映画を観る人がいる限り、行定監督は走り続ける。『いまだったら言える気がする』インタビュー

  • author 三浦一紀
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映画を観る人がいる限り、行定監督は走り続ける。『いまだったら言える気がする』インタビュー

緊急事態宣言が終わったいまだったら言える気がする...。監督と映画の話をするのが、一番の楽しみでしたよ!

Zoomを使った革新的な映画『きょうのできごと a day in the home』を作った行定勲監督の、Zoom映画第2弾『いまだったら言える気がする』。みなさんもうご覧になりましたか?

前作が若者たちのコロナ禍の「今」だったら、今作はコロナ禍での大人の「今」といった感じ。キャスティングが中井貴一さんに二階堂ふみさん、そしてBiSHの アイナ・ジ・エンドさんという、なかなか斬新な組み合わせに驚きましたが、とても上質なラブストーリーだなという印象でした。

『きょうのできごと a day in the home』公開後に行定監督にインタビューをさせていただきましたが、今回もたっぷりお話をきくことができました。もちろんZoomで

少々長いかもしれませんが、興味深い話が目白押しです。ぜひ最後までお読みください。

脚本は二階堂ふみさんをイメージ

──『きょうのできごと a day in the home』からあまり間を置かずに第2弾となる『いまだったら言える気がする』が公開されました。こちらの制作はいつ頃からスタートしたんですか?

行定監督:前回インタビューを受けたときには、もう脚本はありましたね。実は4本くらいプロットはあって、2本目くらいまでは緊急事態宣言期間の特別制作用だと考えてました。なので、緊急事態宣言が延長した時点で2作目も作ろうという感じはありました。

──今回は登場人物が3人のみ。しかも個性豊かで意外な人選と感じました。キャスティングはどのように決められましたか?

行定監督:『きょうのできごと a day in the home』制作の時点で、キャスティングを早く進めておきたかったので何人かに声をかけていたんです。そのときに二階堂ふみさんにもお声がけしていました。二階堂さんは「やりたいです」と言ってくれていたんですが、残念ながら1本目は叶いませんでした。そういう経緯もあって、2作目のヒロインとして二階堂さんにこんな役をやってもらえたらおもしろいだろうなというイメージで当て書きをしました。

中井貴一さんはひとこと「やりますか!」

行定監督:脚本が完成した段階で、そのほかのキャスティングはどうするかなとなって。結局中井貴一さんに落ち着いたわけですが、最初はダメ元で連絡しました。

こういう即時的なものに、中井さんのような大御所には声をかけづらいんです。でもこういう事態になることが普段では考えづらいことなので、声をかけてみる価値はあるかなと思って、中井さんは今どういう気持ちでいるんだろうと声をかけさせていただいたんです。そうしたら中井さんが「やりますか!」とすぐおっしゃってくださいました

中井さんはもともとプロデュース能力に長けていらっしゃる方なんです。以前、僕は中井さんと『趣味の部屋』という中井さん企画プロデュースの演劇を、再演も含めて2回一緒にやらせていただきました。チケットが5分で完売する大ヒット作で、古沢良太さんが脚本のコメディー演劇です。そのとき、かなり濃い時間を過ごさせていただいて。

それに中井さんは、生まれながらにして日本映画史の中にいて、それを語り継ぐ資格がある数少ない存在だと思います。なにしろ小津安二郎監督に「貴一」という名前を付けてもらったぐらいなんですから。小さい頃に小津監督に抱っこされている写真があったりとかするんです(笑)。だから話もとてもおもしろい。

中井さんはすごくニュートラルな方で、今何が起こっているのか、何をやっているのか、そういうことをすごく実感されたい方なんです。ただ演じるだけではなく、映画がどうやって作られているのかを理解した上で演じられている。全面的に信頼できる俳優さんです。

アイナ・ジ・エンドさんの初演技

──BiSHのアイナ・ジ・エンドさんはどういった経緯で抜擢されたのですか?

