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────みなさん、こんにちは。SNEAK PEEKS at SZ MEMBERSHIPでは、SZ会員向けに公開した記事のなかから、注目のストーリーを編集長が読み解いていきます。ところで松島さん、今週はどうでしたか?

今週は、ウェス・アンダーソン監督の新作『アステロイド・シティ』の試写会に行きました。WIREDの次号のテーマが「2050: Imagine the Next Mid-Century」なので、その参照点として1950年代、つまり前回のミッドセンチュリーが気になっていたんですが、この作品はまさに、50年代の米国を真空パックで永久保存して、ウェス・アンダーソン色に包んだみたいな世界観だったなぁ。戦争が終わって経済もどんどん豊かになっていくという黄金時代とも言われるタイミングで、「白人・科学・宇宙」という感じ。そういうなかでの人々の憂いとか、人間関係とかが描かれていてよかったんだけれど、個人的には、次のミッドセンチュリーにこうした“アンダーソン色”じゃない色をどうやって塗れるだろうかと考えさせられる内容でした。9月から日本でも公開されるので、ぜひ観てほしい作品です。

────これからの50年について考えるきっかけにもなったんですね。それでは本題に入っていきますが、今週のテーマは「CLIMATE CRISIS」です。松島さんのセレクト記事は「直せないものには所有する価値がない:1969年式キャンピングカーと暮らす」で、50年もののキャンピングカーで暮らすことに決めた家族の話です。リードを読むと、米国全土を見るためだけではなく、直す価値のあるものはすべて直せるという信念を証明するためでもあった……と書かれています。

これは元コンピュータープログラマーである『WIRED』のシニアライターが書いた記事です。ある日、父親から69年式のフォード・F-150ピックアップを譲り受けたんですが、なかなか修理方法がわからず、クルマに詳しい友人と一緒に修理しながら少しずつ学んでいったそうです。で、2015年には夫婦で1969年式のドッジ・トラヴコを買った。子どもたちが「バス」と呼ぶほど大きくて、それを住居にしながら各地を巡っているんです。憧れるよね(笑)。

今週の記事:直せないものには所有する価値がない:1969年式キャンピングカーと暮らす

内装の付け替えや修理を重ね、購入から2年後の2017年に出発したそうですが、日々運転するなかでトランスミッションが故障したりエンジントラブルが起こったり、ラジエーターとか手動チョークが壊れては買ったり、直せなくて修理工に助けられたり……まさに『オン・ザ・ロード』というか、VANLIFEを地で行く話。特にグッときたのは、「頑固さと理想がないまぜになった自立心に駆り立てられたぼくは、直せるものには直す価値があると、そして直せないものは所有する価値がないと、子どもたちに教えたかった」という一文で、「修理すること」について改めて考えさせられる記事になっています。

────なぜ、子どもたちにそういった信念のようなものを教えたいと思ったんでしょうね。

年々直せるものが少なくなってきているというのは、誰もが感じていることですよね。それこそWIREDで扱うようなデジタル製品って、手にしたときから直せない仕様のものが多くて、「修理する権利」を求める声も上がっています。特に米国なんかだと、ガレージでクルマを直すことが自立した個人の象徴というか、自分が所有しているものを自分で修理して使い続けることは当たり前だったし、今週のテーマに絡めて言うとサステナブルな行為でもありますよね。あとは、修理して使い続けることで自分の生活を自らつくっていくというか、自立した個人として社会を構築していくという多面的な価値がある。

この記事で印象的だったのは、修理文化の中心に「深く掘り下げる(go down swinging)」という態度があるということでした。試してみることに前向きでなければならない、と。ネジを外しただけで保証が切れるとか、ケガの危険があるという警告のラベルが貼られているなか、ガツンときたのは「ただの消費者で終わりたくないのなら、自立したいのなら、自分で修理できると信じることが何よりも大切だ」という部分。こうした自立の観点から、修理する権利を求める運動が生じているんです。

