「あらゆる手段」でアートを発信する:「SAVVY Contemporary」が西洋中心の芸術社会に一石を投じる背景

ロックダウン下の厳格なルールのもと、運営方法を模索するベルリンのギャラリーのなかで異彩を放っているのが、アートスペースを運営しながら、アートコレクティヴとしてのさまざな発信も続ける「SAVVY Contemporary」だ。「西洋芸術以外に焦点を当てる」という指針から、多岐にわたる活動に対する思惑に迫る。
「あらゆる手段」でアートを発信する:「SAVVY Contemporary」が西洋中心の芸術社会に一石を投じる背景
PHOTOGRAPH BY YUKO KOTETSU

昨年11月からはじまった2度目のロックダウン。それが常態化してから5カ月が経った。バーやレストランはすべて閉まり、テイクアウト営業のみ(5月21日より24時間以内の簡易版コロナテストの陰性証明及びワクチン接種済みであれば、レストランのテラス席で印象が可能になった)。クラブも当然開いていない。外出するにも家に招くにも、細かく人数制限されている。ベルリン市民は、もはや1年の半分をこうした厳格なルールのもとで暮らしている。

毎度突然変わる条例に翻弄されながらも、運営や営業のあり方を模索しているのがベルリンの美術館やギャラリーだ。苦境に立たされるなかでも、トークイヴェントのオンライン配信や有料メンバー向けのディスカッション、出版物の制作などを通じて情報発信が続けられている。そうしたギャラリーのなかで異彩を放っているのが、ベルリンで10年以上に渡り「西洋芸術」以外を広めるための活動を続ける「SAVVY Contemporary(以下SAVVY)」だ。

ギャラリーであり、アーティストラボ的な役割を果たすSAVVYは、2009年にノイケルン地区で立ち上がり、現在は旧東ドイツ側に位置するベルリンのウェディング地区で運営を続けている。去年、写真家のウルフギャング・ティルマンスが主宰する非営利団体Between Bridgesによるプロジェクト「2020Solidarity」で、保護されるべき文化的および音楽的な会場、社会的プロジェクト、独立したスペースのひとつに選ばれたことでも一部から注目を集めた。

今回、コロナ禍がSAVVYにもたらした影響やべルリンでギャラリーを運営する理由、アートコレクティヴとして活動を続ける背景などを訊くために、カメルーン出身というバックグラウンドをもつボナヴァンチュールと展示のディレクションなどを任うカミールのもとを訪ねた。ボナヴァンチュールが取材中、「西洋芸術だけに留まってはならない」としきりに口にしていたように、SAVVYのモットーは、西洋と非西洋のあいだに自らを置き、そのあいだを理解したり、交渉したりすることで「構造がもたらすイデオロギー」を脱構築することであった──。

今回の取材に答えてくれたSAVVYのボナヴァンチュールとカミール(写真左から)。2020年3月に予定されていたハリム・エル=ダブにまつわる企画展の一般公開が1年越しに実現した今年の3月、同会場にてインタヴューした。

──「SAVVY Contemporary」はどのように始まったのでしょうか?

ボナヴァンチュール 始まり…。まず2009年にいろんな言語でアートにまつわるグループディスカッションをやったんだよね。それから「言語の限界」に気づいて、それ以外の新しい表現を探す必要があった。というのも、世界のさまざまな地域から集まったアーティスト団体があるけど、トークイヴェントに参加したのは、基本的にベルリン在住だけど欧州以外からやって来たアーティストたちだったんだ。だから自分たちの力で場所をもって、新しい表現の可能性を見つけようとしたことがはじまりになったんだ。

──なぜベルリンをSAVVYの拠点にしたのでしょうか?

ボナヴァンチュール 「ベルリンを拠点にした理由」ねえ……(笑)。それは単純に1997年から自分がここに住んでるから。ベルリンにはアート界の中心となるようなスペースがあり、ラディカルでアヴァンギャルドな雰囲気が街全体にあるよね。にも関わらず、パリに自分のギャラリーを出す必要はないでしょ?

──確かに(笑)

ボナヴァンチュール あともうひとつ大切な理由がある。ベルリンにいくつもギャラリーがあって、ヨーロッパとかアメリカ出身ではないたくさんのアーティストがいるじゃない? でも、周りを見回すと、いわゆるアートシーンと呼ばれるものは西洋のアートを中心に成り立っていることに気付かされた。

──随分シニカルな考え方ですね。

ボナヴァンチュール そうだね。だけど芸術が「西洋の芸術」が中心に回っていることを無意識で認識した上で、その枠組みを受け入れていることに気付いたんだよ。「西洋美術」と呼ばれるものは、当然だけど世界で唯一の枠組みではない。だから、そういう認識がまかり通ってる芸術世界に対して、自分が「NO」と言う必要がある思ったんだ。ベルリンから自身のルーツでもあるアフリカンカルチャーを提案していく必要があるように強く感じたのがきっかけかな。

慎重に、じっくりと自分の「間」を取りながら、話を進めるボナヴァンチュール。

──組織の運営やかかわるアーティストやスタッフとの関係性を築く上で大事にしていることはありますか?

ボナヴァンチュール まずは、アーティストと組織の双方にとってベストな「最終的な共通目的」を見つけることが大事。SAVVYとしては、どんな状況でも、COVID-19のような状況だとしてもアートプロジェクトを継続していかなければならない。だから常にいろんなレイヤーで議論をしているんだ。

──活動を続ける上で、大事にしている個人的なモットーはありますか?