行定監督:単純に、僕がBiSHのファンなんです(笑)。ライブも相当行っていて、本人とも仲良くさせてもらっています。脚本担当の伊藤ちひろとも仲がいいということもあって、脚本を書いているときに伊藤から提案されて、それはおもしろいかもねと思ってオファーしました。

彼女は初演技だったんですが、歌もダンスも優れている人だからできるだろうとは思っていました。しかし、あの二人の名優を相手に一歩も譲らない演技ができたのはすごいですね。女優としてはデビュー作なんですけど、中井さんと二階堂さんとはリハーサルまで面識がなかった。初対面で、あれだけできるというのは、やはり才能のある人だなと思いました

©2020 SS/ROBOT

“映画”に近いものにしようと思った

──前回に比べて登場人物が3人ということで、リアリティの度合いが高く感じられたのですが、その辺りは狙っていたのですか?

行定監督:実は前回のほうが生々しい感じで、こちらのほうが自分らしさも含めて、演技というか通常の映画に近いものにしようという気持ちで挑んだんです。

リアリティがあると感じられたというのは、中井さんと二階堂さんの間合いが絶妙だったからでしょう。今回、98%は台詞どおりなんです。もちろん細かい部分の言い換えなどは普通の映画と一緒なんですけど、あの2人はほとんど台詞を変えないで自分の中に落とし込む術に長けているんですよね。間(ま)の取り方なんかで独自性を表現できるんです。

「うまくいってるの? わたしたち」という状態の中で会えなくなってしまって、それで疎遠になってしまうカップルがいたら、それはそこまでのものじゃないですか。中井さんが演じる小説家・ジンノのほうがやっぱり想いが強かったと思うんですよ。だから終わらずにつなげていたかったという、あの間とかね。

対して二階堂さん演じる舞台女優・ハナエの「これ、つながってる意味ある?」とか「今見つめあえてるのかな」という、非常に不安な感じを想起させる台詞があります。このまま会わないで終わってしまうかもという匂いもちゃんとさせるところが、脚本に対する理解度の深さですよね。

Zoomという形式が映し出したもの

──前回は若者ならではの「今」という感じでしたが、今回はもっと大人の「今」だと思いました。

行定監督:そうですね、大人の話になっていますね。二階堂さんは若いんだけど、かわいらしさの中に大人な部分、彼女が本質的に持っているものが垣間見ることができて、すごいなと思いました。

──映像が止まったり、ところどころ音が聞き取りづらいのも臨場感がありました。

行定監督:最初に、このZoomというものを映し出したいということは、本人たちにも伝えていて。音の不具合があったり、途中で映像が止まったりすることもありますが、そういうときもそのまま会話は続けてほしいとお願いしました。基本的にZoomのようなオンラインのシステムは電話の延長なんですけど、その感じを残したかった。

前回はZoomで、家でできるイベントとしてうまく作り出せればいいと思っていたんですが、今回はお互いの意思でつないでいる。昔なら長電話をして「これ意味ある?」みたいなのがあったと思うんですけど、今なら顔も見られますし。

「音」がもたらす印象の違いとは?

行定監督:こだわったのは「」なんですよね。今回、Zoomの音とは別に出演者たちにスマートフォンで録音してもらったんです。もし視聴者が聞きづらいだろうと僕が判断したら、映像にその音声を当てはめればいいと思ったんです。特に今回は、セリフが聞きづらいとストーリーが追えなくなるタイプのものだったので。

でも、スマホで録音した音は使いませんでした。スマホの音に差し替えると、きれいすぎてテレビのドラマっぽくなってしまうんです。きれいに録音したものを使って、かえってクオリティーを落とすことになるぐらいだったら、Zoomの音をそのまま使ったほうがいいと思って。今回はZoomで録音した音を少しだけクリアに調整していますが、それもきれいにしすぎると物足りなくなる。映画っぽくならないんです。それをやるとスカスカというか。

いわゆるアマチュアとプロの映画のもっとも違うところは、音の厚みだったりもします。僕はずっとプロフェッショナルとして映画をやってきたので、ある意味自主映画的というか、逆にZoomみたいな録りっぱなしのラフな音に憧れがあったんです。きれいに録音して後から当てはめると、それはそれでどこか厚みが足りなく感じるんです。もっと効果音など、音を重ねて完全に仕上げないと意味がないように思えてくる。この作品はZoomの音じゃないとダメだという気持ちになりました。意外と不完全な感じがよかった。だから生々しい感じが伝わったんじゃないかなと思います。

