過去のトラウマを癒やし、未来への脅威に備える。VRセラピーの可能性

  • author Isobel Whitcomb - Gizmodo US
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過去のトラウマを癒やし、未来への脅威に備える。VRセラピーの可能性
Image: picturejohn / Getty Images

2011年5月、ミズーリ州ジョプリンの街にトルネードが発生。

その規模は「あり得ないほどの甚大な壊滅的被害」が想定されるF5。158人の死者をだし、街は瓦礫の山と化しました。

トルネードから約12年、被害を経験した人たちの中には今もPTSDや鬱に苦しむ人がいます。いつどんな天気に変わるかわからないと、空を見上げるたびに不安が押し寄せるのです。

気候変動の影響で、近年、豪雨やトルネード被害が増加するとともに、災害で苦しむ人の数も増えています。

VRを使ったセラピー

ミズーリ州ジョプリンにあるメンタルヘルスを支援するOzark Centerは、自然災害のトラウマに苦しむ人たちのへセラピーとしてVRを導入しました。ヴァーチャルの力で「あの日」に戻ることができるのです。一見、荒療治にも感じますが、心理学者から気候変動科学者までさまざまな分野の専門家が、地球温暖化で住みづらくなってきた地球で生きていくため、これが重要な手助けになるかもしれないと期待を寄せているのだといいます。

Ozark CenterのVRセラピーを体験したのは、現在100人ほど。セラピー映像は、郊外のありふれた一軒家のリビングから始まります。窓から外を見ると、空は暗く雨が降ってきます。ヴァーチャル世界の作り、つまりグラフィックは『ザ・シムズ2』みたいなリアルとは言い難いものですが、センター長のDel Camp氏いわく画質は問題ではないといいます。「この目的は心がその世界とつながることです。ある時点から、心が支配していくのです」

現代の暴露治療

心理学者Jonathan Abramowitz氏の著書『Exposure Therapy for Anxiety』によれば、患者が恐怖に安全に向き合う暴露療法が治療に取り入れられ始めたのは1950年代のこと。

当時は、もちろんヴァーチャル世界ではなく、現実で恐怖に向き合っていました。例えば、飛行機が怖い人は、飛行機のチケットを買ってみる。犬が怖い人は、犬が走り回っている部屋に入ってみる。

心理学者Jeremy Bailenson氏の著書『Experience on Demand: What Virtual Reality Is, How It Works, and What It Can Do』の中で、今日の暴露療法の多くは想像の中で行なわれていると説明されています。トラウマとなっている状況をストーリーとして語り、それを頭の中に思い浮かべるという方法です。

しかし、恐怖対象を現実で再現するのには限界があり(自然災害などは再現不可)、ストーリーの中で再現するのは3割から4割の人にはうまくいきません。個人の想像力に差がある上、リアルな体験とは比べ物にならないからです。もしかしたら、想像することすら頭のどこかが拒否しているのかもしれません。

暴露療法とVRセラピーは相性がいい

そこで、1990年代、ヴァーチャルリアリティを活用し現実を再現した世界でのセラピーが始まったのです。

自然災害の被害者は、ヴァーチャルで同じ被害を体験する必要はありません。VR内の安全な家の中で窓から見る不穏な空の色、それだけでトラウマのシーンに気持ちを集中させるきっかけとなるのだといいます。

命の危険を体験すると、扁桃体という脳の恐怖を感じる部分が予備刺激され、その体験に関連するきっかけを認識。たとえそれが無害なものであっても、目前の恐怖として応答します。

Ozark Centerの元スタッフで、現在アーカンソー州のクリニックで働く心理学者Samantha Gilgen氏は、VRの世界の家の窓からトルネードが見えたと言った患者がいたといいます。実際のVR映像は雨と風だけなのですが、これをきっかけにないはずのトルネードが見えたことになります。Gilgen氏は、このことからも、VRセラピーは患者を記憶の世界に連れていくのに有効な手段だと語っています。

暴露療法について、科学的な根拠、理解はまだ完全ではありません。扁桃体の危険を察知する能力と関係があるのかもしれません。一般的に、前頭前皮質という決定を下す脳の部分が、扁桃体に危険だと伝えるのですが、これがヴァーチャルであっても作用することになります。しかし、時に、命の危険に直面したとき、前頭前皮質と扁桃体の互いの連絡が途切れることがあります。トラウマをもつ被害者の支援技術を研究しているバーモント大学の心理学者Matthew Price氏は、これを「疲労しきったメンタルの休息」と称しています。

暴露療法理論では、安全な場所で恐怖を何度も体験するうち、窓が風でガタガタなったり、雨が強く降り始めるなどのきっかけを、前頭前皮質が危険ではなく安全と結びつるようになります。そうなると、扁桃体に「大丈夫だよ、落ち着いて!」という信号を送ることになります。

暴露療法とVRセラピーは、非常に相性がいいようです。2018年、Behavioural and Cognitive Psychotherapyに掲載された研究では、台風のトラウマを持つ36人の被験者をランダムに2つのグループにわけ、1つはVRセラピー、もう1つは漸進的筋弛緩法を行いました。結果、後者のグループの恐怖スコア(1から100)が42にまで下がった一方、前者は52から14まで減少しました。Gilgen氏は、恐怖スコアが100だった患者が、暴露療法VRセラピーによって数ヶ月で20にまで下がった人もいたといいます。

未来への予防策としてのVRセラピー

VRセラピーは、自然災害によるメンタルヘルスのセラピーとしてだけでなく、気候変動で地球が変わる今、何かが起きる前の予防策という使い方もできるのではという声もあります。

スタンフォード大学の気候科学者Chris Field氏は、近年カリフォルニアで多発している山火事のストレス対策としてVRシミュレーションの活用を検討。山火事発生時にどう対処すべきかを学ぶゲームのようなものを考えているといいます。過去のトラウマへの治療はもちろん、予期せぬ未来に対抗するためのツールとしてもVRは活用できると、 Field氏はいいます。

ブリティッシュコロンビア大学でランドスケープ・プランニングを教えるStephen Sheppard教授も同様のツールを開発。Delta IIというゲームで、海洋レベルが上昇したバンクーバーの街が舞台、プレイヤーはここで適切な選択をしてタスク(特定の場所に向かう、海岸沿いの堤防を積むなど)をこなすという内容です。これをプレイした子どもたちは、街の様子に落胆・衝撃を受けるのではなく、気候変動に対して何かしなければという危機意識が高まったという報告があがっています。ある授業では、このゲームを地方自治体にプレゼンし、地域のリーダーたちに気候変動の取り組みを強化してもらおうという意見もでました。

Sheppard教授は、バーチャルリアリティは一種のカタルシスになるといいます。「ビジュアルのもつ力で、自分たちが何かしなければと感じる未来へ人を連れていくことができるのです」

ミズーリ州のトルネード災害は、強大な自然の前に人間はあまりにも無力でした。だからこそ、VRセラピーで、自分に何かができるかもと思えることが効果的な治療を生んでいるのでしょうか。

VRセラピーは過去のトラウマにも、未来の脅威にも向きあることができる術となるのかもしれません。