────WIRED.jpでも、6月に「電子化する自動車を「修理する権利」は安全面でのリスクを高める? 米国で州法を巡り対立が激化」という記事を公開していますよね。

そうそう。例えば、ぼくも電気自動車(EV)に乗っているんですが、まぁ自分では直せないわけですよ。でも、自分が所有しているクルマだから直す権利はあるべきじゃないかって思う一方で、この記事では、例えばハッカーに侵害されるリスクがあるから危ないと米国政府も主張していると書かれている。

────そう言われると、確かにちょっと怖いです。

でも究極的に考えれば、EVでなくても、自分で修理したクルマが故障してクラッシュしたら、周囲に迷惑をかけてしまう可能性もあるよね。だから、どこまでを自分たちの裁量としたいのかっていうのは、自分たちの権利として争ってでも、社会のなかで合意をえながら決めていくべきことなのだと思っています。

あと、もうひとつ言いたいこととして、水野祐さんによる好評連載「水野祐が考える新しい社会契約〔あるいはそれに代わる何か〕」のなかで、「クリエイターエコノミーと修理する権利」に関する記事があるんです。そのなかで「修理する権利」というものが集合的創造性につながるという話があって、これは面白いなと思いました。クリエイティビティが個人に依拠するだけではないという考えに基づくのですが、ひとりの才能ではなくコレクティブのように共創的な創造性は、修理する権利の文脈でも考えることができると思うし、あとは、コンヴィヴィアリティですね。

────WIREDでもよく登場するイヴァン・イリイチですね。

自立共生的なテクノロジーと、修理できる権利っていうものはすごく密接に絡んでくる概念ですよね。まぁ今回の記事は、VANLIFEなんてうらやましいなぁと思って読み進めていたんですが、故障の話が続くなか、「修理すること」を通したさまざまな論点が隠されているストーリーでした。

────ぜひ週末に読み深めていただきたいですね。今週は、これ以外に「「炭素独裁」か「公正な移行」か──世界最大規模の太陽光発電所建設に挑むインド」という記事もありますね。

これはよくある話でもあるんですが、太陽光パネルを設置する際、再生可能エネルギーを生み出すということで二酸化炭素の排出を削減できるなど、一見、気候危機に対してすばらしい政策をとっていると受けとめられる一方、それを政府が急激に推し進めようとすると、もともとそこにいた村人たちを追い出してしまうといった、「炭素独裁」とでも呼ぶべき状況が生じてしまう恐れがあることをインドの事例から読み取れる記事です。

もうひとつ、「ボトルネック理論は気候変動との戦いにおける切り札かもしれない」という記事も読んでほしいですね。ボトルネック理論というと例はいろいろありますが、例えば常に渋滞している道があるとします。一般的な解決策としては、2車線から3車線に増やすために何百億円をかけたりするんだけれど、細かく見ていくと、手前の信号のところがボトルネックになっていて、そこを直すだけだったら例えば数百万円ですむ……とか。米国では、ただ単に路面の塗装で2車線を3車線に引き直したらスムーズにいったという例もあって、要するに、気候危機に対処するときに大掛かりで全体的な対策を考えがちなんですが、局所的なボトルネックを見定めれば、最も必要な部分に最小の力で対処できるかもしれないということですね。今週のテーマである気候危機との闘いという意味で、このボトルネック理論はひとつ覚えておきたいキーワードだと思いました。

────柔軟な発想を鍛えるヒントになりそうです。このほかにも、7月WEEK#4は「海上輸送の脱炭素化で、帆船に再び追い風が吹いている」という記事や、「北極の氷が溶けるのを防げ──ジオエンジニアリングと気候危機」という記事も公開していますので、ぜひチェックしてみてください。

[フルバージョンは音声でどうぞ。WIRED RECOMMENDSコーナーもお楽しみに!]

(Interview with Michiaki Matsushima, Edit by Erina Anscomb)