あと、それぞれの登場人物が別々の場所にいるという「距離」がありますよね。このもわっとした電話のような音が、意識的に距離を感じさせる。これがクリアになると、作り物に見えちゃう。普通の映画だったら音質をいじって音を変えるんですけど、この作品に関してそれはあまり意味がない。そこがおもしろいところじゃないですかね。

この映画には死んでいる時間がない

──監督はZoomを使って2本の映画を作られたわけですが、そのなかで気がついたことなどありますか?

行定監督:一番気がついたことは、モンタージュ、いわゆる編集を意識したくなかったんだということです。モンタージュするっていうことは「この人の表情を見せたい」という風に誘導しているということなんですよね。誘導しない。そこにただ状況が、すべて散在しているということはおもしろいんだということに気づきました。

このラブストーリーでは、中井さんと二階堂さんの2画面の中に、二人の気持ちが散在しているわけです。視聴者はどちらを見るかによって感じ方が違うし、どちらにも想いが必ずあるわけですよ。だからモンタージュをしたくないという意識になったんだと思うんです。

たとえば、映画で2ショットの長回しをして、どちらかの顔を見せようとカットバックを撮ったりするとき、写っていないもう一人の瞬間は死んでるんですよね。でも、今回の作品は死んでる時間がない。それがおもしろいところです。誰かをフィーチャーせずにやる。しかも音楽がないんですよ。音楽は、視聴者の感情を誘導する強力なツールなので。

前作の『きょうのできごと a day in the home』の評価がとても高かったことに対して、どこか戸惑いがあったんですけど、多分それはこのZoomという即時的なツールをそのまま作品にしているからこそなんだと思います。見ている人が、それぞれの自分の解釈でストーリーを見届けることができる良さがある。

『いまだったら言える気がする』も、画を散在させている中で、お互いがどんな風に距離感をもって、どんな風に心を探り合っているのかというところを楽しんでもらえると思います。メジャーなラブストーリー映画は、顔や表情を見せて感動を誘導する。今回はそれを拒んだ。この作品もラブストーリー的に編集したら、中井さんと二階堂さんを交互にアップにしてから、「今見つめあえてるのかな?」という風になるんです。ただ、物語の流れの上でそういったセリフが出るのと、今回は明らかに違いますよね。

映像の豊かさをちょっとだけ後退させた

行定監督:今回のZoomのように、一枚絵で分割された画面を「こういうものだから」と言ってそのまま見せるドキュメンタリー的な手法は、アート映画のアプローチに近いと思うんです。誰もが使っているツールを利用して、俳優陣はさらされながら演技をする。この間(ま)すらも、彼らがすべて作り出したものだということに芸術性を感じてもらえる。今後も僕の意思をあまり見せないようにすれば、もっと作品性としては高いものになるかもしれないと思いました。でも、それでは観客にとってはわかりづらい方向に行ってしまいます。

映画をよく見ている人にとっては楽しめる作品かもしれません。映画をあまり見たことがない人も感覚的に「これっておもしろいんじゃない?」と言ってくれるとは思いますが。

──結果として、両方に刺さっているということですよね。

行定監督:まあそうなんですけど。映像というのは本来、とても豊かな情報を伝達できるものなんですよ。その豊かなものを、ちょっとだけ後退させる意識があったかもしれない。

今、まさに起こっていることの物語

行定監督:この作品は、今起きている物語として作りました。この話は、実はリモートじゃなくても起こることですよね。リモートじゃなかったら「わたしたち一緒にいる意味ある?」になるし、一緒にいるときに、不意に娘から電話がかかってくるということになるはずです。

だけどこの時期だからこそ、突然Zoomに入ってきた娘とちょっと気まずい会話をしないといけなくなる。こういうところがZoomならではですよね。

──今回、監督は出演陣に何かリクエストされたりはしましたか?

