう。

「真空管でしか実現しない心地よい音の歪みというものがある」と、ブルックリンのレコーディングスタジオ、Strange Weatherのサウンドエンジニアのダニエル・シュレットは言う。このスタジオは、マイクやアンプ、各種コンソールやイコライザーなどの機材に真空管の威力を借りてアナログ音源を生み出すことで定評がある。

Ghostface Killerや、MG’sの活動などで名を馳せたBooker T.、The War On Drugsほか、シュレットならではのサウンドを求めてスタジオを訪れるアーティストはあとを絶たない。シュレットはこう述べた。「真空管は音づくりの一部です。増幅装置として偉大であるばかりでなく、ある種の魔力をも秘めているんです」

Western Electricが現行モデルとして生産する300Bだが、その心臓部と呼ぶべきフィラメントの材料は、わずか15インチ(約38cm)のニッケル製のリボンである。COURTESY OF WESTERN ELECTRIC

一方、真空管に備わる魔力こそがやっかいなのだと問題視するのは、メタルバンドに特化した音づくりで25年の実績を誇るグレン・フリッカーだ。彼はカナダのオンタリオ州にあるSpectre Sound Studioでレコーディングエンジニアを務めている。1966年製のアンプを純正の真空管のままで使用することもある彼だが、高価な代用品を使えばその音質が向上するとは信じていないという。

「真空管しだいでアンプのサウンドが大きく変わってしまう──そういう黒魔術的な何かを、ガキだった当時は信じ込まされていた」と、フリッカーは首を振る。ノイズキャンセリングを用いて真空管による音色の違いを精査したところ、「微かなクリック音」以外には差異など見出せなかったという。

そんな彼がギタリストたちに勧めるのは20ドル(約2,800円)ほどで手に入るスロバキアのJJ製の真空管だ。1,300ドル(約18万2,500円)もするヴィンテージのTelefunken製「Diamond Bottom」の12AX7に対するこだわりなどもっていないという。Western Electricの取り組みを支持してはいるものの、「安物のJJより音がいいかと聞かれたら、答えはノーだ」と断言する。

米国が再び真空管製造の主役に躍り出る日

最近の価格高騰は供給不足のせいだと言われているが、実際は真空管の魔力がものを言っているだけだとも考えられる。だが、ホワイトナーにとって大きなチャンスであることは変わらない。

この夏、米国製の真空管としては実に数十年振りの新作となるWestern Electric製12AX7が発売される。さらに6L6、EL34、EL84、AT7、6V6といった、ギターアンプやスタジオ用アンプといった音響機器の80%に使われている真空管を、次々と復刻していく計画も動き出している。ホワイトナーの目論見どおりに進めば、米国が再び真空管製造の主役に躍り出る日も遠くはないかもしれない。

とはいえ、そこには少なからずリスクもあるとホワイトナーは見ている。ロシアによるウクライナ侵攻の終わりが見えないいま、貿易規制はまだ続いている。米中関係も依然として緊張状態のままだ。真空管をめぐる地政学の変化を見極めるためには、あらゆる要素を考慮しなければならない。米国製の真空管に対しどれだけの忠誠心が醸成されるかは、まったく予測できないのだ。

いずれ真空管の価格が低下する日が来たとしても、確固たる信頼を勝ち得てさえいれば、Western Electric製の真空管はその存在価値を維持できるとホワイトナーは期待している。「人々が求めているのは、信頼性の高い、安定した性能なんだ」と彼は言う。

サウンドエンジニアのシュレットも、その実現を待望するひとりだ。「わたしが望むのはクオリティだけです」と彼は言う。「180ドル(約25,000円)そこそこの安物の真空管を買ってはゴミにする……そんな状況は間違っています。そんなことが許されていいはずがないんです」

WIRED/Translation by Eiji Iijima, LIBER/Edit by Michiaki Matsushima)