ボナヴァンチュール 「人生は常に暴力と不安定な状態になる危機にさらされている」と常々感じているんだ。そのなかで学んだのは、少しでも安全だと思える環境を得るためには、自分たちの空間を切り開く必要があるということ。後ろ向きな考えをもたずに、いつも「どこかに可能性がある」ということを知っておくべきということだった。そして「自分の心が求めるものはなんだと思う?」と毎回自分に問うてみる。多くの場合、それは「慰め」なのだけど。

もうひとつ、「If you want to go fast, go alone. If you want to go far, go together. (早く行きたければひとりで進め、遠くまで行きたければ皆で進め)」っていうアフリカ発のことわざがあるんだ。ぼくはSAVVYを通じて、できる限り遠くへ行きたいと思っている。たとえ時間がかかったとしてもね。

──SAVVYは所属する多国籍のアーティストがお互い協力しながら展示しているように見受けられます。今回の展示でいうとファインアート以外にもスカルプチャー、サウンドインスタレーション、ムーヴィー、さらには本も出しています。そのようにSAVVYとして異なる手段で情報発信を続けられているのはなぜでしょうか。

カミール 一度目のロックダウンを受けて、今回のハリム・エル=ダブ[編注:電子音楽のパイオニアのひとりであるエジプトの作曲家]にまつわる企画展を中止したときに、継続する意思を表明することが重要だったんです。例えば、「SAVVY ZAAR」といったラジオプロジェクトで毎週土曜に世界に発信していることで、わたしたちのなかにある知見やアイデアをオンライン上に落とし込むことができた。あと、展示するはずだったハリム・エル=ダブに関連する過去文献やアーカイヴをきちんと読む時間が増したことで、より深く彼について考えることもできました。

SAVVYが定期刊行する書籍。オンラインからも注文できる。

──SAVVYとしての活動全体を通じて、何を伝えたいと考えていますか?

ボナヴァンチュール 「考える」という行為を拡大させたい。要するに日常のなかでしている「思考」って、頭のなかでの言語的な解釈だけじゃない? 視覚や音、空間的な広がり、そうした感覚を無視して、“言語だけ”に制限されている気がするんだ。だから、今回の展示では特に文章など言葉を通して考えること以外にも、サウンド表現や絵画、アブストラクトなファインアートからも「思考」という行為を再解釈できるようにしたかった。その機会をあらゆる角度から設けるようにしたんだ。

──コロナ禍に今回の展示運営を任されていた立場として、いまの日本のアートシーンにアドヴァイスできることはありますか?

カミール いまの日本の状況を正確に理解していないので、正直具体的なアドヴァイスをしようがないのですが……。ただわたしたちの経験則から言えるのは、それぞれのコミュニティがもっている独自のエコシステムがあると思います。わたしたちの場合は状況が刻々と変化するなかで、それに対応しうる柔軟性をもっていました。アーティストも市民も、ベルリンのロックダウンでもたらされた空白の時間を一様に経験してきました。パンデミックによる「不安」と戦うなかで、アーティストもわたし自身も、いろんなことを考え抜いてきました。この展覧会が最初のロックダウンから延期されたことも、パンデミックに対するドイツ社会の「恐れ」の反応であります。

ただ少なくとも、現時点で展示を再開させるところまでは来れました。感染状況は行きつ戻りつですし、それによって進めていた準備を反故にしないといけない場合もあります。ただ、わたしたちは少なくともコアコミュニティのなかでの議論やオンラインプログラムを通じて、関係性を維持することができたんです。そうすることで、深められたこともありますし、もしかしたら展示のクオリティも昨年開催するはずだったときよりも進化しているかもしれません。

──時間をかけて議論を深めてことは、プラスに転じたと。

ボナヴァンチュール いくらでもネガティヴに物事を捉えられる時代に、「プラス」があるとすれば、考える時間が潤沢にあるということ。例えば、日本のアート界やギャラリーもそれを使って、いま一度日本古来のアートや、残すべき伝統に立ち返ってみるのもひとつの手かもしれない。そうすれば国境を軽々越えて伝播してきたような日本文化の鉱脈に行き当たる。例えば、16世紀や17世紀の日本美術のなかにぼくが感銘を受けた作品がいくつもあるわけだし。そういう視点が大切じゃないかと思うよ。

今回の展示におけるプラクティカルな采配について、説明してくれたカミール。

SAVVYは、コロナ禍以前から「SAVVY FRIENDS」と題したメンバーシップ制度を通して、コレクティヴに共鳴する人たちから支援を募り、優先的に読書会や招待制イベントなどを開催していた。サイト上では「議論の場であり、飲食スポットであり、ジャンギハウスであり、歓談のための空間」だと謳われている。そうした議論の場を醸成し、そこで得た気づきを具体的なアクションに落とし込んでいくことが彼らの活動のベースになっているからこそ、こうした状況にあっても弛むことなくさまざまなアプローチを続けられたのかもしれない。

アート社会の構造がもたらすヨーロッパの権威的な価値観に溺れることなく、自らをも鋭い批評眼で疑い続けてきたからこそいまがあるのだ。価値観は一朝一夕に磨かれていかないし、前進していくはずもないのだ。こうした議論や発信の場を醸成していくチャレンジを続ける行為をそのものが、コレクティヴという名にふさわしく、危機に瀕した時代にも、連帯してアクションを起こせるのかもしれない。時代の流れに翻弄されても、弛まず、続ける。土地がもつルールは違えど、その姿勢から学びとれることは多そうだ。

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TEXT BY HIROYOSHI TOMITE

PHOTOGRAPHS BY YUKO KOTETSU