行定監督:最初に台本の読み合わせをしたときに、俳優陣がセリフの言い回しを少し変えてきたところを、「もう少しこっちの意味でお願いします」と言ったくらいですね。前回と同じように、状況を作るのが僕のメインの仕事でした。

ベストなキャスティングができたので、今回もそれで十分でした。小説家役の中井さんは、作中で原稿を書きながら会話をするんですけど、その原稿もすべてご自身で執筆されたオリジナルなんです。

──『翔んで埼玉』の少年役から、今回の中井さんの恋人役まで二階堂さんの演技の振り幅もすごい。

行定監督:NHKの連続テレビ小説に現在進行形で出演している彼女が、ここでこのスピード感で出演してそれが公開されるというのは、今でしかない状況ですね。

彼女自身、演技について意識が高い方なので、大人の部分や色気のような、中井さんに対する演技の豊かさみたいなものを持っていますね。

役者や医療従事者の窮状を潜ませた

行定監督:今回の彼女の役は、テレビなどでは、脇で見たことがあるくらいの女優で、小劇場ではあるけれど準主役になった。それなりに注目されてきている演出家の新作舞台の稽古に小屋入りすることろで中止になってしまったという設定です。

関係者に聞いてわかったんですが、このコロナ禍の状況で舞台や劇場もたいへんなんですよね。公演が中止になったところで、小さい劇場だとキャンセル料を取らないところも多い。制作側も、1ヶ月稽古をした分の経費と広告費とチケットを売った際の手数料は戻ってきません。むしろ、チケットの払い戻しがあるだけ赤字になるんですよ。その中で、役者やスタッフに申し訳無い程度しか補償を払えない。

役者たちに至っては、1ヶ月分の稽古はノーギャラです。俳優は舞台に立って演技をすることで、ステージ分のギャラが発生するんです。そのために1ヶ月以上稽古をするんです。こういうことはあまり知られていませんよね。俳優たちがどれだけ生活が苦しくなっているのか、すべて説明したいくらいです。

演劇というのは、一般の人から見ればハードルが高くて遠い存在です。音楽のライブなどと一緒に、今一番新型コロナウイルスの煽りを受けていますよね。俳優たちは毎年収入も違うため、収入が減ったということの証明も難しい。だから本当は、文化というカテゴリーの中で基金などを作って、救わないといけない。

もちろん、自分で自分の生活を乗り切っていかなければならないのは基本です。しかし、彼らは今そういう状況に立てていません。次に演じることができる場所がどうなるかわからないんです。

だから、『いまだったら言える気がする』はそういう要素を脚本に取り入れました。ささやかだけど、そういった現状を伝えたいと思っています。それが前回と違うところなのかなと。

あと医療従事者の方々も、お話を伺うとみんなたいへんで逼迫していることがわかるんです。泊まり込みや応援部隊として現場に駆り出されているなかで、医療従事者が差別されるケースさえあるという。そんなのは言語道断です。娘の彼氏が大学病院の勤務医で、こういった状況の中で結婚することを報告された時、父親は「そうか」とそして、「大丈夫か」と心配する寛容さを持っている。

ちょっと前とは違う、「いまだったら言えること」がそれぞれあって、僕もいろいろなことが新たに見えてきたからこそできた作品だと思います。

緊急事態宣言が解除されても、以前とは違う、解除された後のひとつのスタイルとしてちゃんと作っていかないといけない。メディアで報道されているような、コロナ禍の前の状態に戻ってしまうということを見せられると「大丈夫かな」という気持ちがあって、生活のガイドラインがどんな風に変わっていくのだろうかと考えながら作っていましたね。

コロナ禍以降の撮影スタイルとは?

──お話を聞いていると、監督は新しい手法によりいっそう夢中になっている印象を受けたんですが、今後もこのスタイルを続けていくのか、それともいわゆるスタンダードな映画を、以前とは少し違う感じで作っていくのでしょうか?

