世界初のプログラマー、エイダ・ラブレスについて知ろう!

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  • author Corinna Schlombs - Gizmodo US
  • [原文]
  • 岩田リョウコ
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世界初のプログラマー、エイダ・ラブレスについて知ろう!
Image: Shutterstock

世界最初のコンピュータープログラマーって誰かご存知ですか?

1815年12月10日生まれのエイダ・ラブレスがその人です。今日はエイダ・ラブレスという女性についてちょっとご紹介します。

エイダは科学、テクノロジー、エンジニアリング、数学を志す女の子たちのアイコンとなっています。2018年にはNew York Times紙が、Me Too運動の啓発でエイダを「見過ごされた偉大な女性たち」の1人として大きく取り上げています。

エイダの功績は数学的論理に加え言語、音楽、裁縫にまで及びます。幼いころから幅の広い教育を受けたおかげで、エイダは未来に貢献する偉業を成し遂げられたので、数学を志す女の子だけでなく、すべての学生たちのモデルでもあるといわれています。

エイダの父親は詩人ジョージ・ゴードン・バイロン。かなりのモテ男でスキャンダルが多かったそうです。母親はアナベラ・ミルバンクという高い教育を受け、強い信仰心を持った女性でした。そんな浮気性な父と真面目な母はうまく行かず、エイダが生まれてすぐに離婚してしまい、上流家庭出身の母親のもとで育っていきます。

家庭教師にフランス語、イタリア語、音楽、刺繍などを習っていたそうです。またそのころの女の子では珍しく、数学も勉強していました。家庭教師と始めた数学の授業は、大きくなっても続けていたそうです。その後、エイダは数学者で論理学者でもあるロンドン大学のオーガスタス・ド・モルガンと、記号論理学について手紙のやり取りを始めます。

エイダのアルゴリズムとは

エイダは19歳のとき、数学者で後に「コンピューターの父」と呼ばれるチャールズ・バベッジにロンドン社交界で出会います。

2人は数学と機械計算への情熱が同じだったことで意気投合し、師弟関係となります。バベッジは長い間、政府から計算機「解析機関」創設のための出資を受けていたのですが、精密すぎる機械構造に作業者たちが付いていけずやめてしまったことから、解析機関は完成せずに1840年初めに政府も資金援助をついに打ち切ります。

そこでエイダが師匠を助けるために一肌脱ぎます。バベッジの解析機関に関する講演内容をまとめた本がフランス語で出版されていたのですが、解析機関の意義をイギリス人たちにわかってもらうために、その本を英語に翻訳しました。その際、難解な内容を完全に理解していたエイダは、読む人が理解しやすいように原書に注釈をたくさん付けました。その注釈の中に、独自の解析機関用プログラムのコードを書いていたのです。これがエイダが世界初のプログラマーと言われている理由です。

Video: IET / YouTube

エイダの注釈は結局元の本の2倍に及ぶ量となりました。裁縫や音楽など多岐にわたる教育を受けていたエイダは、注釈の中で解析機関をジャカード織機に例えています。ジャカード織機はパンチカードを利用して模様を織る作業を自動化したものですが、この解析機関も計算を自動化するものだと説明しているのです。

また、「ベルヌーイ数」を解析機関に計算させるためのコードも記していました。これが最初のプログラミングコードだったと言われています。また、刺繍で繰り返しの柄を縫う「繰り返す」というステップは、数学の計算にも必要で、同じところを再度計算しないように条件をつけたループコードも書き記していたり、音楽にも精通していたエイダは、解析機関を使えば作曲もできるだろうと書いています。

幅広い知識を使った考え方をした人だった

コンピュータープログラミングを始めた人というだけでなく、エイダはたくさんの知識を使って新しいものも生み出しています。子どものころは飛行物体に夢中でした。鳥の羽根がどのように機能するかを勉強したくて、母親に解剖学の本をねだったと言われています。そして自分で羽根を制作してみたりしていたようです。

若くして難解な機械構造を理解していましたが、科学のキャリアは築きませんでした。というのも、裕福な家だったので、科学でお金を稼ぐ必要がなかったのです。なので1年以上もかけて、解析機関の本を翻訳することができたわけです。

数学や音楽などに長けていた3児の母で、ギャンブルにも夢中だったエイダは、子宮がんになり36歳で短い生涯を終えます。当時は評価されていなかったエイダの功績は後世でだんだん認められるようになり、今や数学や科学を志す若い女性のアイコンとなっています。

ただエイダの数学の能力は、幅広い知識を持っていたからこそあるものです。1980年にアメリカ国防省が開発したプログラミング言語は「ADA(エイダ)」と名付けられています。現在の私たちの生活も情報も、すべてプログラミングがあるおかげです。世界初のプログラマー、エイダ・ラブレスのお話でした。

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