行定監督:『きょうのできごと a day in the home』と『いまだったら言える気がする』は、僕自身が家から出ないスタイルで演出をするという、今のガイドラインに則ったやり方なんです。今後ガイドラインに則った形で映画を作るなら、コロナ禍以前の設定で作るのは厳しいと思うんですよね。

今、テレビ番組や映画の撮影のガイドラインができつつあるんですけど、かなり従来の演技を求めるのは厳しい。人と人が距離をとって撮影するシチュエーションばかりなんて不可能ですよね。だから、全部カットバックで撮るか、合成して距離を縮めるか。

僕は緊急事態宣言が解除されて屋外での撮影をするようになったら、そのガイドラインに則っての撮影はかなり困難なものになると思っています。

普通のラブストーリーにしてもその中でコロナ禍を抜けた後の男女という設定を説明して、ソーシャルディスタンスを表現するしかない。「私たち距離を取らなきゃ」って彼女に言わせたりとか。

もっと言えば、映画の撮影をしているという設定にすれば何の問題もないんです。みんながバラバラのところで撮影をしていて、ものすごい望遠レンズで撮影しているカメラマンが手こずったり、カメラを全部固定にして、やっぱり難しいなという状況を映画にするという。

ただ、それは説明にしかならないので、おもしろいかどうかはわからないですね。でもそういうものが生まれてきてもいいだろうし。結局それが商業映画として成り立つかどうかですね。

──コロナ禍が過ぎた後の映画やドラマは大きく変わるかもしれないということですね。

行定監督:変わっていないとおかしいはずなんです。でも、おそらく少人数で、他人に感染しないように気をつけた状況で撮影されるしかないんじゃないですかね。

それでも映画を作り続ける理由

行定監督:撮影行為自体を不満に思う人がいて、取り締まられたりするかもしれません。そうなってくると、いろんな人の目があるということが意識として生まれて、撮影自体が悪いことをしているかのように感じられてしまう可能性があります。自粛に取り組んでいる人たちが、演劇のように一箇所に人を集めることに厳しく意見をするという状態になっています。それに対して「俳優や制作側の気持ちも考えてください」といっても、平行線のままですよね。

こういう状況のなかで支えになるのが、過去の作品を観て忘れないでいてくれる人たちがいること。そういう人たちがいる限りは、その人たちのために映画を作るのが僕たちだから。理想を言ってもしょうがないので、理想には届かないところでやらないといけない。何かを変えてやらざるを得ない。

それでもおもしろい、それだからおもしろい。そんな考えのもと挑んだ今回の作品は、思った以上に面白くなったんだと思うんです。僕自身、自分らしい作品が作れたなと思っています

ラブストーリーとか青春映画というのは、映画界における自由課題みたいなものなんですよ。それを今の社会に触れた上で自由にやれているなと。

隕石が降っても、部屋のできごとを描く

行定監督:僕は、自分の半径20mくらいで起こっている話が好きで、些細なことにしか興味がないんです。隕石が降ってこようが、僕は部屋の中のことしか描かない。隕石が降ってくると知ってワンルームの中でケンカをしているとか、人類の最後だからって女を口説いているとか。そんなことしか思い浮かばない。でも、そういう人間っぽい「この後に及んで」ってやつを見るとうれしくなっちゃう(笑)。

今回もそういう会話から生まれているし、こういう状況のなかでどんな二人がいいかなって。だから「生み出した!」っていうよりはさらっと生まれた感じです。脚本も3、4日で書けたし。スタッフは前作と同じです。

──第3弾もあると勝手に期待しています。

行定監督:もう外に出られるようになってはいます。が、構想はありますよ。

行定監督は映画を作り続ける、ぼくたちのために!

Zoomを使った2本の傑作を生み出した行定監督。アフターコロナの時代を迎えて、これまでとは違う映画の作り方が強いられたとしても、監督ならばやってくれるに違いない! そんな頼もしさを感じました。だって緊急事態宣言の中、信じられないほどの速さで作られた『きょうのできごと a day in the home』も『いまだったら言える気がする』も、これからもずっと心に残っていくであろう映画でしたからね。

もしかしたら、もうこの記事が公開されている頃には新作に向けて動き出しているかもしれませんよ。

こういう状況のなかで支えになるのが、過去の作品を観て忘れないでいてくれる人たちがいること。そういう人たちがいる限りは、その人たちのために映画を作るのが俺たちだから。

メディアで原稿を書いたりしている人間として、監督のこの言葉、胸に刻んでおこうと思います。

さて、『いまだったら言える気がする』もう1回見ようかな...。